▼ 新しい街でもぶどう記録;第344週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の「平成を乗り越えて」
Google [令和の時代にまさか!?「パンチパーマ再ブーム」の謎に迫る]
■ 今週の収穫
■ 今週のスーパー;お伊勢参り気分
初めて知った; ビッグ ヨーサン
スーパー・“ビッグヨーサン”の社名の由来は、代表取締役・本多洋二氏がその昔、市場
で「ヨーさん」と呼ばれていて、大きな太陽のような存在になりたいとBIG YOSUNにしたとの事 (ソース)
おいらはお伊勢さまにお参りしたことがない。日本真理教の信者としては、いつか行ってみたいものだ。で、安いので買った [#1]。
#1;製造元のweb siteで10個入り3箱、600円とあり、定価だとわかる。
伊勢俵餅 10個入り (google)
賞味期限が9月とある。 賞味期限 90日。
■ 今週のパラドックス; 緑なアカ
JR十日市場前
■ 今週の置き去り苗、あるいは、植え忘れ?
■ 今週の「焼き直し」
新旧
2021 1941
画像右:イギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」艦上のルーズベルトとチャーチル。この戦艦はこの後1年もしないうちに我らが日帝航空部隊に撃沈される。
ジョー・バイデン米大統領とボリス・ジョンソン英首相は10日、対面で初めて会談し、民主主義の促進と独裁主義台頭への対抗を中心とした米英関係の将来図を共有した。両氏は新たな「大西洋憲章」と位置付けられた文書に合意した。(google)
ホワイトハウスの説明ページ;The New Atlantic Charter
憲章は8項目。①民主主義と開かれた社会の原則、価値観、制度を擁護; ②ルールに基づく国際秩序、 ③主権、領土保全、紛争の平和的解決の原則、選挙を含め、偽情報やその他の悪質な影響による干渉に反対; ④科学技術における革新的な優位性の保持; ⑤サイバー脅威を含む現代の脅威の全範囲に対して、集団安全保障と国際的な安定性および回復力を維持; ⑥金融の安定性と透明性を強化し、腐敗と不正な金融と戦い、高い労働基準と環境基準を通じて革新と競争を行う; ➆気候危機に取り組み、生物多様性を保護し、自然を維持する問題の優先化; ⑧健康システムを強化し、健康保護を推進するための協力
▼対抗勢力の新旧
2017年5月14日、15日の2日間、北京市で「一帯一路」国際会議が開催
我らが日帝が開催した大東亜会議は、先に英米が行った大西洋宣言会談に対抗したものだ。
大東亜宣言を採択した。
▼ 英国のGDPって、1.8兆ドル。日本は5.2兆ドル。英国は日本の54%、米国の1/10。 今回の英米宣言って国力が10:1なのだ。 でも、逆に、そんなちゃちい国なのに、偉そうで存在感があるともいえる。 (GDP数値、ソース)
■ 今週の反「毛」闘争
中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけの人生 (ソース)
寝そべるという意味の「躺平」がいま中国で最新の流行語になっている。だらっと寝そべって、何も求めない。マンションも車も買わず、結婚もせず、消費もしない。
一方;
世界は君たちのものであり、また、われわれのものでもあるが、しかし、結局はきみたちのものである。きみたち青年は、午前八時、九時の太陽のように、生気はつらつとしており、まさに、伸び盛りの時期にある。希望はきみたちにかけられている。
と毛沢東は云った(『毛沢東語録』 30 青年)。云った場所・状況と日時は、モスクワで我が国の留学生、実習生と会見したときの談話[1957年11月17日)] 。
つまり、この「躺平」の流行報道が本当だとしたら、彼らは毛沢東の教えに反しているのだ。希望がかけられているはずなのに、だらっと寝そべっている。オブローモフ [google]ではないか。
それにしても、なぜ、外でだらっと寝そべるのか、素朴な疑問である。示威行動なのだろうか?そうであるなら、これは、反「毛」闘争、に違いない !!!???。
■ 今週の訃報と昭和の建物のために
ノーベル化学賞受賞 根岸英一さん死去 (google)
根岸英一・米パデュー大特別教授が6日、米中西部インディアナ州インディアナポリスで死去した。85歳だった。パデュー大が10日に発表した。
根岸英一の本、『夢を持ち続けよう!』にある写真。務めていた帝人の中央研究所。
この建物がまだあるのだ;
■ 今週の米第8軍将校
横浜税関には、マッカーサー元帥の到着と同時に連合国臨時総司令部が置かれた。10月2日に東京日比谷の第一生命ビルに連合国総司令部が開設されると、かわって米第8軍司令部が設置された。
極東軍事裁判でA級戦犯とされ死刑が執行された東条英機元首相ら7人について、遺骨を太平洋に散布したと記した米軍の公文書が発見されていたことが、9日までに分かった。A級戦犯の遺骨が散布された可能性を示す記録はこれまでにも見つかっていたが、公文書で詳細が明らかになったのは初めて。
死刑が執行された1948年12月23日付の報告書には、7人の氏名と共に、散骨を行ったことが短く記載されていた。49年1月4日付のもう1通では、執行から散骨までの経緯が時系列で説明されている。いずれも、現場の責任者だったとみられる米第8軍のルーサー・フライアーソン少佐が執筆した。
報告書によると、死刑執行の当日、少佐らは7人の遺体を巣鴨拘置所から横浜の火葬場に護送。遺骨は骨つぼに入れて第8軍の飛行場に搬送し、「連絡機」と呼ばれる航空機に積んだ。
連絡機には少佐と操縦士が乗り、「横浜の東の太平洋上空約30マイルの地点に進み、GHQ(連合国軍総司令部)の書簡に従って遺骨を広範囲に散布した」という。
高沢氏によると、GHQは死刑執行前に遺骨の散布を求める文書を出していた。報告書には、遺骨を遺族らに返還せず散布した理由は記されていなかった。
高沢氏は「これまで伝聞でしか情報がなかったことが公文書で判明した。執筆者本人のサインもあり、信ぴょう性は高い」と話している。
いわゆる東京裁判(極東軍事裁判)は、GHQにより行われた。一方、被告人の管理、その後の処刑は米第8軍が行った。その米第8軍の司令部は横浜、今の中区海岸通の横浜税関にあった。
1948年(昭和23年)12月23日。A級戦犯のうち死刑判決を受けた者への処刑が行われた。第8軍の責任者はウォルトン・ウォーカー中将であった。その第八軍司令官のウォルトン・ウォーカー中将は1950年に勃発した朝鮮戦争で半島に視察した際、事故死する。時は、1950年12月23日深夜。いわゆるA級戦犯が処刑されてちょうど2年後のことだった。
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