テロリズムは政治には付き物である。カール・シュミットの「政治の最も重要な任務は誰が友で誰が敵かを決断することにある」との言葉をあまりにも有名である。
しかし、安倍さんを暗殺したテロリストや立花孝志さんを襲った者は、日本のテロリストの伝統とは無縁である。来島恒喜、旭平吾、山口二矢といった人たちは、敵に対するテロを決行したのちに自決している。葦津珍彦によれば、それが「日本のテロリストの伝統」だという。
いかに自分の行為が正義だとしても、相手の命を絶つことへの道義的責任は免れないからである。安倍さんの暗殺犯は、自らの正当性を主張するだけで、そうした意識は皆無のようである。つまり、人を殺めることを何とも思わないのである。
立花さんを襲撃した人間は犯行後に薄ら笑いを浮かべていた。政治的なテロというよりは、誰でもよかったのではないか、と思えてならない。ネットやマスコミの犬笛を聞いて、精神的に病んでいる人たちは、欲求不満のはけ口を、特定の個人に抱くようになるのではないか。一方的な報道をするテレビや、「ウジ虫」とか「ダニ」とかいう言葉を平気で口にする者たちは、それが他者にどれだけの影響を与えるかを考えたことがあるのだろうか。