いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第81週

2016年05月14日 19時40分27秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の花


巷にて; Kalmia  latifolia


エキゾティカ (キツネノマゴ科) 神代植物公園  大温室
Hemigraphis alternata 'Exotica'

■ 今週の開析谷

谷の伸張方向の様子

今週の開析谷=東京都調布市、深大寺付近の武蔵野段丘面と立川段丘面の境界の国分寺崖線において、武蔵野段丘面を開析する谷

下記画像αの中のAポイント

谷の片側の崖


画像α

■ 今週の城址

深大寺城址 (図αのポイントB)

■ 今週の段丘崖

 

国分寺崖線は武蔵野段丘面(高位)と立川面段丘面(低位)の境界の段丘崖である。

本来、屹立した崖であったはずなのだが、すっかり「なめされて」いて、斜面になっている。

その斜面における建物の建築の様子。すっかり「なめされて」いるとはいえ斜面なので、段々にして住宅を建てている。

その段々が上図の石垣なのだ。

■ 今週の<黒ん坊>

    
オバマ大統領  広島訪問

がきんちょの頃読んだつくり話。誰が作ったどんな話かの詳細は忘れた。こんな話だったような気がする。神さまが人間をパン生地から作った。まずはパン生地を人形の型にした。焼いた。パンだからだ。1回目、焼成時間が短かすぎた。神さまはせっかちだったのだ。生焼けだった。<白ん坊>の誕生だ。(なぜかしら神様は)<白ん坊>のできに不満を持ち、もう一度焼いた。今度は焼き過ぎた。<黒ん坊>の誕生だ。(なぜかしら神様は)<黒ん坊>のできに不満を持った。そして、適度の焼成時間でできたのが、われらが<黄色ん坊>であると。

変な作り話だなぁと当時思ったらしく、おいらの記憶に残った。

そして、20世紀。 <白ん坊>による<黄色ん坊>の再焼成の時代が来た;


 夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾

われらが<黄色ん坊>は、<白ん坊>による<黄色ん坊>の再焼成により、「超<黒ん坊>」となる運命を迎えた。

焼夷弾で「超<黒ん坊>」になるばかりでなく、原爆では蒸発したのだ。色がないのだ。


ソース

そして、21世紀。 <黒ん坊>大統領様が、「超<黒ん坊>」を追悼するそうな。

20世紀の<白ん坊>米国大統領に原爆をつくれ!と 請願  教唆・煽動 したのは、この<白ん坊>に他ならない;


アインシュタイン=シラードの手紙 

なお、<白ん坊>による、<白ん坊>の再焼成も、これまで愚ブログでは再三指摘;

 
ヒバクかぁちゃん。神を呪って、死にましょう!

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1973年針生一郎訪中ご一行さま11名のうち、あと1名がわからない。

2016年05月10日 06時25分00秒 | 中国出張/遊興/中国事情

まったくどうでもいいはなしです。

どうでもよくない唯一の理由があるとすればこんなことに言及しているネット情報が、この広いnet-sphereにないであろうこと。

1973年のまだ文化大革命(文革)が終焉していないが、すでに林彪が死んで、その文革の熱狂が醒めたといわれる時期に、針生一郎が訪中し、しかも文革礼賛の文章を書き、本も出版したことは、かつて書いた(愚記事; 仙台参り 【2015】 宮城県立美術館 『わが愛憎の画家たち; 針生一郎と戦後美術 』  );

また見たね! 針生一郎

そして、元来純粋な「針生一郎」に、おいらが「再会」したのが、既に昭和も終わり、かつ、遠くなりつつあった、21世紀に入ってのことである。21 世紀の「ゼロ年代」(笑い)においらは文革(中国 文化大革命)に興味を持って、少し調べ始めた。そのなかで、文革を礼賛した日本人文化人を紹介した文章 で、針生一郎に再会したのである。すなわち、文革時に支那に行き、その支那文革に感動した文化人のひとりに針生一郎がいると。なお、その時点で上記 1944年夏のサイパン島陥落第二高等学校決起集会の思い出の作文者は針生一郎であると認識していた。

