いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

佐々淳行:おかしな「保守」言論人

2005年02月15日 21時09分03秒 | 日本事情



佐々淳行氏である。彼は、その職務経験に基づく、著作も多く、現実的な「保守」人に人気がある。

この日も、日本が安全保障の施策ができないことを、「ぐち」っている。画面右下のタイトルは「ナンセンスな自衛隊法」である。

この日この番組に出席していた評論家は、日本が主権国家の自衛策さえ満足になしえないことを批判している。



と、いいつのりたくなる。

日本は独立主権国家ではない。自衛権の根拠となる交戦権を政府が行使することを禁ずる憲法を持つ、非独立主権国である。この憲法(マッカーサー憲法)の発布時には、数万の米軍が現実に存在していた。つまり、この憲法の前提として、米軍がいるのである。この論理的前提以外にも、そもそも憲法制定権力は米軍等占領軍である。占領下の被占領民には自衛は無用である。なぜならその仕事は占領軍であるから。

現行の日本国憲法は、少なくとも制定(厳密には大日本帝国憲法の改正であるが)時には、自衛戦争を放棄していた。それを宣言したのは、ほかでもない、吉田茂である。元祖オサヨク!

国会にて、戦争すべてではなく、侵略戦争放棄とすべし、との共産党・野坂参三に反論して、

「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられているようであるが、私は斯くのごときことを認めることが有害であろうと思うのであります。」


これが自衛戦争も放棄、の吉田茂の宣言である。後、日本政府は解釈改憲を行い、自衛権を主張することとなるが、憲法制定当時こんなことを言っちゃてるんだから、修復などできない。その裂け目が今の「ナンセンスな自衛隊法」の原因である。佐々はかようなごまかしを続ける日本政府で、日本人が拉致されても、絶望して壁に頭をぶつけて死んじゃうこともなく、今日でもあぶらぎった顔で元気なのである。日本人が拉致されても、と言ったが、1980年以前に、日本海海岸でいくえ不明者が続発していたことと、北朝鮮工作員が海岸で捕まったことなど(そしてこの工作員はただの密入国者として国外追放になっただけで帰国)、それらの事件は「拉致」事件だと気づいていたはずだ。なぜなら、警察とは疑うことが商売の組織だからだ。しかしながら、「犯人」が北朝鮮の組織員なので、逮捕が越権行為となるであろうから、小役人として、"「犯人」を捕まえられない事件"は事件ではないと了解したのであろう。

憲法は行政府を拘束するものであるから、行政官は憲法改正を主張できない。だから、佐々は一度たりとて、憲法改正を主張したことがない。憲法のインチキを指摘したことがない。日本が非独立主権国家であることを指摘したことがない。なぜか? 答えは簡単。 役人でいたかったからである。ところがである、先日、私はもう職がなくなって素浪人だから、憲法改正を主張するとテレビで宣言あそばされたのである。なんだ、それ!?



てめえが、役人でメシ食ってるときには、なんにも言わず、メシが喰えなくなったらホントこと言うのか?なぜ、戦後日本が、憲法も改正できず、ずるずる破滅への道を歩んでいるかというと、こういう身過ぎ世過ぎのコッパ役人、あるいはコッパ役人的人間が、政府の中枢に巣くっているからである。

佐々は武士道の精神で育てられ、そう生きているがごとく、吹いているが信じられない。ただし、つっぱり人生で破滅したナリマサの反動で、体制順応第一・長いものにはまかれろ、だと信じられる。

佐々成政は、信長家臣であり、本能寺の変以降の秀吉レジュームは、絶対おかしい!と確信し、秀吉に命を賭して抵抗。まさに、戦後・米軍支配体制・米国と馴れ合う愚民党、あっ、もとい自民党・対米従属体制こそが、絶対おかしい!のである。 アツユキの生き様は、いかに!?


