いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

福岡散歩:西戸崎(さいとざき)⇒ 国営・海の中道海浜公園/旧キャンプ・ハカタ/Brady Air Base

2024年12月30日 04時49分04秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

福岡県福岡市の北に陸繋砂州 [google]がある。上地図の半島。海の中海(wiki)。半島の先に志賀島がある。海の中海の大部は国営公園となっている。国営・海の中道海浜公園。元は米軍基地だった(キャンプ・ハカタ)。つまり、米軍基地を日本政府が取り戻し、国営公園にした。これは東京都の立川の国営・昭和公園と同じだ。公園造園の時代も近い。1970年代米軍撤退の時期だ。レコンキスタ史跡訪問の散歩をした。

陸繋砂州・海の中道の大部が国営公園であるが、そうでない地域もある。西戸崎駅付近の街とか。そういう地域は占領時代も米軍に接収されていない地域。ただし、米軍基地の近隣地域であり、基地外の米軍住宅があった。


1.JR西戸崎駅、2.キャンピングハウス海の中道、3.米軍ハウス(ブレディハウス)、4.西戸崎5丁目・浜辺、5.国営公園・海の中道海浜公園西口、6.動物園、7.日本の名車歴史館
 a, bは(1960年代の)航空写真で建物群が認めらる位置。兵舎と思われる。


現在の航空写真


1960年代の航空写真。a,bに建物群がある。3.5.6.の位置を含む地域はゴルフ場と見える。

▼ 海の中道全体図。1960年代(米軍時代)の航空写真。


10.ラッキーラガー円石柱看板、A.雁ノ巣飛行場 (後述)

1961年(昭和36年)の日米合同委員会でキャンプ博多・ブレディ飛行場・西戸崎通信施設の三施設を統合し、「雁ノ巣空軍施設」(Gannosu Air Station、施設番号・FAC 5005)として在日米軍に提供することが合意された。wiki

雁ノ巣飛行場は「A」の位置。上の5,6はゴルフ場。上のwikiの説明では西戸崎は通信施設のみが書かれ、ゴルフ場への言及はない。

■ 1.JR西戸崎駅

■ 2.キャンピングハウス海の中道

キャンピングハウス海の中道(google

■ ⇒ 3.米軍ハウス(ブレディハウス)

▼ 「豪族」の家


google map

■ 3.米軍ハウス(プレディハウス)


google map

この米軍ハウスはリノベーションされたもの。リノベした会社(只松建設ホールディングスパワーハウス株式会社)がweb siteでこのリノベを紹介している。リノベ前の様子↓。

ソース

■ 5.国営公園・海の中道海浜公園西口

国営・海の中道海浜公園(公式 web site)。

国営海の中道海浜公園(こくえいうみのなかみちかいひんこうえん)は福岡県福岡市東区にある公園。全国で5番目に設置された国営公園である。

昭和18年5月に九州飛行機により西戸崎飛行場が完成。対岸の香椎工場より運ばれた海軍哨戒機、東海などの試作実験が行われる。昭和19年4月1日、戦局により、隣接する博多海軍航空隊が同飛行場を接収、陸上機実用機教育が開始。本土決戦に備え、練習機を用いた特攻訓練が行われる。、戦後は福岡第一飛行場を含め、アメリカ合衆国空軍[1]博多基地となり、西戸崎飛行場はそのまま米軍のゴルフ場となる、その跡地返還を受けて開設されることになったものである。wiki

カナール。カナールは造園用語で「修景手法のひとつで細長い直線水路」を意味しています(google)。カナールは知っている。国営・昭和記念公園にもあった。


国営・昭和記念公園のカナール@噴水付き(愚記事

薔薇園があった。年の瀬でもいくばくかの薔薇は咲いてた。

■ 6.動物園

■ ⇒ 7.日本の名車歴史館

■ 7.日本の名車歴史館

 

展示内容:主に昭和20年代から40年代にかけて国内で生産された四輪車・三輪車・二輪車を常時60台以上展示しています。

特徴:この歴史館では、日本のモータリゼーションの先駆的な役割を担った、主に昭和20年代から40年代にかけての馴染み深い国産車(四輪・三輪・二輪)を常時60台以上展示。実働車がそのほとんどを占めることからも、年代物のヴィンテージ車を集めた展示資料館とは一線を画し、より身近な存在として訪れるものに語りかけてくれます。のりもの博物館 web site

■ 海ノ中道駅より東側


7.日本の名車歴史館、8.海ノ中道駅、9.テニスコート/Brady air base キャンプ博多HQ跡、10.ラッキーラガー円石柱看板、11.海の中道海浜公園 光と風の広場口、12.光と風の広場前バス停

■ 海の中道海浜公園 海の中道駅口

■ 8.海ノ中道駅

■ ⇒ 9.テニスコート/Brady air base キャンプ博多HQ跡

■ 9.テニスコート/Brady air base キャンプ博多HQ跡

このあたりが、Brady air base / キャンプ博多HQ(司令部)跡地らしい。HQ(司令部)に限らず、米軍の施設、建物が並んでいた↓


ソース


20が司令部(HQ: Head Quater) ↓ 当時の写真

▼ キャンプ・ハカタ/ブレイディ空軍基地  Camp Hakata/Brady Air Base

この基地は米軍の陸海空三軍が利用していた。だから名称にcampとbaseの両方が使われている。米三軍が使用の基地が他にあるのだろうか?

この基地は敗戦時1945年9月に占領米陸軍の第5水陸両用軍団 (V Amphibious Corps) [wiki]が進駐した。その後、第24歩兵師団[wiki]が駐屯する。1950年朝鮮戦争。米陸軍と米空軍のさまざまな部隊が博多駐屯地に配属された。博多のブレイディ飛行場と近くの板付空軍基地は北朝鮮に対する航空作戦を実施した。駐屯地は、韓国に派遣される部隊の拠点としても使用され、LSTやその他の上陸用舟艇が基地から出発した。」「1956 年 7 月 1 日、米空軍が基地の指揮と兵站の責任を引き継ぎました。この日、基地の名称はキャンプ博多からブレイディ空軍基地に変更され、第 5 米空軍の主要施設となりました」。(ソース

■ 海の中道海浜公園 カモ池口

■ 10.ラッキーラガー円石柱看板

 

■ 博多湾に面する海岸

 

 

■ ⇒ 11.海の中道海浜公園 光と風の広場口

かも池

■ 11.海の中道海浜公園 光と風の広場口

■ 12.光と風の広場前バス停

■ ⇒ 海の中海を東へ。雁ノ巣方面

バスから元の雁ノ巣飛行場(Bray Air Base)を見る

福岡第一飛行場:戦後はアメリカ軍に接収され「ブレディ飛行場」(Brady Air Base、施設番号・FAC 5006)の名称で主に輸送部隊の飛行場として使用されたwiki

戦前、福岡県粕屋郡和白村 雁の巣(がんのす)(現 福岡市東区)に「福岡第一飛行場」と呼ばれる日本最大規模の民間国際空港がありました。
戦後はアメリカ軍に接収され「ブレディ飛行場」の名称で輸送部隊の飛行場として使用され、1977年(昭和52年)に返全面返還されました。雁ノ巣飛行場の痕跡を訪ねて

「ブレディ飛行場」、 Brady Air Base。 この件 google)が有名らしい;

■ まとめ 通過街

福岡県福岡市東区

西戸崎 (のみ!)