いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第278週

2020年03月07日 17時48分58秒 | 草花野菜

▲ 今週の看猫
▼ 新しい街でもぶどう記録;第278週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の花

■ 今週の売り場

■ 今週の表示

■ 今週知ったこと;GHQ デザイン部、 ヒーレン・S・クルーゼ少佐


代々木公園に残る米軍ハウス(ワシントンハイツの遺構)愚記事より

今、「米軍ハウス」と日本で呼ばれている家屋の英語は、dependents housing。略してDH 。dependents =扶養家族なので、家族持ち兵士用住宅。家族持ちの米兵=事実上、将校クラスの住宅。

DHの設計の中心となったのが、GHQ技術部デザインブランチの責任者ヒーレン・S・クルーゼ少佐。彼は日本の大工が効率的に建築できるように、インチを尺寸法に書き換え、当時アメリカの主流だった2×4ではなく木造軸組工法で建築できるようにした。代々木公園一帯にあった米軍ハウスから学ぶ「向こう三軒両隣」

敗戦後、米占領軍の住宅を設計したのは、太平洋陸軍總司令部技術本部設計課、ヒーレン・S・クルーゼ少佐 (Heeren S. Kruse) という人と知る。少佐とはいっても徴用/出向してきた建築家 or 工業デザイナー。"シカゴに本拠地があるシアーズ・ローバック⑤のチーフデザイナーであった"


⑤ シアーズ・ローバックは19世紀末にシカゴを本拠地として誕生した百貨店とカタログ販売を中心とした流通業で「Sears」のブランドでも知られる。1973年にはシカゴに当時世界一の高さを誇った「シアーズ・タワー」を建設した。 [1]  

[1] 山内陸平 20世紀のデザインあれこれ 家具タイムズ連載記事、 1946年 焼け跡からのモノづくり—DH家具

米軍住宅は家屋と調度の設計がヒーレン・S・クルーゼ少佐により管理されたので、事実上、「Sears」仕様ということだ。設計は米軍だが、請負・製造は日本人 。費用は、「日本占領米軍に払ったわれわれのお金」

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3月6日 1,391 401

 


ネット広告でみた親米派@真打=米軍ハウスに住みたい!

2020年03月04日 19時40分47秒 | 日本事情

愚ブログの「親米派」シリーズ;①黒塗りの家に住む親米派②赤レンガの家で中国整体を営む親米派、③蔦に覆われちまった親米派④犬を連れた親米派⑤絵にかいたような「親米派」、に続く第6弾。

ネット広告でみた;


https://suumo.jp/chumon/koumuten/rn_bruce/149045_0000_12/jitsurei/jc_0018/

「50'sのスタイルが好きで、家を建てるなら米軍ハウスをイメージした平屋にしようと決めていたんです」

米軍ハウスに住みたい!と言っているひとをエビデンスとして初めてみたので、記録しました。

愚記事;昭和記念公園2019、砂川口から出て基地外の米軍ハウス(維新もの)を見た、でみたように、米軍ハウス(維新もの)があり、実際、人が住んでいるのだから、そういう人たちは米軍ハウスに住みたい!と思って住んでいるのだろう。でも、「声」として米軍ハウスに住みたい!と言っているひとを初めてみた。