いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

佐賀県散歩:名護屋城址

2024年11月06日 17時29分45秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

呼子に泊まった翌日朝、バスで名護屋城址に移動。途中、バス車中から伊達政宗陣屋跡を見る。バスは昭和バスだ。名護屋とは「豊臣秀吉は、肥前名護屋の地に大陸への出兵拠点となる城を築き、全国の諸大名たちを集めて、まちをつくりました。世界最大規模を誇った、7年間のみ存在した、人口20万人を超える幻の都市。引用元)」。


A.呼子、B.伊達政宗陣屋跡、1.道の駅桃山天下市、2.佐賀県立名護屋城博物館、3.名護屋城址

■ B.伊達政宗陣屋跡

走行中のバスの中から見る

■ 1.道の駅桃山天下市

佐賀県唐津市鎮西町名護屋1859 桃山天下市 (web site

道の駅桃山天下市は、呼子より3キロの国道204号沿いにあり、特別史跡名護屋城跡の玄関口に位置しています。 さらに3キロ先には海の渚百選の波戸岬があり、海中展望塔では自然の魚と海底を見ることができます。 駅では鎮西町でとれた新鮮な農産物、水産物等を豊富に揃え、食事処ではイカ活造定食等の活魚料理が楽しめます。 (九州の道の駅、桃山天下市)

うにご飯というものを見た。買わなかった。どうやらウニは火が通っているらしい。

▼ 呼子でつくられるイカの塩辛のイカの原産地は?

■ 2.佐賀県立名護屋城博物館

佐賀県立名護屋城博物館は、特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の保存整備事業と、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)及び日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、日韓の学術・文化の交流拠点となることを目的として平成5年10月に開館しました。web site 施設案内

特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、文禄・慶長の役の出兵基地であり、不幸な歴史の証人ではありますが、日本の歴史上、最大規模の城郭関係遺跡群という特徴ももっています。名護屋城博物館では、地元自治体とも協力しながら、名護屋城跡のほか、諸大名の陣跡、関連遺跡の発掘調査・保存整備に取り組んでいます。(同上)

不幸な歴史の証人なのだ。

 正面切って、朝鮮侵略とは書いてない。「世界史用語」では朝鮮侵略だ;

16世紀末、2度行われた豊臣秀吉の朝鮮侵略。日本では文禄・慶長の役、朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱という。1592年、朝鮮に侵攻した倭軍は平壌まで進んだが、朝鮮の義兵の抵抗と明の援軍によって反撃を受け、さらに李舜臣指揮の朝鮮水軍によって補給路を断たれたため苦戦、一旦講和した。1597年に再び侵攻し、朝鮮南部で朝鮮・明の連合軍と戦った。98年、秀吉の死によって撤退し、戦争は終わったが豊臣政権は間もなく倒れ、朝鮮の国土は荒廃し、明もまた間もなく清によって滅ぼされる。またこのとき捕虜となって日本に連行された朝鮮人によって、日本の朱子学の興隆、陶芸技術の飛躍的発展などがもたらされた。世界史の窓

楊柳観音像(もちろん複製)が撮影禁止だったので、遠くから撮影。

楊柳観音像 鏡神社 web site


2. 歴史の中の名護屋城 2. 歴史の中の名護屋城 (web site


黄金の茶室 web site

▼ ばったり、姜沆(かんはん)

藤原惺窩(wiki)と姜沆(wiki)[右]。

愚ブログの標題を『看猫録』という。 もちろんこれは朝鮮儒者・姜沆(カンハン)の『看羊録』からのパクリだ(愚記事)。 看羊とは羊を看ることであるが、これは前漢時代の儒者・蘓武(wiki)が匈奴に抑留された時にしていたことだ。この故事を朝鮮儒者・姜沆が本歌とした。(愚記事より)

「ばったり」ということもないのだ。「このとき(文禄・慶長の役)捕虜となって日本に連行された朝鮮人によって、日本の朱子学の興隆、陶芸技術の飛躍的発展などがもたらされた」のだから、朝鮮儒者の姜沆が、おいらを待っていても不思議ではないのだ。

▼ 草庵茶室

山里丸の草庵茶室跡:草庵茶室とは、萱や藁などで屋根を葺いた簡素なつくりの茶室です。「茶の湯」でわび茶が主流となる16世紀以降には、多く建てられるようになりました。

 名護屋城では秀吉が山里丸に草庵茶室を建てています。博多の豪商神屋宗湛が記した『宗湛日記』の天正20年(1592)11月17日の記述には、山里丸の茶室は柱や、そのほか壁なども竹で造られ、四畳半の広さであったことが記されています。平成9年(1997)の山里丸の発掘調査で飛石と草庵茶室と思われる掘立柱建物跡が確認されて、秀吉の茶室の発見として話題となっています。「黄金の茶室」とは、趣が違い侘びさびを感じさせる茶室です。(佐賀県 web site: 豊臣秀吉の 草庵茶室 (復元)を展示・公開します

 

■ 3.名護屋城址

  • 名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城です。
  • 1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。
  • 城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。
  • 周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。
  • 現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。 (ソース:名護屋城とは

■ 名護屋城址 ⇒ 唐津、大手口バスセンター

バス停、名護屋城博物館入口(google map



大手口(唐津バスセンター)[google map]

■ 唐津駅


唐津市近代図書館 (google)

▼ 唐津駅ホーム 筑肥線

博多へ向かう。



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