その文革を礼賛した日本人文化人を紹介した文章を読んだ時点で、「あ~やっちまったな、針生一郎」と直感した。確認のためおいらは、『針生一郎芸術 論集 文化革命の方へ』(朝日新聞社 刊、1973年)を中古市場で買って読んだ。針生一郎は、「われわれにとって文化大革命とは何か」という文章を書いていた。これは、中国の文化大革命を見 にいった見聞録である。同行は宇井純、鶴見良行、むのたけじ等。「われわれにとって文化大革命とは何か」の文章は中国共産党が書いた文章をもらったのでは ないかというくらいの全く批評性のない文章。例えば;

それにしても、わたしは 中国革命の原点である延安を訪れて、抗日戦争のさなかに、この奥地でなしとげられた事業にほとんど圧倒された。一見退却ともみえる二年余の大長征を経て、 八路軍がここにたどりついたのち、党と軍の根本的な再建をはじめ、開墾、農・工生産、解放区の自治、大衆工作、学習など、すべてが統一的におこなわれたの である。ハン・スーインの『毛沢東』によれば、中国革命は五・四運動以来、文化革命の性格をもっていたというが、延安時代には、今日にいたるすべての問題 の原型がすでにふくまれていたのである。「文芸講話」の「文芸」が、文学や芸術だけでなく、歌舞、演劇、祭りなどをふくめた大衆工作の意味であることも、 今度わたしははじめて知った。(針生一郎、『針生一郎芸術論集 文化革命の方へ』、「われわれにとって文化大革命とは何か」)

この無邪気、無批判に驚くことに加え、おいらが二重にびっくりしたのは、中国共産党に「新左翼」御一行さまと認定された針生らが「文化大革命」を見 に行ったのが、1973年なのである。文革開始後既に7年。その出鱈目さや悲惨さが知られつつあった。何より、ニクソン訪中、角栄訪中の後、しかも日中国 交回復の後だ。文化大革命は1966年に始まり、1968年にはひとだんらくしていた。文化大革命は毛沢東の死まで10年という長期にわたりなされた。で も、この1973年は四人組の跋扈に一般庶民は嫌気がさし、なにより政府機能がマヒし、国家存続が危うかったので、毛自身が「米帝」や「日帝」と手を組む ことを決めた後の時代である。林彪事件は1971年である。こういう状況で、のこのこと「文化大革命」にしびれた"純粋な"針生は中国に行き、見聞録を書 いたのだ。

そして、おいらは、針生が日帝や支那文革にしびれたのを、現時点の視点からみて、「スカばっかりひいていた針生一郎」と揶揄したいわけではない。む しろ逆で、 日帝や支那文革に無邪気に、正にその時代に実経験として、純粋に、心からしびれて、楽しそうだな、とうらやんでいるのである。

■ 針生は何かグループとして訪中した。その御一行さまについて少し、わかったのでメモする。

その訪中団は安藤彦太郎が中国派でない新左翼を勧誘・組織して(オルグして)、中国に連れていったもの、とのこと。

全員で11名だったらしい。 全員の名前を列記した資料はみあたらなかったが、複数の証言を集めると10人の名前がわかった;

安藤彦太郎 [wikipedia]
針生一郎   [wikipedia]
宇井純   [wikipedia]
折原浩   [wikipedia]
小島麗逸  [wikipedia]
高橋晄正   [wikipedia]
むのたけじ  [wikipedia]
棗田金治  [wikipedia]=なし、 [google]
鶴見良行  [wikipedia]
武藤一羊   [wikipedia]

馬場公彦、『戦後日本人の中国像 日本敗戦から文化大革命・日中復交まで』の武藤一羊や小島麗逸へのインタビューにおける彼らの証言録に書いてあった。

11名御一行さまは1か月あまり中国に滞在。

わたしたちの一行のスケジュールで、多くの訪中グループといくらかちがうところがあるとすれば、約1か月の滞在期間の前半を北京にさき、相互討論の時間を比較的多くとったことだろう。 (針生一郎、『針生一郎芸術論集 文化革命の方へ』、「われわれにとって文化大革命とは何か」)

この御一行さまの現地ツアコン(「全行程の案内人」)があの唐家璇 [wiki] であったとのこと。今、wikiを読むと、唐家璇は文革前期(最盛期;林彪死亡前)の1969-1970年には、五七幹部学校に収容されていたと知る。「五七幹部学校」とは中国共産党の幹部用の強制収容所である。

