草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国を憂うる者は低俗であってはならない

2024年12月24日 | 三島由紀夫
 政治とは何であるか。朝8で蜜柑を食べながら政治家を罵倒することであろうか。床屋政談で金儲けに勤しむことであろうか。平凡な日常性に埋没しながら、ひたすらじゃべり続ける者たちを、どうして信用することができるだろう。
 三島由紀夫は、それこそ自らの収入の多くを、楯の会の結成にあてたし、論争ジャーナルのスポンサーとなった。金集めに奔走する大学生を説教し、人間として何が大切かを説いたのである。
 政治においては、あくまでもストイックであろうとした。下品な表現は慎んだ。そして、大衆のモッブ化した暴動を恐れた三島は、少数の若者たちと、国のために決起することを望んだのだ。橋川文三は「三島はファシズムの魅力とその芸術上の危険とを、いかなる学者先生よりも深く洞察した作家である。ファシズムの下においては、三島の取得したあらゆる芸術=技術が無用となることを、彼はほとんどその死を賭して体験した一人であるかもしれない」(「三島由紀夫伝」)と書いたのである。
 犬笛を吹いて大衆を扇動するというのは、三島にとって、もっとも嫌悪すべきことである。嘘に嘘を重ねる政治指導者は唾棄すべき存在でしかない。今こそ、三島が私たちに示した、政治の王道を肝に銘じるべきなのである。
 
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