図1
買い物に行ったら、ヤマザキ (山崎製パン) の「レーズンロシアパン」なるものを見つけた。
初めて気づいた。 これまでは、「シベリア」はよく目に入っていた(図2)
図2 ヤマザキ (山崎製パン) の「シベリア」 (ネット上からのパクリ)
やはり、ヤマザキ (山崎製パン) には、ロシア派、がいるのだ。 以前からうすうす感づいていたが、今日、確信した。
「以前からうすうす感づいていた」と云ったが、その「以前」とは20年以上前だ。 あの「大ロシア」を見た時だ。
図3 ヤマザキ (山崎製パン) の「大ロシア」 (ネット上からのパクリ)
今から20数年前、おいらは中国山地の奥にいた。
どれくらい中国山地の「奥」かというと、平家の落人(おちゅうど)伝説を抱いて生きている?人を間近にするくらいの里山・山間地だ。
その我が(自己)下放時代、平家の落人伝説を抱いて生きている?人を見た。
その人は、造園業者であり、いつも乗っている軽トラに書かれた業者名 [0] が、おいらをして、おまいは平家の落人かよ!?と感じせしむるものであった。
[0] アントクテンノーは壇ノ浦の藻屑とはならず、この地まで行幸なされ、この地で崩御されたのであります!的な業者名
おいらは、やや里山地域で暮らしてして、その造園業者は「山奥」から来ているようであった。
そんなある日、その「山奥」に行くと、その軽トラを敷地内に止めている屋敷に出くわした。そして、その屋敷の大きな表札にははっきりと「平」と書かれていたのだ。
さて、その平家の落人伝説を抱いて生きている?人を間近にするくらいの里山・山間地。
おいらがその里山に来た時は、20世紀末。既に昭和は終わり、平成になっていた。 ソ連は解体し、ロシアが「復興」していた。
その里山にはコンビニなぞなかった。そして、あの赤と黄色で彩られたデイリー・ヤマザキさえなかった。
ただ、農協の事務所があった。平屋の小さな建物だ。 何の理由があったか忘れたが、用があって行った。その事務所の半分はオープンスペースで、小さな商品棚があり、わずかのものが売っていた。 そのわずかの売り物の中に、「大ロシア」があったのだ。 今から思えば、おいらがヤマザキ (山崎製パン) の「大ロシア」の現物に出会ったたった1回のことだ。
今となっては記憶がないのだが、なぜか財布をもっていたらしく[1]。その「大ロシア」を買った。 これもはっきりした記憶がないのだが、べろっと食べた。 飢えていたのだろう。
[1] 幸か不幸かおいらはこれまでの人生の大半、そして今も、財布を持たなくて仕事場に行ける生き方をしている。というか、日常で財布を持たなくていい生き方を、がんばって、選んでいる。なので、この「大ロシア」に出会った日になぜ財布をもっていたか不明。おそらく、農協事務所に何か支払いにいったのであろう。
それにしても、恐るべし、ヤマザキ (山崎製パン)。 コンビニもない、平家の落人伝説を抱いて生きている?人のところにパンを浸透させていたのだ。
まとめ
今、「大ロシア」は製造、販売しているのだろうか? している気配はない ↓
そして、ヤマザキ (山崎製パン) の「ロシア派」は、何時、「シベリア俘虜黒パン」、を販売するのだ?!