▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第475週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の親米派
Yokota Base Studio (web side) 東京都町田市原町田1丁目6−24 田島第二ビル
町田でなぜ Yokota Base ? 横田基地?と思った。なんのことはない、オーナーさんが横田さんなのだ。
■ 今週の東京の子供
昔、子供の頃、東京の子供たちは冬でも半ズボンであると知って驚いた記憶がある。今でも、半ズボンなのだ。
■ 今週の並木
町田駅南口のけやき並木。↓振りかえって、相模原方面を見た画像。
これは行幸通りなのだという。相武台の陸軍士官学校に行幸するため都内から町田駅まで来て南口からこの通りつかった。
■ 今週の展示会
生誕100年 遠藤周作展 ミライを灯すことば(公式 web site)
生誕100年を迎えた作家・遠藤周作(1923-1996)。新資料の発見が相次ぎ、再注目されている日本を代表する作家の一人です。「日本人にとってのキリスト教」を文学テーマの基底に据え、重厚な純文学作品から歴史小説、エンターテインメント小説、戯曲まで多彩なジャンルの作品を生み出しました。そして、これらの作品において差別、罪の意識、個と権力、人間の弱さなどの心の暗部を描き出し、本当の自分とは何か、悪に救いはあるのか、人生とは、神、信仰とは何かを問い続けました。教え諭すのではなく共に悩み苦しみ、弱者に寄り添うことで多様性への寛容を示した遠藤文学は多くの読者を慰め、勇気づけています。また、もう一つの名・狐狸庵先生としてエッセイを次々と発表。町田市玉川学園の自宅を「狐狸庵」と名付け、1964年から過ごした20余年の間にテレビのインタビュー番組やCMにも出演してユーモアに富む言動で幅広い人々に親しまれました。遠藤は後年、二つの名を持ったことにより「人一倍、生きた」という充足感を得られたと語っています。
本展では、次世代に語り継ぐ文学として遠藤文学の再評価を試みます。代表作『白い人』『海と毒薬』『沈黙』『侍』『スキャンダル』『深い河』を、現代作家 山崎ナオコーラ、夏川草介、朝井まかて、阿部暁子氏らが新たな視点で読み解き、いま読むべき文学としての意義を提示します。社会的不安が蔓延し、孤立や孤独、生きづらさ感じる現代。遠藤文学の新たな地平から、生きることの意味、未来を灯すメッセージを読みとっていただければ幸いです。 (公式 web site)
▼ 遠藤周作に関心をもったのは、高橋たか子から。高橋たか子についてはたくさん書いた(愚記事群)。高橋たか子は日本人であることが嫌で、キリスト教、カトリックの国フランスに生まれたかったと願う人で、事実、修道女になるため渡仏する。結局、帰国するのだが。高橋たか子が洗礼を受けたのが井上洋治神父[wiki]であり、遠藤周作の盟友だ。キリスト教徒という点が興味を引く。
さて、遠藤だが、その世界観に驚く
村松剛、『西欧との対決 -漱石から三島、遠藤まで-』
私は仏蘭西に行った時、何よりも羨望を感じたのは、あの国の何処にも基督教というものがしみこんでいたことです。丘の中に、畠の中に、土地の中に、長い長い基督教のにおいや風習や感覚が根をおろしていたのです。どの村にいってもそこにはひなびた教会がある。その教会の周囲に人々は生活し、働き、死んでいく。野原には古い聖母像がある(『私と基督教』)
だが私たち日本人の方にはこうした基督教の歴史も伝統も感覚も文化の歴史もありません。(中略)もっと怖ろしいことはこの日本人の感覚には基督教をうけ入れない何ものかがることなのです。(同上)
これには、唖然とする。
例えば、あの中田考[wiki]さんが「だが私たち日本人の方にはこうしたイスラム教の歴史も伝統も感覚も文化の歴史もありません」といったらどうだろう? あたりまえだ!でおしまいだ。
でも、基督教は違うらしい。こんな世界観をもってこの日本でどうやって生きていくのだろう?しかしながら、遠藤周作は作家として成功しただけでなく、人気を得た有名作家となった。狐狸庵先生。この人の性格、人格は、なかなか難しい。大江健三郎を殴ったらしいし。
■ 今週読んだ本:
ブックオフで100円
この本はこれまで300万部出ているとのこと。遠藤周作はこの作品と『深い河』の2つを棺に入れるよう云ったらしい。『深い河』は去年の夏に読んだ(愚記事)。『沈黙』は読んでいなかった。読んだ。
広く読まれている作品だが、なかなか難しい。
この本を読むまで、この作品の主人公や周辺関係者が歴史上実在の人物と知らなかった。ジュゼッペ・キアラ:岡本三右衛門 [wiki、google]、クリストヴァン・フェレイラ:沢野忠庵 [wiki]、井上政重[wiki]など。
このことを考えると、この作品は歴史小説であり、史実の枠組みを尊重し、史料ではわからないところについて、作者が想像力で物語をつくる。そこで課題は、なえカトリック神父が棄教したかの原因の解明だ。それに対しこの作品では、棄教したジュゼッペ・キアラをモデルとしたセバスチャン・ロドリゴが棄教に至った心境、信条を、遠藤の説として書いてる。
