いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

マッカーサーと一緒に「厚木」に来たこの子猿はどこへ行った?

2020年03月25日 18時46分42秒 | 日本事情


米兵のヘルメットに書かれている 11 A/B は、11th airbone, 第11空挺師師団の意味

Tokyo The End Of The Road (1945)

1945年8月、日本敗戦。占領軍の日本進駐。マッカーサーは現綾瀬市の厚木飛行場(以下、「厚木」)に8月30日に降り立った。

この進駐での主力部隊が第1騎兵師団と第11空挺師団。第1騎兵師団は海から横浜に上陸(9/2)、第11空挺師団は空から「厚木」に進駐(8/29~)。第11空挺師師団は、マッカーサーの露払いとして最初に「厚木」に舞い降りた。つまり、マッカーサーの日本進駐の同伴者。しかし、マッカーサーの東京進駐へ同伴者は第1騎兵師団であった(愚記事:1945年夏の敗戦、東京入城の米軍は八王子方面から)。

その第11空挺師団が厚木飛行場に降り立った時の映像が上のYouTubeにあり、猿を抱いた米兵が映っていた。

この猿がこの後、どこに行ったのか? 米陸軍第11空挺師団の行方を調べて、愚ブログに書く。というか、愚ブログでは米陸軍第11空挺師団が仙台と札幌にいたことは知っている(ダサいスカジャン着て【仙台参り2007番外】)。しかし、詳細は不明なので、調べた。

【どこから来たのか?】 第11空挺師団はフィリピン戦を闘い、フィリピンで戦争終結。その後、日本占領のため、沖縄経由で「厚木」に着いた。

【責任者は?】

第11空挺師団の責任者はスイング少将(wikipedia[英語]、[日本語がない] [日本語:機械翻訳])。上のマッカーサーと並んで一番左端のヘルメットの将軍。マッカーサーに先んじて「敵陣」に最初に乗り込んだ将軍。だから、戦闘服にメット。


スイング(11A/Bのヘルメット姿)とアイケルバーガー(第8軍総責任者)。

【厚木の後】 東京へ行ったのは、第1騎兵師団だった。第11空挺師団は横浜市街(港湾地区)に移駐。横浜の安定化(日本軍の武装解除など)を行った。つまり、マッカーサーは「厚木」から横浜のホテル・ニューグラントに移動した(8/30)ので、その護衛は第11空挺師団の任務だった。マッカーサーは横浜から東京に入る(9/8)。

https://americanhistory.si.edu/collections/search/object/nmah_1303389

「厚木」から横浜の道は数千の日本兵が進駐軍に背を向けて警備していたと本で読んだことがあった。その模様の画像だ。


マッカーサーが滞在したホテル・ニューグランを護衛する第11空挺師団兵士(出典

【横浜の後】 マッカーサーがいなくなった横浜に取り残された第11空挺師団の次の任務は、仙台占領であった。第11空挺師団は9/14に横浜を立ち、自動車と列車で仙台に移駐した。9/15には仙台に進駐。9/17には松島をも管理(今の松島航空隊のある基地にいた日本軍の武装解除をしたのかな?)。10/1に指揮所開設とある。仙台の苦竹。

その仙台進駐のすぐあとの10/3に、アイケルバーガーが「お召列車」で苦竹への引き込み線で直接来訪。映像がある。仙台の苦竹は、キャンプ・シンメルフェニヒ:Camp Schimmelpfennig、略称:Camp Schimmと名付けられる米軍駐屯地となった。元は、東京第一陸軍造兵廠仙台製造所(wikipedia:仙台駐屯地

Lieutenant General Robert L. Eichelberger visits 11th Airborne Division installat...HD Stock Footage

Lieutenant General Robert L. Eichelberger inspects an installation,camp Schimmelp...HD Stock Footage

現代に残る仙台駐屯の第11空挺師団を表すスカジャン

https://www.nakatashoten.com/contents/sj-02.html

【仙台の後】 第11空挺師団は、1946年3月に札幌に移駐している。

1946年3月に仙台から札幌に移駐した。札幌を占領していた第77歩兵師団と交代した。第77歩兵師団は最初に札幌に入った米軍である(愚記事:敗戦直後の札幌市街の画像;米占領軍接収事情、あるいは、この写真はどうやって撮ったのか?)。

第11空挺師団を率いるジョセフ・スウィング少将はGHQ第九軍団司令部のある拓銀本店ビルで執務。ここでアイヌ人「代表」と会った話は上の愚記事にある。

ジョセフ・スウィング少将は、キャンプ・クロフォード(Camp Crawford)[関連愚記事] の設計・建設を推進した。つまり、第11空挺師団が札幌に来た頃、まだキャンプ・クロフォードはなかった。

▼ネットでみつけた。

 

https://www.worthpoint.com/worthopedia/187th-airborne-infantry-regiment-11th-237118964

【札幌の後】 1949年5月には第11空挺師団は任務終了で、交代。米国に帰国(ケンタッキー州の キャンプキャンベル )。ただし、第11空挺師団の一部は、後継駐屯部隊(米軍第31歩兵連隊、愛称the Polar Bear regiment)に編入された。

■ まとめ

第11空挺師団の足取りをネットで検索し、まとめてみた。ただし、子猿の手がかりはなかった。

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はい (いか@)
2021-11-22 03:54:36
謎です。 でも、「猿と少年を飼う米兵の話」は見つかりました。

https://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/e5f05af547571f8aa8ac8112d9d09390
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Unknown (たかお型護衛艦まや)
2021-11-22 02:06:58
どこへ行ったのか謎ですね
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