文藝春秋が提案していた、飯山陽さんと日本保守党の代表である百田尚樹氏との対談は見送られてしまった。飯山さんが乗り気であったのに、あれだけ訴訟するとか、刀まで抜いて見せたのに、逃げてしまったというのは、人間としてはどうかと思う。
衆議院補選に日本保守党から出た飯山さんが、内部告発したことに対して、デマとか嫌がらせとか言っていたにもかかわらず、なぜ日本保守党は反論ができないのだろうか。領収書とか、それ以外のガバナンスの問題で、申し開きができないのだろうか。
衆議院補選に日本保守党から出た飯山さんが、内部告発したことに対して、デマとか嫌がらせとか言っていたにもかかわらず、なぜ日本保守党は反論ができないのだろうか。領収書とか、それ以外のガバナンスの問題で、申し開きができないのだろうか。
飯山さんは、事実を次々と列挙して質問しており、日本保守党の側が回答すればいいだけなのである。飯山さんが136個にわたって公表しており、時間をかけても答えるのが筋ではないだろうか。
民主主義というものは、討論によって何が正しいかを決めていくプロセスが重要なのである。問答無用で、根拠もなく決めつけるのではなく、胸襟を開くのが道理ではないだろうか。相手脅かしてネットリンチまでしながら、批判されることを許さないというのは、独裁主義の典型ではないだろうか。
保守主義を名乗りながら、話し合いのテーブルに出てこずに、一体何をしたいのではないだろうか。飯山さんのユーチューブのコメントは、圧倒的に支持する意見が多かった。ネット民は正直である。百田氏が尻尾を巻いたことは、日本保守党の終わりの始まりなのである。
民主主義というものは、討論によって何が正しいかを決めていくプロセスが重要なのである。問答無用で、根拠もなく決めつけるのではなく、胸襟を開くのが道理ではないだろうか。相手脅かしてネットリンチまでしながら、批判されることを許さないというのは、独裁主義の典型ではないだろうか。
保守主義を名乗りながら、話し合いのテーブルに出てこずに、一体何をしたいのではないだろうか。飯山さんのユーチューブのコメントは、圧倒的に支持する意見が多かった。ネット民は正直である。百田氏が尻尾を巻いたことは、日本保守党の終わりの始まりなのである。