いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第360週

2021年10月02日 18時01分51秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第360週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草実

■ 今週の京土産

京都でヒガシマル商品を買った。そのひとつ。

■ 今週の京土産+山梨物産

ほうとうをヒガシマルのカレーうどん出汁で食べた。

■ 今週の15分待ち

ワクチン2回目を打った。

■ 今週の不明基地名;Kajikawa naval base, Japan (かじかわ [梶川?] 海軍基地)

1966年(昭和41年)、ビートルズ(the Beatles)来日。6月だ。一方、9月には、スプリームズ (the Supremes)が来日していたと、おいらは、知った。日本の音楽史、外タレ音楽史にさえ、あまり載ってない史実ではないだろうか?なぜなら、一般日本人向けのコンサートは行われなかったからだ。

 

スプリームズ (the Supremes)の来日は、スプリームズの「tour in the Orient」(オリエントツアー)の一環だ。そして、それは「オリエント」駐留の米軍さまのためのコンサートツアーであったらしい。すなわち在留米軍がいる7か国をまわったのだ。スプリームズの年譜にある;

September 2-22
The Supremes on tour in the Orient (concerts: September 3-21). A film is made during this tour that is still unreleased. Main tour stops: Tokyo, Okinawa, Yokohama (Japan), Taiwan (Republic of China), Hong Kong (aboard an aircraft carrier in Kowloon Harbor), Manila (Philippines), 7 Asian countries in all.
September 22 is in conflict with the recording sessions on September 21 & 22.
 
なぜおいらが、1966年のスプリームズ来日を知ったかというと、在日米軍についてのネット情報で知ったのだ。
 
 
 
米軍基地でのコンサートツアーではあるが、(後述の高木ブーと違って)米軍基地に直接来たわけではなく、羽田に民間機で来日したらしい。そして、ホテル・ニューオータニで記者会見をしている。
 
The Supremes - Press Conference in Japan (1966) [RARE FOOTAGE]
 
スプリームズは、立川、横須賀、沖縄でコンサートを行った [1]。そして、Kajikawa naval base, Japan でもコンサートを行っている。さて、このKajikawa naval base, Japan (かじかわ [梶川?] 海軍基地)がわからない。 検索しても出てこない。
 
[1] 赤坂・コパカバーナでも歌ったという情報がある(ソース)。
 
なお、日本滞在中に本国ヒットチャート1位になったのが;
 
September 10
“You can’t Hurry Love” reaches # 1 on pop charts.       (上の年譜より)
 
 
なお、1966年というのは、今からみれば、アメリカの黄金時代もついに絶頂を過ぎ、1967年末にはベトナム戦争のテト攻勢となり、重傷兵士が日本の米軍基地にも担ぎ込まれ、あるものは九死に一生を得、あるものは日本の米軍基地で死んだ。
 

■ 今週のオリエント・ツアー/「ワールドツアー」

「立川の米軍基地から軍用機に乗って、台湾やフィリピン、返還前の沖縄にも行った。お尻が痛かったな」――。大学を卒業後、そのままプロのミュージシャンになった高木ブーさん。昭和30年代前半は、各地の米軍キャンプでステージに立った。初めて飲んだコーラの味……。ブーさんが「20代の日々」を語る。

高木ブー「軍用機に乗ってアジアの米軍キャンプをめぐった」若き日

当時は日本各地に米軍が駐留してて、ハワイアンは軍人さんに大人気だった。今日は厚木、明日は横田って感じで、毎日忙しかったな。所属していた事務所は、バンドと女性ダンサーと、マジシャンや漫談ができる人を「お徳用詰め合わせ」にしてキャンプに売り込んでた。

 言われた時間に東京駅の八重洲口とか新宿駅の南口に行くと、米軍のトラックが迎えに来る。荷台に乗せられて、その日に仕事がある基地に向かう。集合場所にはたくさんのミュージシャンが集まってた。「拾い」っていうキャンプの仕事を斡旋してくれる人がいて、「横須賀、ベースいないか?」なんて声をかけると、すぐに即席のバンドが誕生する。

 

「ワールドツアー」にも何度か出かけた。「お徳用詰め合わせ」のメンバーで、台湾やフィリピン、返還前の沖縄に行ってキャンプで演奏する。立川にあった米軍の飛行場で軍用機に乗り込んで、パラシュートを背負わされてね。旅客機じゃないから揺れも激しかったし、時間もやたらかかった。何より座席が硬くてお尻が痛かったのを覚えてる。

 海外のキャンプに着くと、だいたい1か月ぐらいいたかな。日本国内でも同じだけど、キャンプの中にはサービスクラブ、一般兵のクラブ、下士官クラブ、将校クラブと4つのクラブがあった。僕らのチームは、今日はこっち明日はあっちと、夜はどこかのクラブのショータイムにゲストとして出演する。どこもお客さんのノリがよくて演奏してて楽しかったな。

 コカ・コーラもハンバーガーも巨大なステーキもタバコの「ラッキーストライク」も、米軍キャンプで出合った。コーラを初めて飲んだときは「不思議な味だなあ」と思った

wikipedia (高木ブー)

1966年のスプリームズのオリエント・ツアーに先駆けて、1955-1960年頃にオリエント・ツアーを敢行していたのが、高木ブーだと最近のニュースでしる。ツアーの目的はスプリームズと同じく米軍向けの慰安業務だ。

高木ブーの回顧を読むと、パスポートもひったくれもなく、米軍基地から沖縄、台湾と出張していたらしい。米軍覇権のなせるわざだ。1ドル=360円だ。つまり、米軍の仕事を受けると、とても割が良い収入となったのだ。日米の貧富の差が圧倒的であった時代だ。

なお、1950年のGDPは米国は日本の9倍である。1973年には2.8倍まで縮まる(ソース)。

■ 今週借りて読んだ本

2週間前に読んだと報告したアゴタ・クリストフ(wiki)の『悪童日記』の続編とされる『ふたりの証拠』を読む。飽きることなく読み終えることができるほどおもしろかった。ただし、これは、羊をめぐる冒険のような「くすぐり」や御都合主義の要素のおかげともいえる。この『ふたりの証拠』は1988年発表。邦訳は1991年。『悪童日記』は、翻訳されて世界的に読まれたとのことなので、村上春樹の世界的読者獲得と通じるものがあるのだろうか?

状況としては、独ソ戦後の独裁(共産)主義支配の(東欧の)国(ハンガリー)をモデルとした話。そういう状況で子供(主人公)がひとりで美貌を武器に、生きていく様子は、経済的状況の説明がなく、話が寓話的で現実味はない。でも、その寓話性がこの物語の要なのだろう。戦争と占領に認められる事象は洋の東西を問わないのだろう。孤児院を運営する夫人の科白;

「うちの子供たちも、全員が孤児ではないのよ。大半は、父親不明で、強姦された母親や娼婦だった母親に捨てられた子たちなの」

日本で云えばこれだ;

■ 今週の親ガチャ、子ガチャ

"自由" ’民主’党って悪い冗談にも程がある。封建世襲党にすればいいのに。

世襲議員ではないただ一人の候補である高市は、その点とてもリベラルなはずであり、かつ女性であるから、男性優位とされる日本社会の伝統に対し、女性の自由を拡張するという定義の上でリベラルであるのに、大手既成マスコミは、その点で高市を評価するようなことはしなかった。

世襲議員批判を扇動すれば、高市に追い風になったであろう。 もちろん、大手既成マスコミは、高市が「ウヨ」なので、応援しないのだ。

▼ 子ガチャを当てたお歴々

  

 



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