左:秋尾沙戸子『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後 (新潮文庫)』表紙(Amazon)
右:札幌郊外(現在、南区真駒内)のCamp Crawford [キャンプ・クロフォード] Dependents housing area (米軍官舎地区) [ 出典:『定山渓鉄道』(Amazon)]
■1940年に東京と札幌でオリンピックが開催されるはずであったことは有名だ。幻の夏冬オリンピックは戦後、それぞれ、現実のものとして開催された。東京(1964年)、札幌(1972年)。両オリンピックの選手村は代々木と真駒内であった。両者ともに米占領軍の住宅地であった。東京では選手村として占領軍用住宅(dependents house: DH)をそのまま使い、札幌では、旧占領軍建屋を解体、撤去し、その地に新たに選手村を建設した。東京のワシントンハイツについては画像など資料・史料がネットにたくさんある [1]。一方、札幌の占領軍用住宅(dependents house: DH)の画像はあまり見ないので、集めてみて、些かのの註を付けてみた。
[1] 例えば、flickr、Washington Heights, Tokyo, Japan
■ 曲線道路で特徴づけられる占領軍住宅地
航空写真:東京・代々木・ワシントンハイツ(左)、札幌・真駒内・キャンプ・クロフォード(右)[A:交叉点、B:三叉路、X:現在の真駒内団地交番、Y:現在の地下鉄真駒内駅、Z:大きな建屋、a-a':用水路]
両住宅地とも曲線道路で特徴づけられる。道をつくって、住宅を配置。
■ 札幌、Camp Crawford [キャンプ・クロフォード] Dependents housing area (米軍官舎地区)
Camp Crawford [キャンプ・クロフォード] Dependents housing area (米軍官舎地区) の1958年(昭和33年)の画像 (ブリューゲルの絵画のようだ) (画像:『真駒内物語』より [Amazon])
この画像は、1958年(昭和33年)撮影。占領時代(1945-1952年)ではない。この画像が撮られた当時、旧米軍官舎は北海道警察の警察学校として使用されていた。
1961年(昭和36年)の画像。 団地建設が始まっている。X:現在の真駒内団地交番、黄色矢印は、用水路(a-a')通り沿いのポプラ並木。 (画像:『真駒内物語』より [Amazon])
札幌オリンピックの選手村を経て、Camp Crawford [キャンプ・クロフォード] Dependents housing は何もないといっていいと思う。占領時代と現在の間で残るのは、戦前の牧場時代の用水路くらいか?というか、この用水路を手がかりに占領時代と現在の位置関係を明らかにした。占領時代を特徴づける曲線道路はコンクリート舗装の道であったが、オリンピック選手村造成時に消えた。
■ dependent house、ディペンデント・ハウス、2階建ては残っていない
1964年、東京オリンピックの時、選手村となったワシントンハイツ。五輪後、撤去され現在の代々木公園となる。
注目すべきは、住宅が2階建てであること。現在の日本で知られていて、一部で憧憬され継承されている平屋のいわゆる「米軍ハウス」とよばれる様式ではない。 ただし、現在まで残っている1戸は平屋タイプだが;
代々木公園に一戸だけ残る旧米軍住宅(愚記事;東京散歩;表参道 → 代々木公園 → 新宿)
さて、札幌のディペンデント・ハウス
札幌郊外(現在、南区真駒内)のCamp Crawford [キャンプ・クロフォード] Dependents housing area (米軍官舎地区) [ 出典:『定山渓鉄道』(Amazon)]
札幌も米軍住宅は2階建てであった。これらの住宅は、太平洋陸軍總司令部技術本部設計課により設計されたものに違いない(関連愚記事;「白物家電」(家事関連電気製品)は、なぜ白い?)。
ディペンデント・ハウス、米軍ハウスについての建築学的研究がある[3]。でも、平屋のものしか見つからない。2階建ての占領下米軍住宅の研究成果を探してゆく。
[3] 例えば、立川米軍ハ ウスの居 住者 の構築に見る現代居住の要望
■ 貴重なキャンプ・クロフォード画像 (これは、すごい!)
カラー画像:Americans Who Loved Japan: 日本を愛したアメリカ人
カラーで生なましい。Camp Crowford 1, 2, 5が住宅画像。 Camp Crowford 3が、「札幌郊外の米軍ペンタゴン」のカラー画像。初めて見た。
関連愚記事
・昭和の成仏のために; 幻の五輪、東條演説、占領、実現したオリンピック、そして、建築