先日、西尾センセのブログで、『諸君!』廃刊を知る。
中曽根内閣時代の角栄判決以来四半世紀にわたり、海外出稼ぎ中は除き、ひとつきとしてかけることなく購入、貯蔵してきたわりには、なんの衝撃もなし。
むしろ、義理の年賀状を交わす相手が消えたがごとく、もうお付き合いしなくていいのだなという気楽な気持ち。
ディープ・インパクト
生まれて初めて諸君!を買ったのは1980年代前半、角栄のロッキード裁判の判決が出たとき。世の中は角栄御用!で騒然。そんなとき、表紙に「罪なき者、石を投げよ」とのタイトル。福田恒存だ。その号では、国家論のシンポジウムの議事録があり、初めて当時大家であった田中美知太郎やポット出の西部邁を知った。あの時のびっくりさ加減は今でも放射線が半減期・半減期で減衰するも決してゼロにはならないがごとく余波として残っている。文盲同然のがきんちょだったけど、ものすごい衝撃を受けた。いままでは知らなかったけど、こんな風に世の中を見る「ホント」の方法があるんだと、米ソ冷戦が全然終ってない、「戦後民主主義」がへたれそうで、実は世の下々の元来保守的な庶民にまで浸透してきていたバブルの幕開け直前の時代だ。
そのころに比べると、今の『諸君!』はどうだろう。17歳君が読んで頭炸裂するだろうか?
廃刊に至って当然である。
でも、おいらは楽しみだ。ここ10年分を、結果が出た時点というさもしい視線で、ゆっくり見直そう。
▼いま風蛇足; そういえば、絶世期の『諸君!』"主筆"だった江藤淳の稿に「それでも小沢に期待する」ってのがあった。
でも、トウがたちすぎ、つんぽ立たなすぎ、小澤一郎さん。
しかも事件が立ちそう(立件間近)だろう。