1921年5月10日、大英帝国国王ジョージ5世と昭和天皇(当時、皇太子)[動画は本記事最下部]
"土人"と "文明人"ということになれば、昭和天皇が東宮時代訪欧されたときに、イギリスで出た意地の悪い絵葉書があったらしい。『五勺の酒』で、中野重治は、主人公に「その『あれ』」という微妙な言い方をさせているけれども、僕は、きっとある動物そっくりに描かれていたのだろうと思う。それを心配そうに背の高い英国紳士が燕尾服を着て見下ろしている。それを自分は直視できなくて手で隠した、ということを中野重治は主人公に言わせていますね。「その『あれ』」が何だとは一言も書いてはいない。だけれど、何であるかすぐわかるんだ。
「その『あれ』」というふうに位置づけられた方が、燕尾服を着た紳士たちにそっくりの姿に離脱したいと思われていたという、この悲しさというものが、僕は、昭和の悲しさの根源にあると思う。そしてその願望は全く間違っていたということを、戦争に負けたその瞬間から、というよりは、負けることを決意されたその瞬間から崩御されるまで、昭和天皇は噛み締め続けられたに違いない。どんなにか御無念であったろうとと思いますよ。 江藤淳、『離脱と回帰と 昭和文学の時空間』(1989年、平成元年)
この「その『あれ』」はこういう描像に違いない;
篠沢秀夫、『Pr.シノザワの西洋のなくなる日』[google](1980年)
絵の右の但し書きは「ベルツ博士は宮中に出入りする日本人を洋服を着た猿と評した」とある。
▼ 実際はこんな感じ;
昭和天皇(当時、裕仁皇太子)とエドワード王子(のちエドワード8世、退位後はウインザー公爵)
■ その時代
昭和天皇(当時、皇太子)が訪欧・訪英した1921年春には、日英同盟はまだ存在した。しかし、同年秋、ワシントン会議で、日英同盟を更新しないことが決まり、1923年解消した。訪欧から帰国した裕仁皇太子は、摂政となる。事実上の「昭和」[1] 時代の始まり。1922年にはエドワード王子が来日(wikipedia)。
[1] チャイナの古典、五経のうち『書経』内にある「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)にして、萬邦を協和す」から「昭」「和」が取られ「昭和」
第一次世界大戦では、ドイツ、トルコの帝国が消え、1917年のロシア革命。皇帝は殺害される。1922年の王・皇帝がいない国アメリカが主導する世界体制では、王・皇帝をもつ日英は分断され、新時代へ。
■ あとの時代
そして、20年後、こうなった。
シンガポール陥落(1942年)、住民のまえで掃除させられる豪兵(英連邦軍)
昭和天皇は、戦時中の1942年12月11日に侍従や侍従武官に対し、「自分の花は欧州訪問の時だった」と語っている(「小倉庫二侍従日記」)(古川隆久、『昭和天皇』)
昭和の日本は、王や皇帝をもたない国に負けて、その国の将軍に征服される;
1945年
1971年10月4日 昭和天皇は、生涯2度目の訪欧中のパリで「エドワード皇太子」と再会
Japanese State Visit Aka Hirohito Welcomed By King George V And Queen Mary (1921)
Japanese Prince In England (1920-1929)