草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国民民主は自民と連立し政権の一翼を担うべきだ

2023年09月03日 | 政局
 国難の時だからこそ自民党と国民民主が連立を組まなくてはならない。自民が国民民主との間で連立協議の打診を検討しているのは、当然の成り行きである。
 安全保障上の危機を乗り切るには、それしか手がないからである。今は小異を捨てて大同に就くときなのである。安全保障政策や経済政策では、日本維新の会も現実的な議論の輪に加わるべきだろう。
 ようやく日本を守り抜くための戦線が構築されることになる。岩盤保守は自民の党員100万人のうちの3分の1はいる。そこに連合約700万人のうちの民間労組100万人が加わればそれなりの数になる。
 私たちが待望している挙国一致内閣が一歩踏み出すのである。財務省の影響力を排除するために積極財政派を結集し、安全保障の面では国防力の充実によって、日本が戦場になることは何としても阻止するのである。
 民主的な労働運動の旗を掲げてきた旧同盟は、自民に以上に独裁の共産党とやり合ってきた。民社研の武藤光朗、中村菊男、関嘉彦といった人たちが論陣をはったのだ。
 民社党の党首であった西尾末広は「この道が正しいと思ったら、勇気をもって、常にはっきり直言する、これが私の流儀である」との言葉を吐いた。
 玉木代表はいかなる批判があろうとも、国家国民のことを考えるべきである。台湾有事は目前に迫っているのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保守派が理想とするのは金も名もいらぬ常識人だ

2023年09月03日 | 思想家
 保守派という言葉を吟味もせずに使われているが、一体保守派とはなんだろう。リベラルや左翼政党とどこが違うか、考えたことがあるのだろうか。リベラルや左翼政党に異を唱えるだけであれば、それは反動であり、保守派とは呼べない。
 福田恆存は「保守派が進歩や改革を嫌ふのは、あるいはほんの一部分の変更をさえ億劫に思ふのは、その影響や結果に自信がもてないからだ。それに関するかぎり見す見す便利だと思っても、その一部を改めたため、他の部分に、あるいは全体の総計としてどういふ不便を招くかと見とほしがつかないからだ。保守派は見とほしをもってはならない」(『常識に還れ』)と説いた。
 人々を扇動して大騒ぎするような連中は、保守派とはまったく無縁なのである。「常識に随ひ、素手で行って、それで倒れたら」(『同』)それはそのときなのである。
 保守派はイデオロギーというよりも、常識を重んずるのである。できもしないことをへらへら喋り、悦に入っている者たちを軽蔑するのである。人間としての限界、己の能力のなさを痛感しているのだ。だからこそ寡黙なのである。
 目に一丁字ない者たちこそが、お国のために身を挺するのである。俺が俺がという連中は自己顕示欲の権化である。自分の利益のためには、どっちにも転ぶのである。
 保守派がもつとも嫌うのは「サーカス」の政治である。政治が娯楽と化してしまい、真面目さに欠けてしまうことだ。わけの分からない者たちに煽られてはならないのである。衆を頼まず言葉には責任を持つのである。
 西郷隆盛が「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。 この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と述べているような人が真の保守派なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする