いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

嫁と姑とみた

2007年04月19日 20時30分00秒 | インド・3回目・シンガポール


音楽をがんがんスピーカーで鳴らしていたお寺をのぞいて、はじき返された後、大きな通りへ向かって歩いていくと、辻のところで、年のいった女性が、後ろを振りかえりがちに、ゆっくり歩いていた。そこへ、鮮やかな布地のサリーで着飾った若い女性が、手にお供え物であろう何かを持って、駆けてきた。

(なぜ嫁と見たかというと、サリーを着ているので既婚者とみるのが自然。事実、上の写真の奥の若い女性たちはパンジャビスーツを着ている。)

以下空想;

「お義母さま、できました。」

「ほんと、のろまだね。はやくしないとおわっちまうよ。それにしても、ちゃんとできたんだろうね?」




早足で急ぐ二人。
半歩下がって、決して姑の影を踏まない嫁。



はたして、ふたりはくだんのお寺に入っていったのでした。

chapati & roti

2007年04月18日 20時55分07秒 | インド・3回目・シンガポール
- - そのときメーラト基地にいたイギリス人たちは誰一人、ことの重大さに気づかなかった。この鈍感さは当時の情勢の中では異様でさえある。このころのインドの空気は、背中に巨大なおそろしい影を負ったように無気味で息苦しい。人々が持っていた狂おしいまでの緊張と不安は、このころ北インドを風のように走りまわっていた数々の噂、予言、呪そ、不思議な事件の頻発の中に現れている。

その第一は、あちこちにくばられていくチャーパーティーである。
- -

     反乱の予兆、 『インド大反乱一八五七年』、中公新書、 長崎暢子




chapati (左下)& roti(右上)


chapati はしっとり、rotiはかりかり・クリスピー。



南の島⑮ 佐藤栄作首相以来四十二年ぶり

2007年04月16日 22時14分53秒 | 国内出張・旅行

猫の楽園なんだろうか?

→→ なぜ、宮古毎日新聞は、律儀に、「総総分離」の枠組みで報道をするのか?←←

日本国内閣総理大臣のあべちゃん

久松五勇士の顕彰より、イノベーションの検証を好んだらしい。

private party 自由民主党総裁のあべちゃん
ジャケットのちんぴらまがいの絵柄に着目!

●でも、案外クール;

職場の人「知らねぇの?昨日、総理大臣が来てたんだぜ?」
俺「マジで?」




南の島にこなかったよ。
総総分離論者だけど、教組とは一体。


▼あっ! そういえば、否応なく(いやおうなく)、総総分離の御仁がいたんだべ!

もっと南の島・台湾に着陸したけど、降りなかったらしい。
はやく、ぬっぽん政治から降りてほしい。



Calming down

2007年04月15日 19時23分17秒 | インド・3回目・シンガポール


右のおっちゃんが手をあげようとしているのを、左のおっちゃんが宥(なだ)めている。

 
このブログ・いか@ 筑波山麓 『看猫録』は;

■ 資本の旅人 業務(外)便り ~資本の手先、薦めないけど~ ■


資本の旅人にも風は吹き、 風の旅人にも資本の論理は貫徹する

▼おいらの、つまらない自慢は、海外観光旅行をしたことがないこと。35歳過ぎてそれまでのヤキがまわって、何の因果が落ちぶれて、今じゃ、すほんの手先である。それも非正規雇用賃金労働者としてである。 まさかインドに来るとは思わなかった。 

がきんちょの頃、インドとはおいらにとって、大川周明やマルクスの米国新聞紙への投稿論文「大英帝国のインド支配」、辛島昇や長崎暢子の諸本、そしてチャンドラボースや藤原岩市の物語、もちろんパール判事のことなど本だけの世界であった。すなわち、会えないけどアタマに棲みつく、強烈な、ナニカであった。つまりは、観念ウヨの「聖地」であった。

おいらにとっても、物理的・経済的に、つまりは観光的には行くことは可能であったかもしれない。でも「風の旅人」にはなりたかなかった。なぜって、「風の旅人」なんぞは所詮「お客さん」だっちゃ。

♪~♪~ あなたにとって、わたし、ただの通りすがり~♪~♪~
  --久保田早紀、『異邦人』--

制度外で、ぬんげんとぬんげんの交流が可能か?というのは難しい問題だと思う。

●まとめ●
脱俗に俗あり、俗にも、時々たまには、聖あり。




Covering China In India

2007年04月14日 17時48分12秒 | インド・3回目・シンガポール




■中国では法の前の平等は実現されていなのだよ。共産党員とその関係者は法で裁かれないことも多いという記事。

ぬっぽんではみないような中国報道だ。しょうがない、ぬっぽにはjournalismがないのだから。

●さて、日本国の「自由民主党」と中華人民共和国の「中国共産党」は、うまがあうのだと思う。 両国とも実質的に法治国家ではい、なーなーの国だからである。 両方とも偉大なる長期独裁政権だし。

