草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

村本大輔の暴言はリベラルの思想とはまったく無縁だ!

2018年10月08日 | 思想家

村本大輔の暴言は、単に粋がっているレベルであり、反権力を表看板にすれば、何でも許されると思っているからだろう。百田尚樹に「極右」とレッテルを貼り、身体的な欠陥をあげつらうのは、全体主義者のスターリニストの言い草であり、リベラルとは無縁である▼村本は齋藤純一の『自由』を手に取って読むべきである。ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(早坂忠訳)を引き合いに出し、国家権力の圧迫よりも「人びとが相互に及ぼす水平的な権力のうちに自由の敵を看取し、そうした権力を『社会的専制』と呼んだ」と指摘している。ミルが「行政官の専制から身を守るだけでは十分ではない。支配的な世論や感情の専制に対して防衛することも必要である」と書いていることに、わざわざ言及したのである▼いくら村本であっても、自らの考え方を絶対視しなければ、あのような発言はできない。それを正当化しているのが「社会的専制」なのである。さらに、齋藤はハンナ・アレントとの「他者の自由は、『他のように』あろうとする私の自由にとっての不可欠の源泉である」との思想に共鳴している。保守派にも他者を一刀両断にする識者がいるが、それは本人にとっても損なのである。今からでも遅くはない。村本はリベラルに立脚する思想を学ぶべきである。保守派を挑発して喜んでいるのは、あまりにも品がなさ過ぎる。

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国を憂うる保守派を「ネトウヨ」と罵倒する朝日を嗤う!

2018年10月08日 | 思想家

「ネトウヨ」という言葉は、保守派のネット民に対しての罵倒である。その定義は曖昧であり、朝日新聞などは中共や韓国、北朝鮮を批判するだけも「ネトウヨ」とレッテルを貼っている▼国際法に従わず、難癖を付けて来る国家に向かって、正論を吐くことすらも許さないのである。保守派のネット民の多くは、現実的な物の見方をしており、極端な排外主義者は、ほんの一握りでしかない。声高に相手を罵るというのは、日本人の性分に合致しないからである▼西田幾多郎の『哲学の根本問題』には、日本人の生き方の根本理念が書かれている。「我々は死によって生きる者として、即ち自己自身を限定するものを認めることによって、即ち自己自身を限定する世界の内に於て神の言葉を聞くということによって、我々は真に生きると云うことができるのである」▼保守派と呼ばれる人たちは謙虚である。自分たちが絶対だというプロパガンダを振り回すわけではない。日本という国家の危機に当たって、皇室を中心にしてきた歴史や伝統を踏まえて、我々が何を為すべきかを自らに問うているのである。このままでは日本を取りもどすどころか、亡国への道を歩むことになる。国難を乗り切るには、声なき声の日本人が結束しなければならない。その力を与えてくれる「神の言葉」は、最終的な拠り所としての日本の国柄なのである。

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