そして、残り1名の名前がわからない。

 


金沢文庫~旧伊藤博文金沢別邸 散歩

2016年05月08日 16時05分11秒 | 東京・横浜

横浜市、金沢区の金沢文庫~海の公園~野島公園~旧伊藤博文金沢別邸を散歩した。

1.京急に乗って金沢文庫に来た。その後、金沢文庫・称名寺

・神奈川県立 金沢文庫 (web site

特別展 「金沢百景~角田武夫の描いた失われた風景~ をみる。

・称名寺

3. 海の公園

4.モノレール沿線; 昭和の住宅

5.野島橋―野島公園

6. 旧伊藤博文金沢別邸

 

旧伊藤博文金沢別邸公式サイト [web site]

8. 金沢八景駅

横浜駅

京急八景島駅から横浜に戻り、早春の京都でいけなかった、イノダ@横浜に行った。

 

▼ 蛇足


https://twitter.com/aritayoshifu/status/726402409707147264?lang=ja

この日、5/5、横浜駅前で、民進党の真山勇一さんが演説していていましたが、聴衆ゼロ でした。

なぜ、そんなに聴衆ゼロと確信を以っていえるかというと、おいらは、寄って行って、罵倒してやろうとおもって、状況を確認したからです。

でも、よわっちいおいらには、罵倒が無理でした。

 

 


新しい街でもぶどう記録;第80週

2016年05月07日 16時57分59秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の来猫

最近来るようになった黒猫。うちのみけが目当てのようだ。

■ 今週の花

■ 今週の圧死; ムカデ


神奈川県、横須賀市

関連愚記事; ある圧死

■ 今週の「羊をめぐる冒険」[愚記事群] ;

吉田羊さんにメリーさんが激怒 [google]

■ 今週の穿ちすぎる正論

朝日新聞がシールズを礼賛したのは、戦前、神風特攻隊の若者を礼賛したのと同じ」 [google]


https://twitter.com/CatNewsAgency/status/727386658866339841

佐藤卓己(京大教授) [関連愚記事]

おいらは、9年前から指摘済み(愚記事;自転車でおいで。Just arrived in Singapore );

だが、ちょっと、待って欲しい

朝日はただ、純粋青年の行進が好きなだけなのだ。 商売になるのだ。

[今日は、ちょっとまって、先日多数派になったらしい、やつのご冥福を]

■ 今週の土人のクニ; 「奇跡」頼みの人工衛星・探査機運営

「ひとみ」運用断念 JAXAが正式に発表 [google]

JAXAがプログラミングミスとデータ送信ミス [google]

  
 関連愚記事群 [はやぶさ]

ニュースは云っている;

今回のトラブルの原因について、JAXAは、「ひとみ」に組み込んだプログラ ムのミスと、地上の担当者が送ったデータの誤りが重なったことで、「ひとみ」が異常な回転を始めてしまったとみられるとしたうえで、その遠心力で、太陽電 池パネルなどが切り離されたと考えられると説明しました。

葉工業大学惑星探査研究センターの松井孝典所長は「基本的には考えられないような失敗で、聞いたときにはまさかと思った。外に出ていく探査であれば、ま だ、いろいろな経験を積まなければならない部分もあるが、地球の周りを回って観測するものは、技術的には確立している。その部分で失敗があると、日本の技 術に対する信頼に懸念も出てきてしまう」と指摘しました。 

そのうえで「今回の失敗の原因がプログラミングのミスということであれば、極めて初歩的なミスで、問題はかなり深刻だ。何百億円もかけて進めるプロジェク トに対して、緊張感を持ってやることができていたのか疑問を持ってしまう。JAXAの体制も含めて、どこに問題があったのか、きちんと明らかにしないと、 将来の探査への影響も懸念される。信頼の回復に向けて、まずは、原因究明を徹底してほしい」と話していました。ソース[1])

基本的には考えられないような失敗で、聞いたときにはまさかと思った

↓ JAXAの体制; この件だってどう責任問題を解決したのか?  どうせ、あいまいにしたんじゃないか?


