尊皇よい子であるおいらは、11月23日、明治神宮に参拝。新嘗祭のこの日、100年前には森ではなかった神宮の森は、参拝者でにぎわっていた。
新嘗祭は本来宮中祭事であるが、各神社でも祭事をするらしい。新嘗祭は五穀豊穣を祈る祭事。
境内では全国から明治神宮に奉納された「五穀」が展示されていた。
各都道府県別に並べて展示してあった。
おいらの故郷、北海道はこんなに奉納;
おいらの魂の故郷とうほぐの山形や福島や、そして、おいらが暮らしたつくばの茨城もこんなに奉納;
そして、われらが北海道同様、明治国家ができるまでは「日本」ではなかった沖縄も「さとうきび」をはじめ奉納多し;
異彩を放っていたさとうきび。「さとうきび」は、五穀である。なぜなら、米・麦・あわ・きび・豆で五穀であるのだから。
さらには、海ぶどうも奉納されていた。
そして、驚いた。
新入りの琉球やわれらが蝦夷より、奉納の点数少ないのがやつらが「鹿児島県」=薩摩である。「鹿児島」の展示範囲の狭さを見よ(この上の図、沖縄の右隣り)!
そして、驚愕することには、もっと奉納が少ないのが「山口県」=長州である;
県名の札が左右の札に接しているほど狭い。事実、画像で確認できる限り2件である。
そして、その内1件は「うに」である。五穀ではない。もっとも、「タコ」もあったし(上から5枚目の画像参照)、りんご・みかんなど果実も多い。
それにしても、ケチだな、「薩長」。
「賊慶喜を殄戮せよ」とのむつひとちゃん(14歳)の勅を受けて、大日本帝国を捏った「薩長」は、つまりが「玉を奪った薩長」は、尊皇は方便であると知っているのだ。
これは、シャブの売人が絶対シャブには手を出さないことと同じである。
庶民をシャブ漬けに(=尊皇思想で洗脳)していることで君臨するためには、シャブに基づく幻想的理性ではなく、現実的理性が必要だからだ
むつひとさんと奪玉成功の人々(この後、仲間割れ) [画像元愚記事]
その「現実的理性」に基づき、特に「長州」は、奉納なぞ非合理的なことはしないのだ。
「薩長」は内心、けなげにも明治神宮に奉納する庶民をあざ笑っているのだ。
すなわち、「薩長」は内心、「皇室」なぞ、所詮、庶民をシャブ漬けにして国家を統治する手段とみなしているのだ。
もちろん、「薩長」とはかっこ(「」)付きの 「薩長」であり、鹿児島県や山口県に生まれずとも 「薩長」はいる。
最近すごい「薩長」は、「天皇はちょっとおかしい」と云った人である。やはり、鹿児島県や山口県に生まれずとも 「薩長」はいるのだ。
もっとも、しかしながら、天皇は昔から「ちょっとおかしい」のである。なぜなら、「賊慶喜を殄戮せよ!」と云っているのだから。