占領米軍用の扶養者家族官舎の内部のカタログ的風景
(おそらく)『デペンデントハウス(DEPENDENTS HOUSING)』(1948)よりの画像
「白物家電」は、なぜ白い?、って白いから白物家電に違いない。疑問は、冷蔵庫、洗濯機など家事関連電気製品は、なぜ白いのか?ということ。
全く知らなかったが、昨日、ネットで知った。1945年(昭和20年)の敗戦後の占領米軍による指示だというのである。伊藤潤(東京工科大学デザイン学部,東京大学大学院工学系研究科)という研究者の論文 [2017年]、「白物家電」の誕生20世紀の日本における主要工業製品色の変遷(1) [リンク先]、に書いてある。
シカゴに本拠地があるシアーズ・ローバックのチーフデザイナーでから陸軍に出向した太平洋陸軍總司令部技術本部設計課、ヒーレン・S・クルーゼ少佐 (Heeren S. Kruse)が鍵人物だ(昨日の愚記事)。
【要旨】
日本では第二次世界大戦前より家電製品の国産化が始まっていたが,その色彩は必ずしも白くはなかった.第二次世界大戦後「DH住宅(Dependents Housing)」と呼ばれる連合軍住宅向けの什器として,「白い」製品が大量にGHQから要求されたが,その中には冷蔵庫や洗濯機等の家電製品も含まれていた。GHQのデザインブランチの責任者である陸軍少佐クルーゼ(Heeren S. Krusé)は,自身の嗜好よりも入居者となる一般的なアメリカ人の嗜好を優先してデザインを監修していたため,「白い」空間や製品の要求は当時の一般的なアメリカ人の嗜好を反映した結果だと考えられた。GHQからの要求が終了した後,各企業が納入品を民生用に転用した結果,白い家電製品が日本に普及することとなった。
(本文より抜粋)
1946(昭和21)年3月6日,GHQは日本政府に対しSCAPIN 第799号「占領軍およびその家族住宅建設計画に関する件(Housing Program for Occupation Forces and Their Dependents)」を発し,日本の各地に2万戸の占領軍家族用住宅Dependents Housing,所 謂「DH住宅」の建設を命じた。このSCAPIN第799号では,住宅そのものだけでなく,家具,什器,家電製品まで要求された。例えば冷蔵庫は,6立方フィート20,000台,12立方フィート280台,110立方フィート 80 台というように,サイズと数量も指定されていた。 実際に納入された製品の仕様については,事業を担当した日本人スタッフによってまとめられた『デペンデントハウス(DEPENDENTS HOUSING)』(1948)という資料がある。同書には,太平洋陸軍總司令部技術本部設計課(Chief Design Branch OCE GHQ AFPAC)の陸軍少佐ヒーレン・エス・クルーゼ(Heeren S. Krusé)が序文を寄せているが,その中で 「本書に示された住宅は,連合軍家族の大部分に適合するものと考へられるのであるが,又同時に日本人にとつては新住居・新生活様式の先驅と見做され得るものである。」と述べている。これが「DH住宅」のデザインコンセプトだったのであろう。クルーゼはデザインの統括をする立場にあったようだが,その人物について,日本側の家具設計主任であった商工省工藝指導所の豊口克平が以下の様に記している。クルーゼ少佐は建築家ださうだが日本の建築家の様ではなく,建築そのものの技術に關聯する室内調度としての家具に對して豊かな常識を持って居るため,實に懇切微細な指示を即座に與へられたし,又吾々の技術を日本の現状といふ特殊な意味で採り擧げて生産の現實化を確實にさせた事は實に感謝すべきことである。
納入された什器に関して,戦災復興院特別建設局業務部設備資材課總理廳技官の濤川馨一が「一言にして云へば設計,仕様については殆ど大部分米側から示された米國の製品と同じものを要求され,さうでないものについても米側の詳細な指示を受けて作つた見本品について承認を得たといふ事である。」と述べている*28。「電気器具の内電気スタンド,アイロン,トースター,コーヒー沸器等は入つてゐるが,電氣冷藏庫,電氣ヒーター,電氣レンヂ等は「エンジニーヤ」扱の建設資材品目に含まれ「クオーターマスター」品目からは除かれてゐる。」*29とあるので,什器とは扱いが異なったようだが,GHQ側の基本的な姿勢はアメリカの製品デザインをそのまま日本で再現する,ということだったと考えてよいだろう。家電製品については,トースター,ドリポレーター(電氣濾過器),ホットプレート(電氣小型レンヂ),電氣冷蔵庫,電氣洗濯機,電氣レンヂ,電氣湯沸器,電氣ストーブの設計図が『デペンデントハウス』に示されており,また,電気掃除機も明るい色(「白」かは不明)の仕様であることが同書の写真から見てとれる。1946(昭和 21)年の『工藝ニュース』第14巻3号には「進駐軍家族用厨房用品」の紹介があり, 「全溶接高級仕上鋼板製外部を白色對熱塗料で仕上げ明るい美しい清潔感を與へる高級品」(電氣厨房用竈(筆者註:「電氣レンヂ」のこと))や「外部は白色ラッカーエナメル仕上げの優美なもの」(電氣冷蔵器)といった記述が見られ* 30,実際に納入された製品が白かったことが確認できる。 また,『デペンデントハウス』に「白」仕様が明記された什器は家電製品以外にも少なくない。それらを以下に記す。・冷 蔵庫(3種類):鉄板白エナメル吹付/檜ブリキ白エナメル/檜・ブリキ。外部透明ラッカー又は白エナメル内部銀色エナメル・ソース鍋セット:鉄板・白色琺瑯仕上・二重鍋:鉄板・白色琺瑯仕上・パン入れ箱:ブリキ 白ラッカー吹付・芥入:アルミニューム・鉄板白ラッカー・ちり取:ブリキ 白ラッカー仕上ここでの「冷蔵庫」とは氷冷蔵庫(ICE BOX)のことである。 「芥入」の「アルミニューム・鉄板白ラッカー」は,写真から判断するに,内筒が「アルミニューム」製,外筒が「鉄板白ラッカー」だと思われる。氷冷蔵庫も「白」,という仕様にも注目すべきだが,それ以上に「芥入」も「ちり取」も「白」,というのは結構な「白」への執着といえよう。
ヒーレン・S・クルーゼ少佐 (Heeren S. Kruse)が率いる太平洋陸軍總司令部技術本部設計課は、住宅から家具、調度、電気製品まで設計し、日本の業者に作成させた。
バウハウス的なものが占領下日本で米占領軍により発生したのだ。
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