いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第52週

2015年10月24日 18時17分11秒 | 草花野菜

■今週の看猫

■ 今週の桜


 十月桜

■ 今週の 押しかけ 出張勝利祝賀会

お支那さまは今年、抗日勝利70周年と反西法斯戦争勝利70周年を祝った。ここで、西法斯とはファシストのこと。彼の地ではファシストを西法斯(fǎxīsī)と表記する。音から当て字をしたに違いない。聞いてみ、音→

そんなせっかくのお祝い事なのに、彼らの祝賀軍事パレードへの海外要人参加者が少なかった。特に西側旧帝国主義国。

だから、押しかけて、お祝いするのだ。世界で生き残る極めて少ないファシストと一緒に祝うのだ。

  

ロンドンに出向いて、反西法斯(ファシスト)勝利70周年。
マオイストと最高齢の[元?]女性ファシスト; 最悪だ!

もちろんこれは真実味溢れるヨタ話である。

習近平国家主席は、晩餐会で「抗日」「日本の残虐性」を強調[google]したのだ。

阿片戦争も香港領有も、アロー戦争も[ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)=円明園 - アロー戦争の際、エルギン伯が破壊させた]も、義和団事件に乗じた北京焼き討ちも、そして、彼女がファシストだったこともみんな棚上げして、「抗日」「日本の残虐性」を強調したのだ。もっとも、大英帝国は「資本の文明化作用」の担い手として、お支那さまでは、野蛮な日帝侵略とは区別して、認識されているのかもしれない。事実、われらがぬっぽんは人気者だった;

11分弱の演説時間のうち、習氏が口にした国名は英中両国以外では唯一、日本だけだったgoogle

それにしても長い習近平の英国滞在でマルクス関連の史跡(お墓とか)への訪問はなかったようだ。どうした、中国共産党。もちろん、彼らはマルクスとは関係がないのだ。いまじゃ、世界資本主義での一大エンジンだ。でも、最近失速。今、お支那さまでは、共産主義革命が切望されている!という冗談をよく聞く。

■ 今週のセポールシャン(関連愚記事:せぽーるが、セイント・ポールと知ったのは、ここ最近である

 

ニュース: 「安全保障関連法に反対する学者の会」が学生団体「SEALDs(シールズ)」との共催で計画したシンポジウムについて、会場使用の申請を受けた立教大学が「純粋な学術内容ではない」などの理由で不許可にしたことがわかった。シンポは25日、法政大学で開催される。google

つまりは、立教大学は"反動的"(←死語になったね、これ)だとリベラルさまから愚痴られているのだ。最近知ったこと。ポール・ラッシュ。

wikipedia[ポール・ラッシュ]に書いてある;

インディアナ州フェアマウントで生まれ、ケンタッキー州ルイビルで育った。1923年の関東大震災後の日本のキリスト教青年会拠点を立て直すために1925年に来日。ルドルフ・トイスラーを助け、聖路加国際病院の建設資金の募金活動も行った。また山間高冷地で米作に適さなかった清里高原(山梨県北杜市)での酪農、西洋野菜の栽培促進による開拓支援を行った。また、立教大学の教授として経済学や英語の教育をおこなうとともに、アメリカンフットボールの日本での普及に尽力した。

でも、ポール・ラッシュはただの宣教師でもなければ、ただの教育者でもなかった。

 太平洋戦争後の1945年から1949年まで、GHQ・G2の民間情報局(CIS)に所属した。春名幹男の著書によれば、民間情報局で文書の編集課長をしていた。G2に残された石井ファイル(731部隊隊長だった石井四郎元中将の取調及び免罪工作に関与する文書)には、ラッシュの名前が記された文書が多数残されている。そのことから、春名はラッシュが免罪工作に関わっていたと考えている。このほか春名は、ラッシュが有末精三らを通じて、公職追放者の個人資料収集、戦犯訴追資料として原田熊雄日記(『西園寺公と政局)の発掘と翻訳(里見や吉野源三郎が担当)、吉田茂・白洲次郎・松本重治・片山哲・森戸辰男・福島慎太郎らとの人脈形成などをおこなったとしている。
 ラッシュは外交官の沢田廉三・美喜夫妻が麹町に所有していた邸宅を接収し、ここをCISの拠点「CISハウス」として使用した。CISハウスには戦犯訴追に関する個人情報が集められ、戦犯リストが作成された。ラッシュには寺崎英成をはじめ政府関係者が接触し、「戦犯を作り出すより、頼まれてもみ消す方が多かった」とされる。
 また、1946年1月以降は「日本共産党に関する情報収集」に当たったとされる。加藤哲郎によると、ラッシュは上司に当たるチャールズ・ウィロビーとともに、中国革命に好意を示すジャーナリストを告発する赤狩りの一環としてアグネス・スメドレーを標的としたゾルゲ事件の調査に携わった。1947年8月にCISが作成した報告書について、加藤哲郎はラッシュが作成を指揮したのではないかと推定している。さらに、1949年にはスメドレーに関する情報収集の一環として、戦前に上海でリヒャルト・ゾルゲと関わりのあった川合貞吉を情報源として尋問した。このあとG2は川合に情報源としての報酬を与え、日本の警察とも連携して保護警備し、G2と日本警察は川合が個人的動機で共産党の内情と伊藤律を誣告した内容をも「活用」することとなった。

いか@ 武相境斜面寓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2015.10.23(金) 1163 PV 96 IP 8942 位  / 2303321ブログ
2015.10.22(木) 1364 PV 90 IP 9552 位  / 2303088ブログ
2015.10.21(水) 1209 PV 126 IP 6119 位  / 2302894ブログ
2015.10.20(火) 1100 PV 97 IP 8929 位  / 2302475ブログ
2015.10.19(月) 1158 PV 114 IP 7365 位  / 2301470ブログ
2015.10.18(日) 1415 PV 130 IP 5486 位  / 2300405ブログ
2015.10.17(土) 1463 PV 107 IP 7437 位  / 2299539ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2015.10.11 ~ 2015.10.17 9150 PV 795 IP 7519 位  / 2299539ブログ
2015.10.04 ~ 2015.10.10 8059 PV 864 IP 7370 位  / 2293231ブログ
2015.09.27 ~ 2015.10.03 7755 PV 906 IP 6513 位  / 2287187ブログ

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。