日本の憲法学者の多くが、日米安保条約や自衛隊を認めてこなかった。憲法九条を楯にして違憲だと決めつけたのである。その意見に従っていれば、日本の平和や安全を維持するのは困難であったろう。三島由紀夫は林房雄との『対話日本人論』で、痛烈に日本のインテリを批判していた。「僕が思想家が全然無力だというのは、経済現象その他に対してなんらの予見もしなければ、その結果に対して責任ももってないというふうに感ずるからです。第一、戦後の物質的繁栄というのは、経済学者は一人も寄与していないと思いますよ。僕が大蔵省にいたとき大内兵衛が、インフレ必至論を唱えて、いまにも破局的インフレがくるとおどかした。ドッジ声明でなんとか救われたでしょう。政治的予見もなければなんにもない。経済法則というものは、実にあいまいなのもので、こんなに学問のなかであいまいな法則はありませんよ。それで戦後の経済復興は、結局戦争から帰ってきた奴が一生懸命やったようなもので、なんら法則性とか経済学者の指導とか、ドイツのシャハトのような指導的な理論的な経済学者がいたわけではないし、まったくめちゃくちゃでここまできた」。三島にとってそれは経済学者にとどまらなかった。「憲法学者というのは、ほとんど曲学阿世」とまで罵倒した。日本のインテリが安穏としていられるのは、学界がムラ社会であるためだ。お花畑であっても批判されることはないからだ。三島由紀夫は憲法改正を主張して自決したが、それは同時に「曲学阿世の徒」である法学者への挑戦状でもあったような気がしてならない。
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