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日本のデモクラシーに欠如しているのは規律である。佐伯啓思が「わたしには、現代日本の『不幸』はデモクラシーが成立していないからなのではなく、むしろ、そのデモクラシーがあまりにも規律をもたず、いわば無責任な言論の横溢をもたらしているところにある」(『現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか』)と警鐘を乱打したのは、間違ってはいないのである。
その本が出たのは1997年であったが、そのときよりも今はなお深刻になっているのではないだろうか。佐伯は「広い意味における言論の乱れ、時には無責任、あるいは確信喪失こそが、現代日本の漂流の重要な原因ではないか」と指摘している。拠って立つ基盤があやふやであるから、まともな正論を口にできないのだろう。過去からの連続性を否定し、昭和二十年八月十五日を境にして、全てが一新されたかのような幻想を抱かせる戦後民主主義によって、日本人は大事なものを見失ってしまったのである。
また、佐伯は「デモクラシーはひとつの意思決定の方式にすぎない。それがうまく働くかどうかは、それを支える精神の働きや信念の体系が確固としているかどうかにかかっている」とも書いているが、「信念の体系」とは、日本人が日本人であるということをベースにしているのではないだろうか。
昨今のマスコミの統一教会騒ぎは、たかだか8万票があるかないかの宗教団体が、自民党を支配しているかのような報道である。現在の自民党は公明党と連立政権を組んでいるのである。公明党の母体は創価学会である。統一教会の影響力など微々たるものであるのは、誰でも分かりそうなことだが、マスコミはいつもながらの自民党批判で躍起になっているのだ。どうでもいいスキャンダルを取り上げ、日本人の生命や財産を守ることには無頓着なマスコミに、繰り返し騙されるようでは最悪であり、姦しい統一教会騒ぎも、あまりにも常軌を逸している。