真駒内 占領軍の痕跡

2005年02月14日 19時29分06秒 | 札幌



昨夜のリンク切れ:全国ニュースで、札幌雪祭りの会場のひとつ、真駒内会場が今年で終わりと報道していた。真駒内会場は、日本国陸上自衛隊第11師団の駐屯地です。上記写真。

イラクに派遣されました。すなわち、占領軍施設で育った自衛隊が「占領軍」/「占領軍の手伝い」としてイラクで活躍した、ということになります。イラク・サマワに自衛隊が作った施設は誰につかわれるのでしょう。

これらの赤レンガの建物は60年前に米占領軍の基地施設として建築されたものです。それを現在でも自衛隊が使用しています。真駒内の米軍基地はキャンプ・クロフォードという名でした。クロフォード駐屯地。クロフォードの由来は米軍ではなく北海道開拓に貢献した米国人の名からとったもの。この基地を建設したのは、スゥイング少将率いる米国第11空挺師団だそうです。ノースキャロライナの部隊だそうです。今回このスゥイング少将の姿をネットで探し出しました。下。



ジョセフ・スイング少将(第11空挺師団長)は濃い色の戦闘服を着用し、襟章は星二つ。11A/Bと記されたヘルメットを着用(11A/BはThe 11th Airborne Divisionの略語)。マッカーサーよりも早く到着。日本側と交渉。

この後。この第11空挺師団 [1] はどこへ行ったか、おいらには、わからない。ただ朝鮮戦争の時は、第32歩兵連隊、第49野戦砲兵大隊(もちろん米軍)がここ真駒内から、横須賀経由船にて、朝鮮・釜山港に出撃したと朝鮮戦争史の本に見える。

朝鮮戦争で日本列島の米軍が出払い、日本自身の防衛が急務となり、講和条約、基地返還の流れとなる。真駒内には講和条約以前に当時の保安隊が、米軍が朝鮮に去った跡地に、来た。講和条約後の1959年に米軍は撤収した。一部は千歳に移駐。千歳の米軍・駐留基地をキャンプ・クロフォードと呼んでいるのをwebで見た。

リンク切れ:占領軍の札幌進駐に直接遭遇したひとの記録を発見。

札幌でも占領時代はFENが聞けたんだ。それで、アメリカ文化の洗礼をうけたのね。


2020/8/23 追記

もっと知りたい ⇒ キャンプ・クロフォード

2023/12/28 追記
[1] : 第11空挺師団の履歴: マッカーサーと一緒に「厚木」に来たこの子猿はどこへ行った?

あるいは、第11空挺師団

 


ねこやなぎ

2005年02月13日 18時24分15秒 | その他



ねこやなぎ

昨日、土曜日は、晴れ。きれいな青空。

すこし遠い街、と言っても車で15分、そこに行く途中に大型書店が複数ある、の本屋に行く。その書店はこの地域のA書店チェーンのひとつではあるが、そして大型店舗ではないが、なぜか思想書が充実している。岩波とみすずの思想書の新刊はほぼある。そこで、『ハイデガーとナチス』などを買う



◆ハイデガーとナチスのことは、以前から知られてはいたが、1990年代に入りその「共犯」性の暴露が進展したらしい。おいらは、この件、まとまったものものは初めて。これまでの、おいらの理解は、大恐慌あとのドイツ、さらには敗戦ドイツで、共産主義かファシズムかの究極の選択があった状況での選択だろう、というもの。だから、ハイデガーの思想そのものとナチスの思想の関係については知らなかった。

◆ハイデガー=非合理;ナチス=非合理;故に共犯の基盤があった;というのはまぬけだろう。ハイデガーを読んで感じることは、その模式的・図式的論述である。ハイデガーは、意外にも、いや意外でもないか、通俗的である。

ハイデガーがフライブルグ大学総長の時の演説も、なんか通俗。

その(わが総統の高く聳え立つ意志)忠実な随伴者となるということは、ドイツ国民が再び労働民族として、その有機的統一、その簡素な威厳、その真の力を見い出し、しかも労働国家として、独力でその永続と偉大さを獲得しようとする意志をもつことを意味する。この前例がない意志の人に、われらが総統アドルフ・ヒトラーに---「勝利万歳!」を三唱

 これって、共産主義の演説でも通用するよね。

◆ハイデガーがナチスに加担したとか、ハイデガーの思考にはナチズムや全体主義に抵抗を供給できるとか、いう視点は、おいらには、よく理解できない。 ハイデガーだって、読書・思索・執筆の退屈しのぎにちょっと体を動かしに、外に出ただけかもしれない。でも、そのことは悪質であるかもしれない。なぜなら、その行動と自分の思想の関連を十分説明していないから。これなら、イデオロギーをはっきり表明している現代米国のネオコンの方がわかりやすい。

