日本保守党の百田尚樹氏は朝8において「はっきり言います。有権者はみんな馬鹿の集まりです。特に東京は」と発言しました。あまりにもひどい言葉に唖然としてしまいました。
日本の大衆を蔑視したのは、先の戦争の勝者として、我が国に乗り込んできた白人であり、欧米文化にどっぷり浸かったインテリでした。彼らは日本の大衆を愚民と決めつけ、上から目線で「民主主義」なるものを押し付けてきたのです。
葦津珍彦は「日本人の中での絶対多数を占める大衆は、日本人特有の気風、感情、信仰を有(も)ちつづけている。土民は能弁ではなく、華々しいい理論の展開に巧みではないかもしれない。しかし私は、日本の土民たることに誇りを感ずる」(『土民のことば』)と述べているではありませんか。
柳田国男も「目に一丁字もない」人たちのコモンセンスに、全幅の信頼を置いたのではなかったでしょうか。それこそが保守主義の原点なのです。
戦後の我が国の歩みを考えれば、大筋において大衆の判断は間違いではありませんでした。単独講和か全面講和か、日米安保条約の是非、どこが間違っていたというのでしょう。
声なき声の保守派は、大衆迎合主義に与することなく、冷静に物事を考えています。その人たちに自分たちの言葉が届かないことを、百田氏は真摯に反省すべきだと思います。
日本の大衆を蔑視したのは、先の戦争の勝者として、我が国に乗り込んできた白人であり、欧米文化にどっぷり浸かったインテリでした。彼らは日本の大衆を愚民と決めつけ、上から目線で「民主主義」なるものを押し付けてきたのです。
葦津珍彦は「日本人の中での絶対多数を占める大衆は、日本人特有の気風、感情、信仰を有(も)ちつづけている。土民は能弁ではなく、華々しいい理論の展開に巧みではないかもしれない。しかし私は、日本の土民たることに誇りを感ずる」(『土民のことば』)と述べているではありませんか。
柳田国男も「目に一丁字もない」人たちのコモンセンスに、全幅の信頼を置いたのではなかったでしょうか。それこそが保守主義の原点なのです。
戦後の我が国の歩みを考えれば、大筋において大衆の判断は間違いではありませんでした。単独講和か全面講和か、日米安保条約の是非、どこが間違っていたというのでしょう。
声なき声の保守派は、大衆迎合主義に与することなく、冷静に物事を考えています。その人たちに自分たちの言葉が届かないことを、百田氏は真摯に反省すべきだと思います。