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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ブリューゲル ガレオン船

2006年10月21日 11時01分11秒 | 東京・横浜

イカロスの墜落

今、ブリューゲルの作品がいくつか日本に来ている。
ベルギー王立美術館展

この絵のどこが「イカロスの墜落」なのか!?わからなくて当然である。これは作者、あるいは誰かから、「イカロスの墜落」と名づけられているから、「イカロスの墜落」。

右下の背中を向けている人物と上の船の間の水面に足が見える。これが溺れ死んでゆくイカロスだそうな。イカロスはギリシア神話において、職人・工匠ダイダロスの息子であり、王により父子で牢獄に幽閉された。人造の翼をつけてイカロスは飛び立とうするも、太陽に翼の付け根の蝋がとかされ失墜するというお話の主人公。この失墜を、過剰な勇気と解釈するのが主流だが、テクノロジーの失敗とも解釈できる。ダイダロスは職人・工匠だから。

そのギリシア神話を主題にして描かれたこの絵は1558年、16世紀の作である。ギリシア神話の世界を描いていると解釈している人もいるようだ(主流派?)。でも、描かれている風景は実は16世紀である。 なぜなら、描かれている帆船はガレオン船であり、16世紀最先端の船である。この型の船で人類は、サンファンバウティスタ号のように、大西洋や太平洋を、ルーティンで、渡ることができるようになった。当時の人類の最高技術にほかならない。

畑を梳く農夫、家畜を飼う牧夫。そして、最先端技術の船。

そこになぜかしら、おぼれた人間の足。 それにしてもよく見ると、背中を見せている人物の大きさと溺れる足の大きさを比べると、不釣合いではないか?。そして、船との遠近と大きさの関係も不自然である。 そもそも、この溺れる足がなくても、農夫・牧夫、船そして遠くの太陽と遠近感とサイズが、分析的に見ると、へんちんくりんではないだろうか?

もし、この絵が「イカロスの墜落」であるなら、イカロスを墜落せしめた肝心の「イカロスの翼」、これはギリシア神話での技術の象徴である、が描かれず、むしろブリューゲルの時代の最先端技術の成果であるガレオン船が描かれている。

■今回の展示では、ブリューゲル作品、「婚礼の踊り」があった。なお、「鳥の罠のある冬景色」をみたはずなのだが、展示リストにない。うーん、変だ。おいらは幻をみたのかな。でも、カーリングみたいことをやっているのを確かにみた。


「婚礼の踊り」


「鳥の罠のある冬景色」


安定化する北東アジア情勢

2006年10月17日 20時29分56秒 | 日本事情


浅草寺 仲見世にて


■例えば、たまたまみたブログでは、北朝鮮を非合理的と恐怖している。そうだろうか?

負け犬は通訳を目指す; 行動の根拠が合理的でない国と隣国であることの難しさ (現在リンク切れ)


中国、韓国、北朝鮮とのつきあいには、難しいものがありますね。中でも、行動原理が合理的とは思えない北朝鮮と海を隔てて隣国であるというのは、本当に悩ましいものがあります。ナントカに刃物、みたいなものですからね。CNNでは、北朝鮮が核を持ったら、アルカイダ等のテロリスト・グループに兵器を売却して、のどから手が出るほどほしい外貨収入を得ようとするのではないか、とコメントしていました。でも、11月に中間選挙を控えており、それでなくてもイラク情勢の悪化やらスキャンダルやらで慎重な姿勢にならざるを得ないアメリカが、積極的に対応するでしょうか。WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)では、「(国連安保理では、決議採択で足並みが揃わないことが予測されるので)アメリカと日本の有志連合でもいいから、制裁を行うべきだ」という専門家のコメントがありましたが・・・。ミサイル発射のときに、非難決議を採択しても、北朝鮮の行動の歯止めにはなりませんでした。どういう風に事態が推移していくのか、どういう解決があり得るのか。自分で解決策を考え出す力はないけれど、注目して見守っています。


安倍ちゃんでさえ、総理になる前、北朝鮮に行って直接キムさんに会ったあと、キムさんは「合理的」判断をする人、とコメントしている。この「合理」的とは、損得勘定から外れない生き方をする、というぐらいの意味だろう。

今回の「核実験」こそ、極めて合理的な国家理性が遂行したものである。ただおしむらくは規模と内容がちゃちいことであった。残念! 今度の核実験で相対的に一番腹に据えかねているのは北京政府にほかならない。なぜなら、北朝鮮の核ミサイルが北京を襲撃することが可能になったからである。北京政府も北朝鮮と心中するのはいやなので、今後は懐柔策に出るだろう。