  土人宇宙飛行士

愚記事;  「現場はぎりぎりのところで一生懸命がんばっている」けど、紛失しちゃった! 

宇宙航空研究開発機構は13日、スペースシャトル「ディスカバリー」で、国際宇宙ステーションから、先月、地上に持ち帰ったはずのウコンや大豆などの種子を紛失したと発表した。  国内企業から有料で請け負った事業で、昨年8月に、日本実験棟「きぼう」に持ち込んだ種子は、回収後、教育活動などに利用される予定だった。今回のフライトでは、山崎直子宇宙飛行士が、荷物搬入・搬出の責任者だったシャトル帰還時に積み忘れたのか、地上での荷物開封時に行方不明になったのかは、米航空宇宙局が調査中。

[1] ソース

2016年04月28日 (木)

「ひとみ」運用断念 JAXAが正式に発表

先月から通信が途絶えている日本の天体観測衛星「ひとみ」で、2つの太陽電池パネルがいずれも衛星本体から分離しているとみられることが分かりました。JAXA=宇宙航空研究開発機構は、復旧の見込みはないと判断し、「ひとみ」の運用を断念することを正式に発表しました。

ブラックホールなど宇宙の謎に迫ろうと、およそ310億円をかけて開発され、ことし2月に打ち上げられた日本の天体観測衛星「ひとみ」は先月26日に通信が途絶え、制御を失って回転するとともに、一部は分解したことが分かっています。
こ の問題で、JAXAは28日午後3時から記者会見を開き、これまでの解析の結果、2つの太陽電池パネルがいずれも衛星本体から分離しているとみられること が分かったことを明らかにしました。そのうえで、JAXAは、太陽電池パネルがなければ「ひとみ」の電力は回復しないことから、復旧の見込みはないと判断 し、「ひとみ」の運用を断念することを正式に発表しました。

今回のトラブルの原因について、JAXAは、「ひとみ」に組み込んだプログラ ムのミスと、地上の担当者が送ったデータの誤りが重なったことで、「ひとみ」が異常な回転を始めてしまったとみられるとしたうえで、その遠心力で、太陽電 池パネルなどが切り離されたと考えられると説明しました。
JAXAの常田佐久宇宙科学研究所長は、人為的なミスがあったことを認めたうえで、「本 来は人間に誤りがあった場合でも、どこかの過程で警告や修正が行われるべきで、そうしたシステムになっていなかったことが問題だ」としました。そして、直 接的な原因の究明を進めるとともに、今回のトラブルの背景にある設計や製造段階の問題、衛星本体やプログラムのチェック体制や、運用体制などの問題につい ても徹底して検証を進める考えを明らかにしました。

日本の人工衛星や探査機が運用断念に追い込まれるのは、エンジンの噴射に失敗し、火星 を回る軌道に入ることができなかった13年前の火星探査機「のぞみ」以来です。日本の人工衛星や探査機では、その後も小惑星探査機「はやぶさ」や、金星探 査機「あかつき」でトラブルが相次いでいて、JAXAの開発体制にどのような問題があるのか厳しく問われることになります。

プログラムとデータ送信にミスか

これまでのJAXAの解析で、今回の一連のトラブルは「ひとみ」のプログラムのミスや、地上の担当者が送ったデータの誤りが原因になっていると考えられています。
3月26日の午前4時すぎ、「ひとみ」は「機体が回転している」と認識し、回転を止めようとする力をかけたとみられます。ところが、実際には機体は回転しておらず、回転を止めようとする力によって、誤って機体を回転させることになってしまったとみられています。
そ の後、本来なら、その回転を止めるための操作が自動的に行われるはずでしたが、地上の担当者が「ひとみ」に送ったデータに誤りがあり、回転をさらに速める 操作が行われてしまった可能性があるということです。この結果、「ひとみ」に異常な遠心力がかかることになり、太陽電池パネルなど衛星の一部が分解したと みられています。
JAXAは、「ひとみ」が誤った動きをしたのは、プログラムのミスが原因になっていると考え、詳しく調べています。

