今日知ったこと。
1945年9月2日、戦艦ミズーリの艦上で、降伏文書に、政府を代表した重光葵と大日本帝国陸海軍を全権代表した梅津美治郎は、共に、大分県人とのこと。
大分県。 イメージわかない。 行ったことはある; 愚記事 [ホバークラフトに乗って、流木やクジラさんに当たることもなく、]。
調べた、大分県。
宮城県や鹿児島県といったタイプではなく、山形県、茨城県、あるいは、福島県タイプと知る。
宮城県や鹿児島県といったタイプとは、江戸時代の大藩がそのまま県になったようなタイプ。 なお、宮城県は仙台伊達家領より狭い。
そして、山形県、茨城県タイプとは複数の大名家によって支配されていた小さな地域の寄せ集め。
当然、両タイプでは、県内での仲間意識がちがう。
茨城県って、水戸と土浦じゃ殿様が違うので、大違いだし、今のつくばに至っては殿様は、[谷田部細川一万六千石]がいただけ。(仙台伊達家の飛び地の話はこちら)。
山形県だって、山形と酒田では全然関係ない。 福島県だって、浜通り・中通り、会津も関係ない。
さて、その視点から見て、大分県は;
江戸時代、大分県にあたる地域(旧豊前国の一部と豊後国)には、中津、杵築、日出、府内(大分)、臼杵、佐伯、岡(竹田)、森(玖珠)の八藩が分立した。さらに、肥後、延岡、島原藩の飛び領が点在し、日田には九州の幕府領を管轄する西国筋郡代の代官所が置かれた。このため、他県のように大きな都市は形成されなかったが、代わりに各地に特色ある文化が生まれた。各藩の城下町だった地域には、現在も武家屋敷等が残っている所が多い。 (wiki)
典型的、山形県、茨城県タイプだ。
だから、大分県出身と云ったって、御先祖さまが同じ家中にいた藩士どうし、百姓どうしという仲間意識があったか、さらには大分県人意識があったかは不明。
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蛇足ながら、どうやら、重光葵と大川周明は、五高時代の同期らしいのだが、お互い言及しているのをみたことがない。