NHKが典型だが、ずーっと うそ 報道していることで、「日本の国会にあたる中国全人代、全国人民代表会議」という言い回しがある。 あたらない。 「最悪の我が祖国ぬっぽん」の国会のセンセは入れ札で選挙されているのである。 いままで、入れ札で為政者を選んだことがない立派な国、前衛の共産党が率いる中国とは違うのである。 つまりは「多数派のお祭り」がないのである。

そんな国の、少数派の代表である首相を呼んで演説させた日本の国会も、やはり、「多数派のお祭り」に後ろめたさを持ち始めた朝貢か、あっもとい兆候か。外山演説の効果ありといわざるを得ない。どうせ国会は元官僚と世襲議員で大半が構成されているのだから入れ札なんかやめちまえ。「選挙じゃ何もかわらないんだよ」。(っていうか、変わったらこわい。米国は びびる。)

温首相は、あの訪日で日本での悪評が高まった江沢民主席と違って、演技に徹しきれず時々地が、いい意味で、出てしまっていた。結構緊張していたように見えた。それがいい人に見えてしまったのかもしれない。一見、そう悪人でなさそうにも見えた。あれでよく中国のトップに上り詰められたなというのが率直な感想なり。温首相は安倍首相との黙約関係にコミットしつつある。つまり、安倍首相は靖国参拝という日中関係を一気に冷却化させるカードをもっているのだから、もしこのカードを切られたら温首相は中国国内の権力闘争で負け、失脚もありうる。

一方の安倍首相も、アジアを安定化させる能力を日本がもつことで対米関係において日本の存在意義を打ち出すという日本外交の基本線を実行するため、日中関係の安定化は必要である。米国は日中が仲違いしていることを望み、日本を米国にすがりつかさせ、一方、中国が対日牽制のため米国に妥協することを期待し、東アジアを管理せんとする古典的divided&rule,分割・統治戦略を採っている。その米国の意図を殺ぐためにも、日本・安倍は日中関係を日中自分たちでこれ以上悪化しないようにしなければならない状況にあった。(これは静かなる対米闘争である。)もちろん最重要なのは日本資本の投資と搾取を日本政府と中国共産党政府が推進することである。中共が日本資本の絶大なるパートナーであることはいうまでもない。 

以上が、温首相と安倍首相との黙約関係のスケッチである。

御手洗経団連会長と温首相の一緒の映像をみて、I was so disgusted&苦笑したのは両者とも賃金奴隷の創出と維持・搾取のベストパートナーであるということだ。この映像は21世紀を語る上で将来不可欠のものとなるであろう。

▼中国は法治国家ではない、となじるひとがいる。確かに、中国は法治国家ではないが、我がぬっぽんだって、そうだろう。

数ヶ月前騒いでいた高校の履修偽装問題。どうした?学校長が公然と公文書偽造をやっていたのだぞ。誰か捕まって、裁判にかけられたか?

冒頭のインドの新聞の中国報道のみだしが Many Lawas, Little Justice そして副見出しが、Chnese court still hostage to party members であるのだが、さしずめ我が祖国ぬっぽんでは、日本の司法はいまだに「聖職」に手を出せないのか!と言わざるを得ない。

この桜咲く春に、履修偽装して、いじましくもお受験に励んで晴れてデーガクに入った、地方の「有名高校」出身のガクセー諸君! おめでとう。 そのいじましさでこの先も生きてくれ。

と、今日も ぐち になっちまった。









Panjabi suits

2007年04月13日 19時18分10秒 | インド・3回目・シンガポール


At Safdarjang Tomb.

インド女性の服装の主流はサリーかパンジャビスーツ。westernは少数派。

パンジャビスーツの、サリーと比べた上での、特徴は、脚袢。

脚袢;筒袖脚袢(*1)の きゃはん です。

サリーは日本の着物と似ていて下半身は「巻き付ける」感じ。脚袢との違いは 股をおおっぴらに開くこと禁止!ということです。

(*1)
万延元年の遣米使節だったか、はじめて正使としてワシントンに行った我らがお武家様たちが、ホワイトハウスで米国の最高権力者と会ったとき、彼らが「筒袖脚袢」だったことに驚愕した。

その衣装たるや筒袖脚袢なり!

もちろん筒袖脚袢なぞ匹夫の衣装にほかならないからでる。

もし、21世紀の今でも現代の日本人がちょんまげで遣米使節と同じ衣装で風俗であったならば、このぬっぽんもよほど世界の尊敬を保っていたであろう。 ぐちです。