相対的といったのは、絶対的脅威や被害は日本が蒙るものが一番である。ただし、日本人は「平和を愛する諸国民」の良心に依存し、国家理性など持たない、平和のためなら亡国もありという解脱状況にあることはいうまでもないので、問題ない。お悟り申し上げている方々へは、つける薬はない。

今回の核実験で北朝鮮は、やっと国家の錨を沈め始めたといえる。浮遊状態から安定へと向かう。米国は中共やソ連はどんなに民主制や人権問題に悖る国家であると認識しても、核兵器をもっていたから、民主化を武力で実現しないし、しなかった。イラクは弱かったから、めでたく!侵攻されて、民主化されたのだし、なにより、米国、特にネオコン、は日本は原爆で民主化されてよかったという価値観で現在生きている。

そういう環境で核兵器の保有こそ国家の「自存自衛」のため合理的である。

何も、アジア解放!と大義を掲げ、米国の保護国・日本を解放しよう!アジアを支配する白人帝国主義!米国をアジアから追い出そう!と真珠湾、じゃなくて、横田や沖縄に奇襲攻撃を、それこそお釈迦様が悟りをひらかれた日の未明に、するわけでもないのである。

そもそも、北朝鮮の核開発なぞ、毛唐あっ、もとい、KEDOなど米国の承認と支援でなされてきたものである。

今後5-10年は、北朝鮮の核ミサイルをやっかいだなぁと思う日米中がそれなりに安定して協調していくだろう。「村社会はならず者を一匹飼って、その管理を軸に結束するだろう!」。日本も米国からミサイル防衛兵器だのなんだの、基地維持費だの何だの出費するだろう。ただそれだけのことだ。

一方、韓国では次の大統領は保守派となるだろう。韓国国民はノムヒョンの左翼民族路線に嫌気がさしている。保守派の韓国大統領は、もちろん、太陽政策などやめて、南北朝鮮冷戦状況をやむなしとするだろう。日米に対する喧嘩腰の現在の態度も変わる。

日本政府は核武装をしないことを明言、かつ総理補佐官の小池百合子は、日本は核武装していないからこそ、日米安保が重要である、と米国の核の傘にすがりつく、これまた極めて合理的な、対米すがりつき路線を改めて明言。

一方、ついはねあがってしまった、昭一センセには、なんと米国大統領がじきじきに、日本の核武装を憂慮する中国を理解する、(*1)とクギをさした。トラの尾を踏んだキタキツネ。昭一センセ、ションベンちびったかも。

●さて、合理的なバカ、をどうするということこそ近代最大の難問であることはいうまでもない。

▼考えられるシナリオで、実現性の低いのが、米中による北朝鮮転覆である。米国が侵攻して、中国が黙認する。でも、イラクで事実上負けた民主教の米国はためらってできないのだろう。できることといえば、せいぜい日本の核武装を牽制することである。

なんて へたれ なんだ! ネオコン!


 *1; 米大統領が日本の核武装論に言及、中国の懸念に理解

【ワシントン=五十嵐文】ブッシュ米大統領は16日の米FOXテレビとのインタビューで、北朝鮮の地下核実験実施に関連し、「(核兵器に関する)立場を再検討しているという日本側発言を、中国が懸念していることを知っている」と述べた。

 自民党の中川昭一政調会長が、日本の核保有に関する議論があっていいと述べたことなどを念頭に置いた発言と見られる。

 大統領は、「中国は、北朝鮮の核保有を深く懸念している。北朝鮮から自らを守るために、近隣諸国が軍拡に走ることも懸念している」と指摘。

 北朝鮮の核実験が日本の核武装を促し、東アジアの核開発競争につながりかねない、との中国側の認識に一定の理解を示した。

 米国内では、日本の核武装を警戒する声が米メディアや専門家の間で広がっているが、大統領が北朝鮮の核実験実施を踏まえて日本の核保有論について言及するのは初めて。

(2006年10月17日19時28分 読売新聞)


 
ヒグマ       キツネ








大『帝国』にあやかる焼肉屋

2006年10月15日 19時26分54秒 | その他
  一九三四年に羊博士は東京に呼び戻され、陸軍の若い将校に引き合わされた。将校は来るべき中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて羊毛の自給自足体制を確立していただきたい、と言った。 『羊をめぐる冒険』


立川方面にて


札幌にて

両方とも通りすがりで、デジカメ画像を撮ったもの。ネットで調べると、両者ともジンギスカン屋であるらしい。それも、FC、フランチャイズとのこと。それにしてもインパクトのある名前だ。まあ、FCは名づけとかイメージづくりに必死になるのだろう。

