いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第427週

2023年01月21日 18時00分00秒 | 草花野菜

みけちゃん、11歳、(避妊手術以来)にして初めて動物病院へ行く。くしゃみを連発するので、連れて行った。レントゲン写真観察では肺や気管支に異常は認められなかった。費用、約1万円。

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第427週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の訳あり

山形のラ・フランス  5kg、2,500円

■ 今週の深みへ

地下鉄・永田町駅

■ 今週の抜

抜歯した。親不知以外で初めて抜いた。これはいけない。死への一里塚。歯周病で歯と周りの歯ぐきの肉の間に隔が発達。ぐらついてきた。「8020(ハチマルニイマル)運動」というのがある。80歳までに、自分の歯を20本は抜かないで保とう、とすることを目指す活動(日本歯科医師会)。残り、27本。

■ 今週の命日

今日は西部邁の命日と気づく。なぜなら、下記記事にアクセスがあるからだ;

西部邁死去2年、3回忌、あるいは、西部自伝への些細な註
西部邁死去3年;ハーネス(安全帯)とロープをつけて谷筋での繋留死:何處かに行かないように
西部邁の命日に、過去記事の訂正と初めて西部邁を知った日

なお、同じ村の出身であり幼馴染であった保坂正康の西部回想本が3月に刊行されるとのこと;

■ 今週の「それって、あなたの感想ですよね」:「門閥制度は親の敵:は私的体験に基づく見解

https://twitter.com/ikagenki/status/1612007584114040833

■ 今週返した本

三島由紀夫関連が2冊。

▼熊野純彦、『三島由紀夫』。清水書院のセンチュリーブックス、人と思想シリーズの1巻。哲学の熊野純彦が書く「三島由紀夫」なので癖がありそうであるが、学生向けの本シリーズとしての本。同シリーズは1966年(昭和41年)[1]に始まった。当初は小牧治(wikipedia)が編集者であったらしい。小牧治は同シリーズ第20巻目の『マルクス』の著者で「わたしは、あのとき、女子学生とともに、旗をふって、出陣学徒を見送った」と告白している。この時(1943年、昭和18年)、18歳の三島由紀夫には召集令状が来ていなかった。三島はこの時、学習院高等科、翌年10月東大へ入学。さらに翌年(昭和20年)、三島は徴兵を免れることは有名。小牧治が『マルクス』を刊行した1966年(昭和41年)、三島事件の4年前だ。三島事件の時、小牧は57歳。まさか、後世に自分が立ち上げた(らしい)このシリーズに『三島由紀夫』が登場するとは思わなかったであろう。

[1] 巻末の清水権六による「清水書院の”センチュリーブックス”発刊のことば」は、シリーズ開始直後は1966年であるが、現在では1967年となっている。

 熊野純彦、『三島由紀夫』は、三島の自伝『私の遍歴時代』を縦軸に、代表的長編小説についての解説が続く。多くの三島論と三島に関する情報に言及している。政治思想への言及は(少)ない。本シリーズの趣向である(?)入門書としては、どうなのだろうか?三島の作品を読まないでこの本を読むと、ある意味、わかってしまって、三島を理解したつもりになってしまうかもしれない。あるていど、三島の代表的長編小説を読んでからこの本を読まないと、ネタバレもあり、もったいない。なので、おいらは、自分が読んだ作品についての項を中心に読んだ。気づかされた点は多いが、三島の鍵文句に「待った(が出来しなかった)」があると知る。中条省平の指摘として複数の三島作品に夕焼けの情景が書かれている。

夕焼けの海のイマージュは、(中略)『金閣寺』の主人公の少年がとおい過去に目にした「比びない壮麗な夕焼け夕焼け」ととなり合い、響きあっているわけである。それは奇跡の訪れを待ち、だが奇跡は訪れない、という切実な感覚の表彰なのである。決して到来することのない奇跡を、みずから引き寄せようとした行為こそが、金閣寺への放火なのであった(中条:「反=近代文学史」)。

