■昨日のぐちの続き;
ヒラリーは上院議員としてイラク開戦に賛成したことを今の大統領予備選で厳しく問い質される。しかし一方、ひるむことなく、ヒラリーは自分の正当性を説明している。
一方、安倍ちゃんに対し我らがぬっぽんずんは、首相就任時など、過去に朝鮮労働党の友党である社会党の党首を内閣総理大臣として衆議院で投票したことの説明を一切求めておらず、マスゴミや%民どもはなんら疑念に思うことなく不問にふし、安倍ちゃんもその正当性を主張していない。そのあげくが 美しい国 である。
その場その場で適当なことを言って、適当なことをして、ごまかしているのである。
こういう国とクニが、同盟関係、などとおっしゃる御仁は、よっぽどの阿呆か、米国の工作員に他ならないのである。
やくざがちんぴらと杯を交わすことなど、ありえないのである。
現在、日の丸・日本の不倶戴天の外国である星条旗の国、米国は(*1)、
アタマワリー奴と体弱いヤツとカツゼツの悪いヤツを、まずは淘汰する、大統領予備選の真っ最中である。
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おいらが、心底軽蔑し、大嗤いしてやまないのは、
「日米は共通の価値観があるから、同盟関係を維持すべし」という、
いわゆる「親米派」と呼ばれる、その実対米従属派の「自腹パンパン」派の御仁の方々である。
彼らは、2重、3重に間違っている。
そのひとつが、米国では、大統領になるには、まずは、アタマワリー奴と体弱いヤツを、淘汰することを無視して、「日米は共通の価値観がある」とかほざいていることである。
ブッシュはどうなんだ!?とのつっこみもあるかもしれないが、
少なくとも、体弱い、ということはなかったのであろう。
一方、我らが、天佑を有する ぬっぽん では、ポンポン痛い!って辞めちゃう指導者を選ぶために、首相指名投票権を行使した%民党議員はみんな#$である。 すこしは、米国に見習って、まずは、アタマワリー奴と体弱いヤツを、淘汰すればよかったのに。
そして、今度は、同じ派閥なのに、全然政治路線の違う、首相の息子であるという属性以外に何の取り得があるのだろう?と思われる爺さんに、$民党の首相指名投票権保持者の多数が投票したのでありました。
おまいら、すこしは、米国に見習って、指導者生成プロセスを作動させろよ、いやしくも、「日米は共通の価値観があるから、同盟関係を維持すべし」と主張するのであればさア。
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ちなみに、おいらは反動的封建主義者なので、%&の息子であるという属性以外に何の取り得があるのだろう?という御仁が執政なされるのは全然OKである。
でも、「日米は共通の価値観があるから、同盟関係を維持すべし」とか、民主!とか、自由!、とか人権!、とか口が裂けても言いたくないだけである。
おやすみなさい。
*1 昼に輝く太陽(日の丸)と夜に輝く星は、同時に天に現れることはない。不倶戴天の敵とは、日米の定義に他ならない。
【雪の源は、太平洋からの雲】
よく東京からつくばに来るひとで、東京は雪がひどいから、つくばはもっとひどいと思い、来たが、そうでもなかった、と感想を述べる人がいる。
これは、単純に、つくばは東京より北だから雪が多いのだろうという推定を暗黙の根拠としているのだろう。
でも、関東に雪をもたらす機構(メカニズム)を考えると、東京さらには京浜地区の方が雪が多い可能性が高い。
今日の天気図
つまり、雪をもたらす雲は低気圧として太平洋から日本列島に来る。その雲から落ちるものが雨か雪かは気温によるのだろう。今日のように、十分気温が低ければ、雲が通過するのが早い、京浜地区、東京の方が当然降雪が多い。
一方、気温がやや高い場合、京浜地区、東京では雨、つくばでは雪となるだろう。
いずれにせよ、雪/水は南から、ということ。
そして、上記の機構で、たぶん、九州・中国・関西・東海の方が、雪は多いのであろう。
その昔、よく関が原の降雪で新幹線が止まった。これは関が原の北方の山地が低く、大陸から吹き込む冷たい空気と太平洋からの湿った空気の相互作用による降雪だろう。
▲関東はむしろ雪少ない。
大陸から吹く寒気は、日本海で吸った湿気は、新潟や日本列島の背骨の山脈を越えるときに雪を落としてくるので、北関東に吹き込む空気は乾燥している。だから関東は冬晴れの日が多い。
と、おもうんだけど......。
伊達政宗終焉の地。 現日比谷公園。
政宗公は、寛永13年(1636)、5月24日に、外桜田の伊達家上屋敷・本屋敷で死ぬ。70歳。
生涯、脚本作家であり主演俳優であった政宗公は、同年4月自分の死期を仙台で悟ると忽然と上京の途に着く。4月20日、離仙。
途中、日光東照宮に参拝。大権現さまにご挨拶。日光東照宮の石段を昇る老いて背の曲がった政宗はおもわず足を滑らせ手を着く。四つんばいになりながら必死に参拝するその耄碌した姿に往年の独眼龍を知る随行員は涙したらしい。
江戸屋敷で死を待つ。
死に行く姿を近親者に見せまいと、見舞いを拒んだことは有名。
5月21日には将軍家光の見舞い。そして、5月24日未明に死ぬ。
辞世はもちろん、
曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く
↓これだ。
近代においては、炭鉱夫として生まれ変わったに違いない。
まつがい、ない。