いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第283週

2020年04月11日 20時18分35秒 | 草花野菜

▲ 今週の看猫
▼ 新しい街でもぶどう記録;第283週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の昭和の成仏のために;男の世界@1970

映画監督の大林宣彦さん 肺がんで死去 82歳

【1970年CM】マンダム チャールズ・ブロンソン【フル3バージョン】

一時倒産の危機に直面するが、1970年(昭和45年)にチャールズ・ブロンソンをイメージ・キャラクターに起用した「マンダム」シリーズを発売。当時テレビ放映されたCMの影響も手伝って、大ヒットを記録[1]。倒産寸前の窮地から復活を遂げると、1971年(昭和46年)にマンダムへと社名変更する。wikipedia

 「男の世界」; 日本では、ブロンソンは1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦演出)に出演した。撮影費は2000万円、ブロンソンへのギャラは3万ドル(約1000万円)であった。wikipedia

チャールズ・ブロンソンは本名、チャールズ・デニス・ブチンスキー。リトアニア移民の2世。戦時中は公式の記録では、1943年に陸軍航空隊を志願し、ボーイングB-29に搭乗したB29に搭乗(wiki)。東京大空襲にも参加(ソース)。

1970年って、団塊の世代が色気づくというか、色気発散の時代であったに違いない。男性化粧品の需要も増大。そして、戦後の世相の生き方モデルはアメリカという状況の産物ということだろう、とおいらは了解している。

チャールズ・ブロンソンの「男の世界」のCMに煽られ化粧品を消費した人たちが、"無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国"にどう貢献したのか、わからない。


1970/11/25

1970年は男の世界だったらしい。

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