今の若い人は車も買わないし、服装にも金をかけない。流行にも無頓着とか。それと同時に、年金生活者が質素倹約するのは当然の成り行きである。消費が伸びるわけがない。今村仁司は『社会科学批評』において、ボードリヤールが欲求と欲望を区別していることに言及している。そこにこそ「消費社会」の特徴があるからだ。今村によれば「ひとは天与のものとして欲求をうけいれ、この欲求を充たすために世界に働きかける。これが欲求の神話のエッセンスである」と書いている。片一方に欲求を持つ主体があってもう一方に独立の世界(自然)があり、その主体と世界をつなぐのが欲求とその充足なのである。そして、未開人から現代人まで、人間の振舞いは超歴史化されてしまっている。しかし、それは古い消費論でしかない。これに対して欲望は「社会的・文化的人間の行為を指す」のだそうだ。つまり、充足していないから消費するのではなく、もっと別な力が働くというのだ。「衣服や車の買い替え欲望が自然的欲求ではなく社会的地位の表示立てや威信の誇示を心理的強制として受けいれてしまったことなどにみられるものだ。上昇と下降をくりかえす社会的地位は、差異化記号の流動のなかに表示される」からだ。消費の対象である物は、記号化されて差異化が進み、流動的な社会の階級間や地位の間の移行を反映するようになった。人々に欲望がなくなってきたというのは、流動的な社会が固定化しているからではないだろうか。それでは欲望もしぼんでしまうからである。
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