以前にも書いたが、「ジンギスカン」料理は、近代日本において、大陸での寒気における活動のために陸軍が、防寒具の素材として羊毛を必要としたことが背景である。老成する間際でして食用にした。現在のようにラム肉、やわらかい幼羊の肉、ではなく、マトン、それも何度も毛を刈り取られたすっかりすじだった肉を食べていたのだ。

その、老肉処分の料理に「ジンギスカン」と名づけた。それは、羊を食べることをモンゴル・蒙古人の食生活のステレオタイプと考えることに基づく。

たぶん、モンゴル人は「ジンギスカン」のように平薄肉を鉄板で焼いて食べるこてゃないだろう。塊、あるいは小さい塊で食べると思う。つまり、ジンギスカンと名づけ、ユーラシアの大半を制覇した大帝国モンゴル・蒙古を勝手に夢想してジンギスカンを食している日本人は、それは極めて独創的であること/日本人しかしていないことに案外気づいていないのかもしれない。

羊は十二支に入っているが、近代以前には日本には全くいなかった。大正時代に量産のための羊が欧米から取り寄せらた。だから、モンゴル・蒙古は全然関係ない。


韓国料理でプルゴキ/プルコキというジンギスカンに似た料理がある。ただし、焼くというより少しの汁で煮るという感じ。味は最初からついていて、焼肉のようにたれをつけて食べるわけではない。味は薄甘い。おいらの知ってる範囲。



仏軍駐兵地 -横浜⑤-

2006年10月13日 18時20分10秒 | 東京・横浜

横浜・港の見える丘公園からの見晴らし。

このあたりフランス山といって、1863年から1875年まで、フランス軍が駐屯した。 すこしはなれたところにはイギリス軍が駐屯した。

1863年の4月に幕府は朝廷に対し「攘夷は5月10日までにやる」と約束。そして5月9日には英国に生麦事件の賠償金を払っている。その際、幕府は英仏に横浜への駐兵を認めた。攘夷どころか、外国軍の国内駐屯を認めたのである。

これも、生麦事件を受けての徳川幕府の英仏への現実策としての妥協。

マルクス主義系の歴史学者石井寛治は、この英仏駐兵について;

  小栗忠順は、文久3年(1863)4月に、幕兵を率いて上京、京都を軍事的に制圧したうえで、朝廷に和親開国の勅旨をださせ、上洛したまま損尊攘派の人質になった感のある将軍家茂をつれもどすクーデターを計画したが、反対され歩兵奉行を罷免されている。同計画の背後には、英仏両国公使による援助の申し出があった。
 同様な計画は、同年5-6月に、老中小笠原長道の卒兵上洛として具体化され、英仏両国公使の協力を得てイギリスからチャーターした汽船2隻と幕船をあわせて4隻の船に1600名の大軍がのり、大阪へ向かった。この軍勢は将軍の命で上洛を阻まれ、クーデターは失敗する。しかし、英仏両国公使への見返りとして幕府が両国にあたえた横浜居留地のための駐兵権はそのままのこり、英仏両国軍隊はこののち横浜山手に常時駐屯することとなった。
 尊攘派を一掃して幕府中心の体制を再建することが、これら失敗したクーデターのねらいであったが、そのために必要とあらば国家主権を一部失ってでも外国の助けを借りるというのが彼らの姿勢であった。因循開国派の幕府の姿勢の中には、その意味できわめて危険なものがひそんでいたのである。
 石井寛治 日本の歴史⑫ 開国と維新
                   

■近代日本の外交史の印象としての「現実策を取る玄人と理想主義に燃える素人の相克」の視点で考えた場合、戦後日本で理想主義に燃える素人の役割は左翼によって担われてきた。その典型例が上記である。なぜなら、政権党の自由民主党/LDP(本名、放埓衆愚(democrazy)党)は占領憲法を墨守し、占領国との保護国条約である安保条約を結び、まさに国家主権の源泉である交戦権を放棄して、快楽主義の実現に邁進してきたからである。でもそれは、「現実策を取る玄人」政治としてみなされ、今日に至っている。一方、左翼がサヨであるのは、交戦権の回復を声高に主張しないからにほかならない。






▼そして、1863年、運命の5月10日、幕府はどうせなにもしないだろうと踏んでか、長州は下関で外国船に砲撃。その年の7月、鹿児島湾で薩摩と英海軍が交戦。

1941年にさかのぼること78年前に、第一次 米英撃滅 大作戦となる。


屠られた掃除のおじさん -横浜③-

2006年10月11日 18時20分43秒 | 東京・横浜

村松  封建時代のはなしが出ましたけど、例の安政の大獄で死刑になった者が何人か御存知ですか。

勝田 かなりいたのではないですか。

村松 たった七人ですよ。(中略)それでもいまだに井伊直弼は憎まれているのですからね。

勝田 あっ、そうなんですか・・・それでも井伊大老は、結局報復をうけて殺されたですね。

村松 そうなんです。「大獄」っていうから、私も漠然と何百人も殺したのかと思ったら、たった七人。(笑い)