そういえば、「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。」と昭和45年11月25日の「激」(全文)で言っていたと思い出す。

なお、哲学の熊野純彦として、三島のハイデガー理解についての言及がある。「案外精確」と。

▼内海健、『金閣を焼かねばならぬ』は精神科医として、実際の金閣放火(実行犯:林養賢)と三島の小説の相違を明らかにしている。林養賢は「精神分裂病」、つまり、統合失調症であったことを示し、放火はこの症状の往路で生じたという。さらに、その動機の探求については、動機という考えが妥当ではないことを指摘する、すなわち、動機とは因果律が支配する世界を前提とした思考であり、自由な世界では動機が無くて行動がなされるという考え。カントの定言命令的に「金閣を焼かねばならぬ」となったらしい。この本では林養賢の生い立ちから、履歴、精神状態推定まで詳細に書いてある。さらに、同様に、三島も分析されている。三島の性格を論じ、「離隔」という言葉で三島と世界との独特の関係を論ずる。その三島と世界の媒体が言葉だ。

ハイデガー関連が2冊。

▼ マルクス・ガブリエル、中島隆博、『全体主義の克服』

新実存論(wiki)とされるドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(wiki)とチャイナ"哲学"者の(千葉雅也の指導教官だったらしい)中島隆博(wiki)との対談。出版社は、【東西哲学界の雄が、全体主義から世界を救い出す!】と唄っている。"「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服する"ということらしいので、ナチだったハイデガーはもちろんカントまでが、的にかかる。ハイデガーの「黒ノート」、反ユダヤ主義に関してのコメント;

 これ(ハイデガーは『存在と時間』のフッサールへの献辞をのちの版[ナチス時代]で削除したこと)は非常に恐ろしいことです。 フッサールがユダヤ人であるというだけで10ハイデガーはフッサールを攻撃しているのですからまる彼は残忍な反ユダヤ主義者だったと私は言いたいと思います。ハイデガーは 気分としてユダヤ人嫌いだったというレベルに止まりません。 彼は筋金入りの反ユダヤ主義信者でした。
 「我々はユダヤ人を殲滅すべきだ」とハイデガーが書き残したわけではありません。そういう文言は「黒ノート」にもありません。 (中略)
 これもよく知られた話ですが、石と動物と人間の区別についてハイデガーが書いていますよね(『形而上学の根本諸概念』)。石には世界がなく、動物は世界という点で貧しく、人間は世界を創造する動物である。 それは無生物の自然、動物、人間を区別するものです。
 そして「黒ノート」では、彼はユダヤ人のことを「世界がない」と呼んでいます。つまり、それは世界という点で貧しいのですらなく、ユダヤ人は石だと言ってるということです。 ハイデガーにとってユダヤ人は虫ですらなく、石のように物質的な自然なのです。

そして、カントへのコメント;

 その上、黒人は道徳的であることもできないとまで考えます。したがって、黒人のためにできる最善のことは、彼らを白人のために働かせることであり、それは、黒人を文明化する助けになる。黒人を奴隷にして、目的のための手段として利用しても問題ないとカントは考えていたのです。

やっと最近、カント=人種差別主義者との認識が始まったらしい。

人種論

カントは現代の国際的な自由主義の発展に多大な貢献をしたことでも知られているが、他方で近年は、カントの人種理論(人種学)には白人至上主義などの問題点を指摘されており、科学的人種主義の父祖の一人とみなされている。wikipedia

Google (Immanuel Kant  racist)

