先日、最後の元老・西園寺公望のひ孫が日本人最初?の紅衛兵ではないか?と記事をかいた。
愚記事: 「みんなありがとう」 ぼくは..。日本人最初?の紅衛兵、最後は孔子さまに到る、あるいは公望の成果
違うかもしれない。
1966-1967年、北京には150人の日本人紅衛兵がいた、というのだ。
びっくり。
日本人が外国で同じ日本人に集団暴行をはたらく ―こんなことがあってもいいのだろうか。北京のいまの異常なふんいきがこういった”国籍不明”の人間をつくりだしてしまうのかもしれないが、わたしはつくづく考え込んでしまった。
北京の”日本人紅衛兵”というのは、日共と中共の蜜月時代に留学した学生たちで、元日共幹部子弟も多いという。短くて二、三年、長いのになると十年近くいるものもある。日本とほとんど縁がきれてしまったような連中が、北京で生活しようとすれば、中国人とおなじようにしなければ生きていけない。百五十人ぐらいいるといわれる”日本人紅衛兵”は、そういう環境が生んだ”無国籍者”なのだ。
『報道されなかった北京 =私は追放された=』、サンケイ新聞 前北京支局長 柴田穂
ここで、 「日本人が外国で同じ日本人に集団暴行をはたらく」とは日本共産党の砂間一良さんと紺野純一さん(赤旗)が日本共産党の代表として北京から帰国するときに、紅衛兵から殴るけるの暴行を受けた事件; google [砂間一良 紺野純一 紅衛兵 暴行]。
それにしても知らなかった。国交もない中国に結構たくさんの日本人がいたのだ。多くがアカ。残りが商売。
そういえば、昔、宮本顕治が療養に中国に行っていたと何かで読んだ。
打 倒 混 蛋 宮 本 顕 治 !
「宮本顕治のバカを打倒せよ!」(パクリ先)
文革で人気者のみやけん; 野蛮な情熱に遭遇
北航紅旗の字が見える。北京航空大学の紅衛兵による立て看とわかる。
「われわれぬっぽんずん紅衛兵は宮本顕治を野蛮な情熱 で批判しきらなければならない!」ってな150人が1967年の北京にはいたらしい。
■ まとめ; 今夜も同じ結論+新しいエビデンス
やはり、■ 日本大好き!は、サ ヨ に学べ!
西園寺一晃殿下@紅衛兵@@最後の元老のひ孫様@@@世が世なら公爵さま