◆細見和之の解説で、ハイデガーの思想の「知と非知(=故郷で「学問」なぞ無縁でひたむきな親・祖父母の生き方)とのパッケージ」を指摘している。これはいわば「庶民と知識人のユートピア」である。さらには、開戦時の高村光太郎の詞を思い出す。とつぜん、父母・祖先がわが前に、と歌うのである。

■追記:非知で思い出したが、以前のCM。賃金労働者が満員電車電車とおりすぎる駅のホームで、パンとびん入り牛乳をほおばりながら、娘のために(白黒写真のイメージで出していた)、一生懸命はたらくCM。そのCMソングが、♪~ファイト!たたかうものをたたかわないものが嘲うだろう!♪~というナカジマミユキの曲。このCMが喚起すべきと、資本の手先でしかありえない、CM製作者が狙ったもの。






 


突然、シュポポ!

2005年02月11日 21時06分22秒 | 日本事情
栃木にドライブに行きました。

蒸気・汽笛の音。

まさか!? 小脳深く封印された 鉄ちゃん 野への刺激。

踏み切りで止まったおいらの車の前に表れたるものは!、












この鉄道


でも、最後尾は DD51! 押してあげているんでしょうか。





実は、これが、おいらのずんせいで、蒸気機関車を撮影した、初めての経験かも。

ガキのころ、札幌駅で、「義経号」と「静号」の御対面という企画があったが、

それを、テレビニュースで見たか、現場に実際にいたのか、わからなくなるくらい昔の話。

NHK朝日新聞バトル。でも貴公子さまがすき。

2005年02月09日 19時58分09秒 | 日本事情

ホンダちゃん↑。(小林よしのり、大昔の『ゴーマニズム宣言6』より)

NHKと朝日新聞。

かたや、大本営発表を垂れ流し、かたや、‘鬼畜支那人‘と紙面で扇動・そして紙面外では米英撃滅国民大会を主催。

なかまじゃん。

なかまであることは、貴公子好きでも同じ。

去年か、おととしか忘れたけんども、NHKをたまたま見てたら、ギョッとした。

近衛だ。 顔がもろ近衛。

番組は、見つづける精神力がなかったので、みれんかった。

ただ、近衛の嫡子さまが御先祖さまの悪行、あ!もとい功績をたどるもののようだった。 

その後、最近、本も出したことを書店で見て知った。

そんで、その近衛の御嫡子さまがNHK職員であったと知った。それで在職2年。その後個人事務所?でNHKと歴史ドキュメンタリー番組を制作、近衛家の歴史を勉強し、そして自分が出演していたらしい。

つまりは、NHKの資金で自分の近衛家当主へのincarnationをしたわけだ。

一方、朝日は細川護煕をおかかえあそばされていた。もちろん、幽斎にはじまる細川家の当主なんだけんども、とうちゃんの護貞は近衛文麿の娘婿、つまり細川護煕は近衛文麿の孫ってわけだ。

近衛文麿といえば、三国同盟、対支那戦争拡大、国家総動員法と結果日本を破局に追い込むことばかりしてきた。

 朝日新聞記者No1! 「ホンダクン、きみはチンピラさ。ぼくみたいに大きなことしなきゃ!」近衛公にはお世話になりました。


なぜか、戦争の責任というと東条首相以下軍人ばかりあげつらわれ、かつその子孫も白い目でみられる現代日本であるが、日本を破局においやった近衛の子孫は人気ものだ。細川なんて人気だけ、ブームだけで首相になり、それで何をしたんだべ?