▼ 轟孝夫、『ハイデガーの超政治』


フライブルグ大学学長としてのハイデガー

上記マルクス・ガブリエルはハイデガー哲学を「いかがわしいもの」と考え、もう読むなと云っているのに対し、そうではない立場からの本;轟孝夫、『ハイデガーの超政治』。

ハイデガー哲学の最重要動機は「存在の問い」であり、それには政治性がある。「ハイデガーの存在の思索が同時代の政治的現象や事件に対する何らかの態度決定をはらんでいる」。ハイデガーは定見ある政治性でナチ政権にフライブルグ大学学長として参画し、その定見でナチ政権から離れ、離れた後もその定見でナチを批判した、というのが轟の見解。従って、その定見:存在の問いの政治性を正確に理解することが重要。

近代批判の類型とハイデガーの態度

ハイデガーは近代批判を目的としたが、同じく近代批判を目指したナチスは「近代批判批判の罠」に陥り、むしろ近代的になっていくという話と、ハイデガーはそれを自覚していたと。

 二〇世紀には実にさまざまなタイプの近代文明に対する批判が現れてきた。ナチズムもそのひとつであるし、また日本でも第二次世界大戦中の「近代の超克」をめぐる知識人の言説をがそうしたものに属するだろう。もちろんそれだけでなく、共産主義運動、民族運動、宗教的原理主義などもつねに近代批判的な要素を含んでいる。このことは今日の環境保護運動にも当てはまる。 しかしそうした対抗運動のは多くの場合、近代性を個人主義、自由主義と同一視するため、それらが目指す近代性の克服は公共の利益のために個人の自由を制限するといったものになりがちである。そしてその実現のために、往々にして暴力の使用が肯定され、戦争やテロの惨禍がもたらされることもあった。
 ハイデガーももちろん、自由主義を金科玉条とするようなタイプではまったくなかった。それゆえ彼の近代批判も容易に上述の対抗運動の一種と見なされてしまう。しかし実際のところ、彼は今見たような対抗運動には総じて批判的だった。彼は近代性の本質を西洋形而上学の歴史の帰結としての「主体性の形而上学」として捉えるべきだと考えていた。これに対して、在来の近代批判は近代性の本質を自由主義のうちに求めるため、単純に自由主義の克服だと見なしている。しかしハイデガーからすればそのとき、近代性の真の根拠としての主体性の形而上学は依然として手づかずのままにとどまっている。にもかかわらず、対抗運動の当事者は近代性が克服されたと捉えているため、結果的に近代性が無自覚に温存されてしまうことになる。このように対抗運動が近代批判を唱えつつ、近代性を助長するといった事態をハイデガーはつねに問題視していた。 

ハイデガーの「反ユダヤ主義」

ハイデガーの「反ユダヤ主義」は人種主義的な反ユダヤ主義ではない。

 ハイデガーは一九三〇年代後半になると、ナチズムを主体性の形而上学の帰結として捉えるようになる。彼は主体性の本質を「作為性 Machenschaft」と規定するが、こうした作為性の起源のひとつをユダヤーキリスト教の創造説のうちに見て取っている。つまり世界を制作されたものと見なす創造説によって、根源的な自然としてのピュシスが完全に埋没させられて、作為性が西洋形而上学の存在了解において主導的になったと言うのである。

 西洋形而上学、すなわちその完成体としての主体性の形而上学を、今述べたような意味でユダヤ的な起源を持つとみなす立場から、ハイデガーはナチズムが主体性の形而上学によって規定されていることを、ナチズムはユダヤ人を敵視しているにもかかわらず、それ自身がユダヤ的だと言って皮肉るのである。つまり彼のユダヤ的なものをめぐる覚書は、人種主義に基づいたナチスの反ユダヤ主義がニヒリズムの真の起源に対する洞察を欠いており、その結果、 それ自身がニヒリズムを助長するものとなっている点をことさらに際立たせようとする意図によって貫かれている。 (p160)

