草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

建国記念の日と『古事記』に記された磐余彦尊の偉業

2011年02月11日 | 思想家

 今日は建国記念の日にもかかわらず、そのことについてマスコミは、一切報道しない。肥後和夫の『歴代天皇紀』を読みながら、岩波文庫の『古事記』にも目を通してみた。『古事記』と『歴代天皇紀』によると、神武天皇というのは、奈良時代になっての諡名(おくりな)で、初めは磐余彦と呼ばれたという。生まれは日向で、兄弟4人して、宇佐、岡水門、安芸、吉備を経て、浪速から生駒を越えて奈良盆地を目指したが、土豪長髄彦の逆襲に遭って苦戦した。熊野に上陸したときには、すでに兄3人は戦死していたが、そこで霊剣を授けられ、八咫烏の導きによって吉野に入った。そして、宇陀や磯城を平らげ、最後に長髄彦を滅ぼし、奈良盆地を平定した。金色に輝く鵄(とび)が飛んできて、弓の弭(はず)にとまったのは、建国時の逸話である。その後、畝傍山の麓の樫原の地に大宮を立て、そこで天皇としての位に就かれた。『日本書紀』によれば、辛酉(かのとり)の年の正月朔(ついたち)であったので、それを太陽暦に換算して、2月11日としたのである。いかに神話であったとしても、古から続く日本の建国に思いをはせることは、大きな意味があるのではなかろうか。それを教えなくなってから、国のかたちが壊れ始めたのである。  

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菅首相の無能無策で現実味を帯びてきた解散総選挙

2011年02月11日 | 政局

 衆議院解散の可能性が高まってきている。菅直人首相は、またまた小沢一郎のことでしくじった。脱小沢を演出しようとして、かえって党内の対立を先鋭化してしまった。参議院のねじれもあって、平成23年度の予算関連法案の成立は、ほぼ絶望的になったといわれる。内閣支持率も低迷を続けている。なりふりかまわぬ権力維持の姿勢が、国民に見透かされてしまったからだ。与謝野馨をたちあがれ日本から引き抜いたと思ったらば、今度は社民党への急接近である。数合わせにだけ終始している姿は、あまりにも見苦しい。産経新聞で中曽根康弘元首相は「早ければ、通常国会会期末には衆院解散という可能性がかなり高い情勢になった」と述べている。中曽根の見方は間違っていないと思う。政局は急展開しつつあるのだ。今自民党がすべきは、日の丸と君が代を愛し、国益を最優先に考える政治家の発掘である。世界は今なお暴力の海のただなかにある。牙をむいて襲いかかろうとする国家が存在する限り、それに身構えなくてはならない。しかも、自分たちの国は、自分たちの手で守るという気概がなくてはならない。アメリカ頼みからの脱却が求められているのあり、いよいよ天下分け目の関ケ原である。  

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