しかし阿Qの今回の帰村は、これまでと大違いで、まさに驚異にあたいするものだった。そろそろ日が暮れるころ、彼は酔眼朦朧として居酒屋の門口にあらわれた。彼はスタンドに歩み寄ると、腰につっこんでいた手をつき出した。銀貨や銅銭がいっぱいに握られている。それをスタンドにほうり出すと、「現金だ、酒をくれ」と言った。着ているのは新しいあわせの上着で、見れば腰には巾着までさがっていて、腰帯にずっしり目方がかかり、たわんで弧を描いている。
魯迅、『阿Q正伝』、第六章、中興から末路まで
-そして、いざ帰りなん、村の居酒屋へ―
すごいな、支那の暴動。 阿Q噴出。 やはり、伝統的社会なのだ。
暴支の諸君には何もいうことはない。そこは君たちの国なのだ。そしてその国は君たちのものだ。
そして、君たちは約100年も前に記述されていて、50年前には文革での紅衛兵として大活躍したのだ。
本質は現象する。 そして、人間の本性をあらわにするのだ。
▼1966
▼2012
■ 暴支慫慂 (ぼうし しょうよう)
でも、よかった。 嘘で固めた40年の日中平和友好の本性があらわになったのだ。
支那で金儲けをしている日本人もその非道義性に気付くべきなのだ。
なぜなら、支那では自由経済の前提となる社会的、文化的諸条件がないからだ。
そして、何よりナイ―ブだったぬほんじん[1]が用済みになったのだ。
「資本家は儲けのためならば、自分の首を絞めるロープまで売る」 by レーニン(今でも支那では元気)
原発が止まり、中国ビジネスからも撤退して、ぬほんは「びんぼー」になればいいのだ。
そのとき、ぬっぽんずんの本性があらわになるのだ。
▼1937
近衛の顔怖いね。 暴支膺懲(ぼうし ようちょう)。
昭和12年9月5日の朝日新聞、号外。
もちろん、現在において、暴支膺懲には反対だ。日系企業には「自己責任」で対処してもらいたい。つまりは、阿Q王国できっちり自分でケツを拭いてほしい。がんばってね。
[1] 「井戸掘った人忘れない」の心は失われたか パナソニックなど日系企業襲う中国暴徒