「宇宙の天文台」世界に影響

「ひとみ」は、JAXAがNASA=アメリカ航空宇宙局の協力も得て、およそ310億円をかけて開発した最先端技術を集めた「宇宙の天文台」です。
光では観測が難しい天体をエックス線を使って高い感度で調べるもので、JAXAによりますと、こうした高度な観測の分野では、装置が巨大化、高額化していて、1つの国で賄うことが難しくなってきているということです。
こ のため各国が協力して、世界で1つの観測衛星を打ち上げる協力態勢ができあがっていて、「ひとみ」は、次の衛星が打ち上げられる2020年代後半まで世界 の観測の中心となるとみられブラックホールなど宇宙の謎に迫れると、世界の天文学者から大きな期待が寄せられていました。
今回の運用断念によって 世界の観測計画に大きな影響が出るのは確実で、JAXAの常田理事は記者会見で「ひとみと同じような機能でより発展した衛星が打ち上げられるのは2028 年。それまで12年間あるが、その間のかなりの部分をひとみが活躍することをわれわれも期待していたし、世界中の天文学者も期待していた。その期待に応え られなくて大変申し訳なく思っている」と謝罪しました。

JAXA元責任者「技術開発の蓄積ある分野で失敗」

JAXAの衛星開発の元責任者で、日本宇宙フォーラムの常務理事の吉冨進さんは、まず「300億円をかけた衛 星の喪失は非常に大きく残念だ」と述べたうえで、小惑星探査機「はやぶさ」や金星探査機「あかつき」が当初予定していた観測ができなくなるなど、日本の衛 星でトラブルが相次いでいることについて、「地球から遠く離れて飛行する『はやぶさ』や『あかつき』は、衛星の技術としては非常に挑戦的で難しい部分もあ るが、今回のような地球を周回する衛星では、これまでの技術開発の蓄積がある。こうした衛星での失敗は、JAXAの中にもショックというか、危機感がある のではないか」と指摘しました。
そして、今回の失敗について「衛星を設計するときには、人のミスを前提にして、1つの故障が起きてもシステム全体がだめにならないようにする『フェールセーフ』という考えがあるが、今回はどこかに盲点があったと考えられる」という見方を示しました。
そのうえで「世界の宇宙開発の中で、これで日本がだめだとらく印を押されることはないと思うが、JAXAは早急に原因究明を行い、同じことが2度と起きないよう、調査結果をほかのプロジェクトにも反映させることが求められている」と話しています。

専門家「考えられないような失敗」

宇宙開発に詳しい千葉工業大学惑星探査研究センターの松井孝典所長は「基本的には考えられないような失敗で、 聞いたときにはまさかと思った。外に出ていく探査であれば、まだ、いろいろな経験を積まなければならない部分もあるが、地球の周りを回って観測するもの は、技術的には確立している。その部分で失敗があると、日本の技術に対する信頼に懸念も出てきてしまう」と指摘しました。
そのうえで「今回の失敗 の原因がプログラミングのミスということであれば、極めて初歩的なミスで、問題はかなり深刻だ。何百億円もかけて進めるプロジェクトに対して、緊張感を 持ってやることができていたのか疑問を持ってしまう。JAXAの体制も含めて、どこに問題があったのか、きちんと明らかにしないと、将来の探査への影響も 懸念される。信頼の回復に向けて、まずは、原因究明を徹底してほしい」と話していました。

 

投稿者:かぶん |  投稿時間:18:40  | カテゴリ:科学のニュース

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相模 大山(さがみ おおやま) 登山

2016年05月06日 21時17分29秒 | 東京・横浜

伯耆 大山(ほうき だいせん)[愚記事]ではなく、相模大山(さがみおおやま)に行った。

東京近郊では高尾山(愚記事)に並ぶお手軽な山とされている。

大山(おおやま)は、神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市境にある標高1,252mの山である。丹沢山などの丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、神奈川県有数の観光地のひとつである。日本三百名山や関東百名山のひとつでもある。wikipedia)


図のコピペ元、 サイト

上マップの右下の「大山ケーブルバス停」に伊勢原駅から来た。

当初はケーブルカーに乗り、山腹の阿夫利神社まで、足を使わず、行くつもりだった。

でも、GW最中の休日で、ケーブルの乗車待ち時間が45分とのアナウンス。

足で登ることにした。 女坂。 

▼ 山頂です;