この作品の特徴はロドリゴの見た世界(ロドリゴの世界像)と考えを、遠藤周作が「代弁」している。すなわち、ロドリゴの世界像とロドリゴの認識・感情は遠藤周作が、考えたことである。その一番の主旨、この作品のクライマックスは、「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」、である。史実としてジュゼッペ・キアラ、あるいは他の棄教者がこんなことを言ったかわからない。いわなかったであろう。「踏むがいい」というキリストの言葉は遠藤周作の考えだ。そして、それが遠藤のキリスト教観なのだろう。
でも、イエス・キリストが磔刑での最後に発した言葉、「神よ、どうして私を見捨てるのか」を考えると、そもそも、イエス・キリストこそが神の沈黙、無対応に遭遇していたはずだ。つまり、神が沈黙するといのは、神学を学んだ神父にとって当たり前のような気がするのだが。
▶ ロドリゴの世界像=ロドリゴの状況認識
ロドリゴの状況認識、すなわち、ロドリゴ(モデルのジュゼッペ・キアラ)が当時の日本をどう見ていたのか?を考えたのは遠藤周作だ。つまり、作品の日本は遠藤周作の想像だ。そうであるならば;
本当に長い長い間に、この百姓たちは、牛馬のように働き、牛馬のように死んでいったのでしょう。
これはよく読まなければいけない。「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」と認識したのはロドリゴ(モデルのジュゼッペ・キアラ)であると作者の遠藤周作が書いたのだ。歴史資料として、ジュゼッペ・キアラが書いた手紙などに「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」と書かかれたものがない限り、遠藤周作の創作だ。史実として、「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」であったのかが問題だ。そして、経済的に困窮していたとしてそれが「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」と同じことであるとは限らない。その上で、遠藤周作はこの地方のこの時代の農民は「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」と創作しているのだ。つまりは、遠藤周作の像が出ていることになる。この作品でロドリゴの口を通して「日本は・・」と多々ある。これも遠藤周作の日本像である。
そして、何より、キリスト教を信じようと「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」状況はかわらないだろう。とすると、キリスト教というのは「牛馬のように働き、牛馬のように死ぬ」人生でもキリスト教を信じれば「救われる」ということか?ここがわからない。
▶ 日本は悪い場所
この遠藤周作の『沈黙』は、日本は悪い場所説である。沼地なだという。もっとも、まともな日本人から見れば、日本はキリスト教を阻止する良い場所である。有害ウイルスへの抗体がある国なのだ。でも、キリスト教徒にはたまらないのだろう。キリスト教が「蔓延」しない日本を憎む;
すべての宗教を、信じればご利益のある神道のようにしてしまう。
それで与えられたのは自由だったでしょうか?
自由と言っていいのかもしれません。彼らはなんの戒めもなく自由に振る舞った結果、ずる賢い為政者の百姓への弾圧、肉さえ食わされず、生かさず殺さずと公言し、武士階級ならば好きな時に切っていいという「自由に作った」ルールと、愚かで臆病な下の階級の苦しみと身に染み付いた依存的な性質、上層部の痴情のもつれから生じる戦争や混乱や飢饉、プライドが高くて子供じみた論拠と冷やかしで勝とうとする、またそれを勝利だと思い込む醜い風習。
素晴らしい自由の結果ですね。
・・・・
西洋人が与えた憲法、人権、法律、道徳観念的なものは、聖書を根拠に作られています。
彼らはまともな地図をくれたのです。人権という地図です。この苗木です。
▶ そもそも奴隷商人の「味方」で、「世界征服事業」
遠藤周作の『沈黙』では「支配者」に酷使される百姓は描かれているが、かつてこの地の少なからずの日本人が奴隷として海外に売り飛ばされていたことは書いてない。つまり、なぜ「支配者」がキリスト教を警戒するのかが全く書かれていない。時代状況の大前提として、「ポルトガルとスペインは一五世紀以来、キリスト教の布教と一体化した世界征服事業を展開し」ていたのだ(平川新、『戦国日本と大航海時代』)。
▶ところで、ロドリゴの口を通して遠藤周作は仏教の僧侶は「彼らを牛のように扱う者たちの味方でした」と百姓にいわせている。
それならば、カトリックの神父と信徒は核攻撃する者、核攻撃する者たちの味方である;
▼ 踏むがいい、焼くがいい
キリスト教ー神父ー信者ー長崎について、遠藤周作に書いてほしかったのは、ジョージ・ザベルカ神父[google]とチャールズ・スウィーニー信徒 [google]の物語だ(処女からヒバクかぁちゃんへの1945年)。
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