ナチスへの苦言

『血と大地』を唱えながら、つい最近まで誰もが予想できなかったぐらいの規模で都市化と農家の破壊を押しす勧めていく。

「世界ユダタ人組織」とYM体制

イギリスが実際のところ、西洋的な姿勢をもたず、またもちえないことを認識するのがどうしてこれほど遅れているのだろうか。なぜならイギリスが近代的世界の設立を始めたのが、近代はその本質に即して、地球上に存在するものすべての作為性の解放へと向けられていたことをわれわれが捉えるのはようやくこれからだからである。帝国主義勢力の「正当な権利」の分配という意味でイギリスと折り合うという考え方は、イギリスが現在、アメリカニズムやボルシェヴィズムの内部で、すなわち同時にまた世界ユダヤ人組織の内部で最後まで遂行している歴史的過程の本質を言い当てるものではない。(GA96, 243)


<イギリスが現在、アメリカニズムやボルシェヴィズムの内部で・・>の記念写真

 ここではイギリスが「地球上に存在するもの全ての作成の買い方」を目標とする近代世界の建設を始め、現在においてもなおこの「歴史的過程」を推し進めていることが指摘されている。したがってイギリスが今日、アメリカニズムやボルシェヴィズムと協調して遂行している戦争の歴史的意義は、帝国主義的な世界の分割という点にはなく、作為性の解放にあるというのである。 ここでアメリカニズムやボルシェヴィズムとともに世界ユダヤ人組織が言及されているのは、それらがナチス的に捉えれば、世界世界ユダヤ人組織によって支配されていることを念頭に置いたものであろう。 

これを解釈すると;

すなわちイギリスの推進している歴史的過程が全地球における作為性の拡散を本質とするとき、そこで世界ユダヤ人組織が何らかの役割を果たしているとすれば、それは結局、そうした作為性を自明とする人間類型の拡散を促進することでしかない。 

▼ ハイデガー哲学は反ユダヤ主義か? 轟の反論

 とは言うものの、「省虜XV」の次に引く箇所は、ハイデガーが『シオンの賢者の議定書』の陰謀論を信じていたことの十分な証拠ではないだろうか。 

世界ユダヤ人組織はドイツから放逐された移住者によってそそのかされているが、それは至るところでとらえどころがなく、その権力伸長にもかかわらず、どこにおいても戦争行為に関与することは必要とせず、それに対しわれわれはただ、自分たちの民族のもっとも優れた者の血を犠牲にすることしか残されていない。(GA96, 262)

 この箇所だけを 取れば、ハイデガーはたしかに世界ユダヤ人組織による世界支配の陰謀を信じていたように見える。しかしこの前後のテクストをよく読めば、ここがハイデガーの考えを表明した箇所ではなく、当時のステレオタイプ的言説のひとつを紹介したものにすぎないことが分かる。

そして、轟は、「多くの論者がこの箇所をハイデガーの反ユダヤ主義の証拠のように見なしているのはただただあきれるほかない」と云っている。ペーター・トラヴニー(ドイツ国 ヴッパータール教授)批判らしい。

* この轟の本の一部は過去に学会で発表されたようで、その内容へコメントがあった。ネットにpdfがあった;

品川哲彦 「超政治」の政治責任 - 関西大学学術リポジトリ

返答  轟  品川哲彦「『超政治』の政治責任」へのコメント

◆この本についての解説動画(ネオ高等遊民:哲学マスター様、 哲学と政治。ハイデガーは無罪か有罪か。)

▼ 四方田犬彦、『人、中年に至る』

 ジョージ・スタイナーの「近さの構造」という言葉について言及。この「近さ」とはアウシュビッツにおける毒ガス室とナチス職員の宿舎:そこではブラームスやモーツアルトの音楽が演奏されるの近さである。「もし彼らが藝術を弁えない野蛮人であった」ら...という。でも、これは、カマトトではないか! 上記のカントのように、応用哲学=倫理学=道徳として、「人格を「『目的』として尊重しあう」と云ったとされるが、奴隷制を容認していた。<毛唐>文明の典型的欺瞞だ。こういう欺瞞に生える「文明」であるので、ガス室と「藝術」の近さなぞ、朝飯前だろう。何、カマトトぶってんだ。



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