この日、7合目あたりから、ガスる。 見晴らし、きわめて悪かった。 景色を楽しむことは全くできなかった。

▼ 下山

 

下山はケーブルカーに乗りました。

 


三浦半島 荒崎、城ケ島; 波食棚、海食崖 参り

2016年05月05日 18時38分47秒 | 東京・横浜

1. 京急・三崎口駅

2.三崎口駅から荒崎海岸まで歩く;

3. 荒崎海岸

海岸べりを歩いていたのを、一旦、高所に上る。

そこは、平坦地。

ソレイユの丘; web site  : 三浦半島、農&海の体験パーク
(おいらは外からみただけ)

再び、海岸に降りました ↓ 。

ネコ捨て海岸; CCTVが...。

いやいや、CCTVが見守ってくれてるということは、やはり、しなにゃん実現を実施しているのか?

狸さまが散歩する海岸

「領主」さま

5→6. 荒崎からバスで三崎口へ戻る

海岸部以外は平坦地。

6→7 城ケ島へ

三崎口駅でバスを乗り換えて、城ケ島へ

7 

 

7→8 三崎港→城ケ島

三崎港から城ケ島へは橋を渡ってもいけるが、船も出ている。5-10分で着きます。300円。

9 城ケ島の海食崖と海食棚

 バスで三崎口駅まで戻り、京急に乗って、横浜に帰りました。


横浜市横断:東京都町田市⇒神奈川県川崎市 散歩

2016年05月03日 06時46分23秒 | 武相境

横浜市を横断する散歩をした。横浜市と町田市(東京都)境界から川崎市との境界までの散歩。

目的は、武相斜面を横浜市街地の低地まで歩いて行ってみること。特に、地理オタの聖地?の下末吉の見物。

背景;

① 武相斜面に来て1年半になるが、横浜のことがよくわかってないので、歩いて少しでも実感したい。

② 2年前、筑波山麓在住時、東京斜断散歩をした(愚記事;東京散歩 、東京散歩 )。2年前の東京散歩の動機は、この先西日本の方に転勤になるはずであったので、東京ともおさらばということで見納めに散歩をした。ところが、西日本への転勤が頓挫し、京浜地区への転勤となった。その2014年の東京散歩での関心は、「東京散歩①」では河川、「東京散歩②」では台地の開析/段丘崖( i, ii )の形成であった。

ところで、東京の都心の台地(開析でかなり崩壊が進行中だが)の大部(淀橋台、目黒台、荏原台)は「下末吉海進」の時の堆積層が海退で陸化してできたもの。これを下末吉台地(を模式とする同時代の台地)という。 皇居を含む 新宿など東京の繁栄地を載せている台地の標準となる台地は東京にあるのではなく、横浜にある。

[註] 2022/10/8記;  皇居が載っている台地は武蔵野台地。地表面は武蔵野面。 

この「下末吉」という地理学ででてくる地名について、実際にどこにあるのか?どういう状態にあるかは知らなかった。数か月前、初めて、地図で調べてわかった。鶴見区とか鶴見川とか全く知らなった。そこで、「下末吉」を見物に行く。


図A 地図。 散歩行程;1⇒12。 数字はブログ記事の項目と図Bの数値に対応


図B 地形図。 

1. 多摩丘陵地域

 

多摩丘陵を恩田川を目指して、下る。

多摩丘陵

2.恩田川

 

恩田川まで降りるとかなり平地があります。

3. 恩田川-東急田園都市線交差地点

恩田川沿の段丘崖を発見

4 ⇒ 5 恩田川沿い、緑区あたり

このあたりは恩田川沿いは平坦地が広がる。土地利用は農地。上画像、畑の遥か向こうに森が見える。これは丘陵地。

 

この地域、農家が多く、農家向けの「園芸センター」があった。

農家は土蔵付きの瓦屋根の屋敷に住み、鯉のぼりを上げている。この様子は筑波山麓のはぶりのいい農家と同じである。

アジア物性材料 [google]

