▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第447週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の「変」;要、平、造、音
■ 今週の「撮り鉄」
渋谷駅の最低部、地下鉄・副都心線のホームで撮り鉄をみた。
相鉄の電車を撮っていたとわかった。
■ 今週の初めて乗った:Q seat
東急電鉄公式サイト: 大井町線有料座席指定サービス Qシート
■ 今週の廃棄物
蛍光灯が大量に廃棄されているのを見た。
■ 今週の訃報: フランソワーズ・ジローさん死去(google)
2010年5月に笠間の日動美術館の企画展に行った(愚記事)。
ジローとピカソ
【AFP=時事】(更新)スペインの巨匠パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の愛人でミューズでもあった仏女性画家フランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot)さんが6日、亡くなった。101歳。(ピカソを振った元愛人、仏画家フランソワーズ・ジローさん死去 101歳)[google]
■ 今週の「架空作品」
ピカソの「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士」
村上春樹、『ダンス・ダンス・ダンス』の24章に出てくる。
牧村拓は また黙って ゴルフ・クラブを睨んでいた。
「変わってる」と彼は言った。 「君は俺に何かを連想させる。 何だろう?」
「何でしょうね?」と僕は言った。 何だろう? ピカソの「オランダ 風の花瓶と髭を生やした三人の騎士」だろうか?「でも俺は君のことが結構気にいったし、 君という人間を信用するよ。 悪いが ユキの面倒は見てくれ。いつか きちんと 礼はする。僕は借りは必ず返す人間だよ。そのことはさっき言ったよな?」
「聞きました」 (強調 ikagenki)
そんなピカソの作品、「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士」(google)などいうものはない(らしい)。
■ 今週の半額
圧密感があり、うっすらブランデー風味。☛ ヤマザキ リンゴのずっしりケ−キの口コミ・評判
■ 今週の「中に入れた」:和敬塾
今週日曜日に永青文庫に行った帰りに、和敬塾の前を通ると中でフリーマーケットをやっていると旗が立っていて、開放されていた。入った。
文京区目白台にある男子学生寮「和敬塾」西寮に、村上氏は入学した1968年4月から半年ほど暮らしました。和敬塾は1955年に設立され、約7,000坪という広い敷地の中に全6棟の寮があり、現在500人あまりの大学生が入寮しているそうです。(早稲田ウィークリー 僕は十八で、大学に入ったばかりだった―村上春樹『ノルウェイの森』聖地巡礼(小説編))
■ 今週の不意な再会
新橋の駅を降りて、地上にあがると、みきゃんが目に入った(愚記事:西宇和みかんのために、関東でがんばる、みきゃん)。
ダークみきゃんも、ちゃんと、いた(愚記事:ダークみきゃん; 救いようのない不徳)。
■ 今週の道産品
「北海道B級グルメ、スパカツ」。スパカツは、北海道釧路市の郷土料理。熱した鉄板皿にスパゲッティ、カツ、ミートソースを乗せた料理(wikipedia)
広告(下)と違い、カツの全面にミートソースがかかっていた。
北の味紀行と地酒 北海道 カレッタ汐留店 47階 お店の広告画像。
お店からの眺め。今回は東向きで、皇居がみえた。
■ 今週の割引
「電通割」。カレッタ汐留ビルにて。電通が入っているビル。
■ 今週読んだ物語、あるいは、半額以下
村上春樹の新作、『街とその不確かな壁』は、しばらくして、古本価格が下落したあとに、みてみようと思っていた。なにしろ、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいない。持っているけど。今回の新作は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と共通の世界の話とのこと。ところが、今週日曜日、ひょんなことから購入し、賃労働生活から時間をつくって4日間、10時間あまりで読んだ。あきることなく、つるつる、わんこそばのように、読めた。読んでいるあいだは、頭がぼーっとし、賃労働にも少なからず影響を与え、読後も続き、他の人の読後感を読むという楽しみに励んでいる。
影
この物語では村上春樹の物語同様にいくつかの鍵語彙が出てくる。影。人が「本体」と「影」にわかれ、それぞれ、人格化する。握手して別れたりする。でも、こういう本体/影というのは文学的喚起想念にとどまらず、現実にもっている人もいるとのこと。
われわれ心理療法家のもとへも、ときどき二重身体験 に悩む人が相談に来られる。「先生の前にいる私は分身のほうで、本当の私はいま、下宿で寝ています」という人 さえ あるが、このような人の治療はなかなか困難である。河合隼雄、『無意識の構造』 III 無意識の深層、3 影、影の病い
『街とその不確かな壁』ではその街では人は影を失う。そして、
▼ 神戸新聞と「ニューヨーカー」、あるいは、「影をなくした日本人」
村上春樹は新作で影をなくす人間の物語を書いているが、日本人が影をなくしたといったのが江藤淳で、1965年。1964年の東京オリンピックの頃の話;
はるばる海を越えて送られてきた ニューヨーカーの封を切って、 この表紙を一目見た時、 私は思わず声を上げて笑った。 江藤淳、「影をなくした日本人」
これだ↓
江藤淳は「ニューヨーカー」を購読していたのだ。「ニューヨーカー」は権威がある雑誌だそうだ[*]。1ドル360円であり、日米の経済力も何倍も違っていた時代だ。江藤は書いている;
過去とのつながりを失った人間は、いわば 影をなくした人間のようなものである。 今日の 日本で、 新幹線や道路のような近代化の成果だけがもてはやされているのは、 あるいは日本人が自分の影をなくしてしまったことの表れかもしれない・・・。 江藤淳、「影をなくした日本人」
江藤が特に指摘するのが、絵全体は「平治物語絵巻」の紅蓮の炎を想起させ、この絵の男の顔は「チョンマゲをとって髪を七三にわけた侍の顔」だと。そして、「自分の頭にチョンマゲをのせたら、似合いそうな気がして来た」と考える。なお、当時、この絵を江藤から見せられた編集者は「今でもまだ日本はこんなふうに見られているんですかね。いやになるな、まったく やれやれ 」というのが当時の状況。
つまり、江藤はチョンマゲをやめて七三にしたことに象徴される過去との決別、さらには七三にしたのに過去と同一視されることに憤慨することに象徴される日本人を「影をなくした日本人」といっているのだ。
どうでもいいことだが、この文章の初出は神戸新聞である。1964年、村上春樹、14歳。なお、この頃江藤がありがたがって米国から取り寄せていた「ニューヨーカー」と、のちに、専属作家契約を村上春樹が結ぶ、1993年。江藤が死ぬ6年前だ。
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