いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

福山城

2009年03月26日 19時04分19秒 | 国内出張・旅行


今朝、6時台の新幹線のぞみに乗る前に福山城に行きました。

もっとも、福山城全景は新幹線ホームから見るのが良いです。

床次正精 『福山城』 の姿と現在の福山城はかなり違います。もっとも、上記写真と絵の見ている建物が違いますが。写真の左の建物が天守閣です。床次の絵では右端に描かれています。そもそも堀が現在はありません。 



現在の福山駅は福山城の敷地に建てられたようです。つまり線路が旧城内をぶった切って走った。調べると、福山付近の山陽線は明治24年に建設されたようです。一方、床次は明治30年に死んでいるので、床次が『福山城』を描いた時は鉄道と駅の建設前で城閣・堀の「破壊」が明治維新以来そんなに進んでいなかったようです。

福山城は先の大戦の空襲で焼けおちました。現在の福山城は戦後の再建です(たぶん、鉄筋コンクリート)。近くで見ると、なんの風格もありません。

▼福山城と言えば、阿部 正弘。25歳で老中、27歳で老中首座。今で言うと、25歳で大臣、27歳で総理。

おいらが、徳川幕府の幕引きに貢献した人物を挙げよ、と問われたら、答えるのが、阿部正弘と徳川斉昭。 どの点かというと、阿部正弘がペリーが来たときに、諸大名などに開国について意見を求めたこと。これで、幕府の権威が失墜した。

これは、組織の原理原則の問題。

だって、もしあなたの会社の社長が、社長の専権事項である取締の人事について、社員に広く「誰がいいでしょう?」とアンケートを取るようなものである。

そんなこと聞かれた社員は、「社長はそんなことも判断できないバカなんだべか!?」と驚くに違いない。

徳川斉昭はまじガイキチなのでいつか。