▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第336週
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■ 今週のメタセコイア
■ 今週の花
■ 今週の黒白(こくびゃく)
おまんじゅうの白あん、黒あん。
■ 今週のアクセスページ
今日もつくばで; さらば! 筑波山麓 ② 吉沼 ;仙台足軽22人のふるさと に何があったのか?
■ 今週の葬式;a Greco はPOWsを救出し、POW(右端)の父となった人(画像左端)
ダイアナ元皇太子妃の葬儀で、ウェストミンスター寺院の外を行進する英王室メンバーら。左からフィリップ殿下、ウィリアム王子、ダイアナ元妃の弟スペンサー伯爵、ヘンリー王子、チャールズ皇太子(1997年9月6日撮影)(ソース)
先週、「多数派に加わった」エディンバラ公爵フィリップ王配は、1975年のエリザベス女王初来日に寄り添い来日した。実は、これは彼にとって初めての日本ではなかったのだという。
1945年、彼はまだ、大英帝国の一員ではなく、亡命ギリシャ王子であった (a Greco ! [1])。でも、最優秀の大英帝国海軍の士官であり、駆逐艦ウエルプに乗り、9月2日には東京湾にいた。つまりは、降伏文書の調印が行われたミズーリ号を囲む戦勝国艦艇にいたのだ。 調印式を、200ヤード(180メートル)離れたところから双眼鏡で見た。
そして、捕虜(POWs= prisoners of war)を回収し香港へ向かったとのこと。おそらく、大森の捕虜収容所から解放した英軍捕虜にちがいない(関連愚記事: 『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』、デリク・クラーク 著、和中光次 訳;or 米俵が the white man's burdenになった時)。その間数日東京湾にいたと読める。数日だったので細いつり目にならなくて済んだのだ。
↓ ここに書いてある;
Duke Of Edinburgh: When Prince Philip Watched Japan's 1945 Surrender
その後、結婚して1948年にチャールズ皇太子、つまりは、Prince of Walesが生まれている。
[1] a Greco ! 奇を衒ってしまいました。エル・グレコという画家がいる(wiki)。スペイン宮廷で活躍。エル・グレコというのは一人のギリシア男の意。
エディンバラ公爵フィリップ王配の生涯; 【評伝】 エディンバラ公爵フィリップ殿下 揺れる幼少期から英女王の伴侶へ
まとめ: 上の英王族の画像を見て気付いたのだが、デブがいない。これは、グレコ効果(⇒Google画像)なのだろうか???
■ 今週の「撤兵」、あるいは、今週の unconquered land
バイデン氏「米最長の戦争終結」宣言 同時多発テロ20年の節目までにアフガン撤退へ
アフガニスタン。 鬼門である。 グレート・ゲーム、すなわち、「19世紀から20世紀にかけての、英露両国による、主としてアフガニスタン争奪抗争から生まれた言葉で、一進一退の経緯を辿った両者の攻防」(wiki)以来、ソ連も(英国の後継の)米国もアフガニスタンを平定できなかったことを改めて示すこととなる。
これは、同じく19世紀に英露の地政学的激突の場(対馬占拠事件!⇒英国の手先としての日露戦争)となった日本のその後とは大違いである。なぜなら、日本は現在では米国に征服されてしまっているのだから。
■ 今週の確認;アメリカをありがたがる地球上で少ない人々を
憲法遵守を確認。 日米首脳会談「同盟は安定の礎」 バイデン氏、菅首相を「ヨシ」
イラク戦争で失敗し、アフガニスタンから撤兵する米国の歴史的遺産は日独の征伐だけとなった。そして、ドイツはEUにまぎれて、米国をありがたくは思っていないだろう。日本だけが、いまだに征服者の憲法を守り、米国をありがたがっているのだ。ただし、それは現実的な判断だ。米ロ中鮮の核保有国に囲まれた丸腰の日本はその中の核保有国にすがるしかあるまい。
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