           村松剛、勝田吉太郎、『対談 一つの時代の終りに』


井伊 掃部守 直弼像。 横浜掃部山公園

■ 掃部〔かもん〕寮

宮内省配下の小寮で、掃除や調度設営などを担当し、和名で『かむもり〔かんもり〕つかさ』とも言います。



掃部守殺害絵図 解説


■近代日本の外交史の印象を、現実策を取る玄人と理想主義に燃える素人の相克と表したものを見たことがある。

■今で言う「グローバリゼーション」の荒波に襲われた19世紀後半(幕末なんて言葉を使いたくないのだ)の日本で、現実的な策を取り、開国した井伊直弼。

日本国の事実上の宰相であった井伊直弼は、攘夷を志向する孝明帝のシンカン(漢字でない)に励まされたテロリストに暗殺された。

理想主義に燃える素人を帝が教え唆し、煽り導いたのだから、たまらない。もちろん、帝さまだって、国際情勢は素人である。ちなみに、「テロリスト」たちは後に官位を授けられている。だから、テロリストよばわりするなんて、尊皇ウヨの風下にもおけないということになる

■ここで、暗殺したテロリスト=素人、井伊=玄人、ということで終わるわけでもない。
井伊直弼を評して、彼こそ、素人政治家であったという評もある。

おいらが、井伊直弼を大好きになったのは、彼の諧謔のココロに驚いたから。

埋木舎(うもれぎのや)

彼は、もちろん、彦根井伊家の殿様の息子なんだけど、十何番目。あまった男の子はどうするかというと、養子に行くしかない。それでも井伊家は徳川家臣の筆頭なので、結構口がある。直弼の兄弟たちの少なからずは結構の大名に養子に行った。

直弼はもらい手がなかった。特に悲惨なのは、弟と一緒に養子のお見合いに行っても、弟が決まって、直弼はあまる。たぶん、かわいくなかったんだろうね。行かず隠居、だよ。 さびしいじゃないか、哀しいではないか、井伊直弼、21歳。

もうトウがたったので、城を出て、捨扶持をもらって暮らしていた。その住居を、埋木舎(うもれぎのや)と自分で名づけたのだ。 すごいじゃないか。 自分の運命を諦め(正しく認識すること)、覚悟したにほかならない。

おまけに『埋木舎の記』なる日記を書き、

これ世を厭ふにもあらず。はた世を貪るごときかよわき心しおかれば、望み願うこともあらず。ただうもれ木の籠もり居て、なすべき業をなさましとおもひて設けしを、名にこそといらへしままを埋木舎のこと葉とぞ。

と、失意の余生を ぐれずに、「なすべき業をなさましとおもひて」、舎に住んで過ごすことを覚悟。21歳から死ぬまでの果てしなき暇つぶしが始まった。

世を恨むことなく、けなげに暇つぶしを覚悟し、実行したところが、泣けるよ。

ちなみに、自ら恃むところ強く、たかが!「学識」の「高い」ことを誇り、所を得ることがなかったすね者の物語は、こちら→Amazon 幕末の毒舌家  ここのカスタマーレビューはよく書けているよ。

しかしながら、32歳の時、井伊家の世子が死んで、急遽当主(兄ちゃん)の養子となる。 32歳まで実際の政治の場で鍛えられることもなく、「学芸」で世捨て人として暇つぶしをしていたのに。

36歳で藩主、44歳で大老となり、46歳で死ぬ。

直弼も傍流から突然権力者になったので、自分の経験に基づいて自分の責任での融通無碍なおしたり・引いたりができずに、幕府の伝統的流儀を堅持することに汲々とせざるを得なかったのだろう。

それでも、武士は戦争をするのが本業だから、本質的に現実主義者、機会主義者でなければならない。さもなくば、滅んでしまうから。だから、幕府の官僚組織は、「世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲」、せざるを得ないことを充分承知し、井伊もそれをわかっていた。だから、開国した。


埋もれそこない

 
攘夷派→憂慮  開国派、「お出かけですか~?」って、てめえがお出かけの時、やられちまった。

■PS;掃部守なんて朝廷での官位のは名目で、重要なことは井伊が朝廷から官位を授かっていたということ。そんな朝廷で、名目上でも、地位をもつ者を、「天皇の名のもと」にちんぴら兄ちゃんが殺害する。 まさに、アナーキーではないか!

アナーキズムの源泉としての天皇!




オレの人生
=ハナの生涯