草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

大義を見失った時点で小沢一郎は終わっていた

2011年02月05日 | 思想家

 小沢一郎が二階堂進の墓前に手を合わせたというのには、またまた嗤ってしまった。ロッキード事件で灰色高官と目された二階堂が、田中派の会長を務めたのは、田中角栄の信頼が厚かったからだろう。だからこそ、竹下登を担いで、小沢が創政会を結成したときには、二階堂グループを率いて、田中派の跡目争いをしたのだ。その騒ぎが表沙汰になってから間もなく、田中は脳梗塞で倒れたのだった。昭和60年のことである。小沢は、権力闘争に勝ち抜くことで、ここまで自分の地位を維持してきた。小沢は田中に弓を引くことになったことを、今では悔いているといわれるが、自分自身が裏切られる立場になって、ようやく田中や二階堂の気持ちが分ったのだろう。その後も小沢は、竹下派を割り、そして、自民党を割った。当初の大義名分は『日本改造計画』で述べているように、普通の国家にすることであったはずだ。国際社会において当たり前のことを、当たり前に考えて、それを実行する国にしようとしたのだ。念頭に置いていたのは、国の根幹に関わる安全保障の問題であった。しかし、それは大きく変節してしまった。サヨクと妥協することで、後退を余儀なくされたからだ。その時点で、政治家小沢一郎は終わったのである。今さら二階堂でもあるまい。

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