5 恩田川・鶴見川合流点

鶴見川の千代橋を渡り、都築区方面へ

佐江戸町付近

5⇒6の間

鴨居。 画像なし。鴨居は、鶴見川から離れ、大型商業施設・ららぽーと横浜の前を通過。

その直前に、例の杭打ち不足マンション・パークシティLaLa横浜の横を通過。

鴨居に初めて行く。場所の位置関係と意味を事実上初めて認識。鴨居は平坦な土地が広がる。こういう状態だから、工場とか商業施設とかに利用しやすい。ただ、鶴見川沿い周辺は下末吉層(今の下末吉台地を構成する地層)が下末吉海進と縄文海進の間の間氷期に浸食作用で谷となり、その谷が縄文海進の時期の堆積作用でその谷が土砂により埋没した。だから、堆積地域だから平坦。でも年代の浅い堆積地域なので地盤が軟弱。高層建築には、杭をちゃんと打たないと、向かない。

マンション・パークシティLaLa横浜事件の背景だ。

6.リバーサイドあべ

高速道路工事中

7. 鶴見川、直角に屈曲する場所

鶴見川を流れに沿った接線方向で見た画像。 正面に建物。 鶴見川は北(画像左)に屈曲。


屈曲地点の対岸。鶴見川はこの岸を乗り越えられず、90度流れを変え、北に流れる。

8.鶴見川、新羽橋を渡る

9 大倉山付近

 

0~3才 はじめてのHIPHOP

9⇒10.

10. 三ツ池公園への入口、梶山橋と三ツ池公園

三ツ池公園

段丘崖を利用した遊戯を見た。

11. 下末吉台地端部

 

段丘崖に立つ集合住宅。

V字路。左が台地平坦徒地を走る道。直進が台地から低地への段丘崖を下る坂。でも、段丘崖はすっかり「なめされて」いて、坂の傾斜は緩い。

段丘崖のきれいな画像がとれなかった。下記画像(横浜県立博物館資料のコピペ)を載せる;

12. 横浜市―川崎市境界

・ 8時間ほどかかった。

・一日歩いて、顔が痛くなった。帰って鏡を見ると赤くなっていた。日焼けだ。GWは"南の島"に行ってきたといっても通るくらい焼けてしまった。

近所の、散歩しかしてないのに。

恐るべし、紫外線!

 


重光葵受難84年;ハンディ・キャップ国家の一里塚; 尹奉吉義士「上海義挙」84周年

2016年05月01日 21時41分15秒 | 日本事情


1932年4月29日、上海天長節爆弾事件直前の画像[wiki]。
中央の無帽の文官が重光。
重光葵が両足であった最後の瞬間;

84年って半端な年ではあるが、下記ニュースで、「重光葵受難84年」と気づく。


コリアの新聞・中央日報、尹奉吉義士「上海義挙」84周年

われらがネトウヨの反応; 尹奉吉義士「上海義挙」84周年 日本の陸軍大将らを爆死させた ← またテロリスト祭り上げとる

おいらは、2012年に尹奉吉さんの顕彰館に行っただよ(愚記事; 上海参り2012)。

コリアン諸君はひとりもおらんかった。っていうか誰もおらんかった。忙しい?コリアンに替わって、チャイニーズ諸君が顕彰っしているわけでもなかった。

上海参拝前に「書物に傍線を施しては」尹奉吉さんの顕彰館の見物を計画し、おそらく大勢いるであろうコリアン諸君に「おまえ、日本人だろう!」とからまれたらどうしよう!と想定していた。ぶん殴られたら、ぶん殴られたで、ブログネタにでもしようと 口先 脳先で考えても、びびって、行った。

コリアン諸君はひとりもおらんかった。

さて、ハンディーキャップ国家;

片足を失なうも生き残った重光葵のその後は有名;

重光葵=片足ない=ハンディキャップ。

敗残国も、そのうち、講和を経れば、普通の国=戦争をする権利を有する主権体になるのが、世界普遍の原理であるはずなのだが、

われらが戦後ぬっぽんが選択した道は、戦争する権利を放棄し、むしろ政府から戦争する権利を剥奪した憲法=マッカーサー憲法を改正しないことであった。

戦争できない国=主権を制限された国を、ハンディーキャップ国家と称し、その国のあり方を語るのがハンディーキャップ国家論[google]に他ならない。

朝鮮儒者(の子)が投げた爆弾の爆風の余波が未だ肌に感じる当世ぬっぽんではある。