いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

倭乱、丁卯胡乱(ていぼうこらん)=われら倭人の高卒レベルの常識?

2017年03月10日 19時20分48秒 | 日本事情

倭乱、丁卯胡乱(ていぼうこらん)=後ろから前からどうぞ! たいへんだな、われらが、 おいらが姜沆(カンハンの祖国・朝鮮。

最近知った、公知情報。 高校の世界史の教科書に出てたょ。

もちろん、知らなかったのは浅学菲才のおいらのせいだ。高校を裏口卒業したからだ。 ゆるしてください。

丁卯胡乱(ていぼうこらん)。

丁卯胡乱(ていぼうこらん)は、1627年に後金のホンタイジ(太宗)が李氏朝鮮に侵攻した戦役の朝鮮での呼び名である。wiki

すなわち、こういうことらしい;

われらが倭人は、やつら朝鮮を征服せむと欲し、さらには、明王朝を征服せむと謀り、すっぱい(失敗)すた(wiki [文禄・慶長の役])。

明王朝を征服せむとしたのは近衛家[1]の悠子、 われらがぬっぽんの  お猿さま 、 秀吉さまである。

秀吉や、われらが独眼竜殿が出兵遊ばし、結局、失敗した半島おいて、

われらが失敗した後、李氏朝鮮は大陸からも侵攻を受けたのだ。

つまり、われらが倭人が、「犯した」あと、真打が登場したのだ。 主役はやつらだったのだ。 満州族の後金だ。

それにしても、踏んだり蹴ったりだな、朝鮮民族。 日本が侵攻してきた後、「満州族」=のちの清朝北京政府=王朝が侵攻してきたのだ。

そして、主役のやつら=大清帝国が成立するのだ。


愚記事より

そして、驚いたのが、

丁卯胡乱、って、その内容は、高校の世界史に出ているのだ。

知らなかったよ。

日本の高卒者。 すごい教養だな。

なお、丁卯胡乱の頃、老舎の御先祖さまもその一群のどこかにいたのだ

■ まとめ

華南・華北・華中のチャイニーズを支配した「満州族」の顛末;

  

[1] なお、20世紀に、暴支膺懲と騙り、支那を征服せむとしたのは、近衛家の お嫡子 さまである。