そんな細川護煕は朝日新聞記者である。

彼らは、どうみたって、名前と家柄でNHKや朝日に入ったんだろう。これは、逆に、朝日やNHKにこういうものをありがたる背景があることも意味しているね。

以上、びんぼーぬんのひがみですた。



極太麺

2005年02月07日 20時20分47秒 | ラーメンたべた


ラーメン食べた。つけめん。めんは極太。つゆはゆずがきいたさっぱり味。

ラーメン屋「角ふじ」。

こんな太い麺ははじめて。うどん並。こしがあるというより、歯ごたえがある。おいらにはとてもよい。
ラーメンつるつるという世界ではない。ぼきぼきってかんじかな。よい。

ボク、大丈夫? 1982

2005年02月06日 19時52分57秒 | その他


高橋幸宏の『ボク、大丈夫?』をアマゾンの中古で買う。1982年の作品。これ、ずーっと探していたが、アマゾンに出品されたことはなかった。一方、アマゾンは品切れ中古品の「注文」を受け付けるシステムがある。この際、買う値段は購入者が決める。購入者が払う価格を指定して、注文を出しておくと、それを見た保有者が、その値段でよければ、売るのである。あれこれ1年ほど前から購入意志を登録していた。でも、出品者は現れず、購入価格を倍にした。それから2-3ヶ月ほどして、出品者が現れた。

ただし、おいら自身、売る人たちが、どのようにおいらの発注情報を知るのか、知らない。

ところが、このCDは1982年のミニアルバムのCD化作品で5曲入りである。おいらが、当時レコードからテープにダビングして聞いていたのは、Beatlesの「It's all too much」とかが入った10曲くらいのアルバムだ。改めてアマゾンのページを見るとちゃんと5曲入りと書いてある。(その頃、アルバムの価格は2500円であり、おいらの小遣いは5000円。YMOマニアだった友だち(名前を忘れていたことに今気づく)にダビングしてもらった。)

でも、・二人の影に、や・Flush back・サヨナラが入っているのでうれしい。20年たっても、とてもいい。

最近、しきりに、若き日の文物を再感受したくなる。

再・感受は、ル・サンチマンとも変換できるが....。

アメリ:労働力の再生産

2005年02月05日 07時38分03秒 | その他
6時覚醒

 
 30分刻み生活記録をおいらもやってみる。ただの賃労働者の一日である。

5:00 目覚める
   ラジオをつける 
6:30 布団からでる
  やっつけブログ
7:00 仕度
8:00 家を出発
8:30 既に賃労働
9:00 賃労働
9:30 賃労働
10:00 賃労働
10:30 賃労働
11:00 賃労働
11:30 賃労働
12:00 賃労働
定食屋でハンバーグ定食750円をいただく。労働力の再生産
休み時間読書は、『自由という服従』数土直樹。斬新・緻密の「自由・服従」論。
人間は自由だからこそ服従するのである、というパラドクスのメカニズムを論証。
13:00 賃労働
  ・
  ・
   ・
19:00 賃労働終了
帰る。帰途、食料品店。れもん酎を買う。
  労働力の再生産
20:00 BS2 『アメリ』をみる。映画には全く無縁のおいら。なぜか1週間前からアメリを見ようと決意。フランス映画と知ったのは当日だった。なぜ、見ようと思ったのかは自分でも謎。
・絵のような舞台。フランス、パリ?あれがホンモノとは思わないが、もっともらしい美しさ
・奇妙奇天烈な流れであり、映像もコラージュ多用でマンガ的だが、あざとい感じがせず、抵抗なく受け入れられた。
・王妃の死とか過去からの返品とかもっともらしいモチーフの役割がよくわからん。もっとも、なんの意味もないということかもしれない。
・証明写真補修のフーコーっぽいおじさんのおちは、一歩まちがえると映画ががらくた化するところだった。
・映画を進行させる駆動力は、主人公が謎を解くためのどたばた、であり、これは「羊をめぐる冒険」など日本ではありふれている手法である。
・つねに流れるあのアコーディオンのメロディ。ん~。これはフランス映画にとっての、フジヤマゲイシャ、に相当するかもしれないのに、それをみこんでわざとやってるのかな?

22:00 寝る

PS,BS-2でちゃんとみた映画は2回目。1回目は小津安二郎のもの。タイトル忘れた。終戦直後の九段下の民家に迷子が押し付けられ、押し付けられたばあさんがその迷子を親に押し付け返そうと奔走。寒村であった厨子なんかも出る。最後、うちの子にしようと決意すると本当の親があらわれ、子供はもとさや。映画にえがかれた終戦直後の東京庶民の、子供に対する、あのぶっきらぼうさは本当なののだろうか?ちなみに、この映画もなんでみようと思ったのかおぼえていない。