ビジネス保守という言葉が使われるようになって久しいが、それは時代的背景があるからではないだろうか。それを見落としてはならないと思う。
もはやマルクス主義を振りかざす時代ではなくなった。進歩的文化人は力を失ってしまった。ポストモダンといわれたあたりから、宙ぶらりんなものの言い方が一般化した。それでいて、中国の覇権主義が目に余るようになり、アメリカはかつてのような栄光を失い、国家が分断されている。我が国は自立に向けて踏み出さざるを得ないのである。
日本国民は、自らの手で自分たちを守り抜かなくならなくなった。それを多くの人たちが気付き始めており、保守的な物の見方が主流を占めつつあるのだ。ビジネス保守が成立するのは、そうした背景があるからである。
しかし、今になって問題になってきたのは、アジテーター的な物言いで、金儲けをする人たちへの、不信感の高まりである。それは本来の保守のカテゴリーにはあてはまらないからだ。しかも、従来であれば、過激な左翼に分類されるような層が、保守を名乗りネットリンチに加担している。
現在の混沌とした状況下にあっては、絶対的なイデオロギーに振り回されるのではなく、それが事実に基づくかどうか、反証に耐えられるかどうかで判断していくしかないだろう。そこで重要になってくるのは、自己を絶対視しないということではないだろうか。「寛容と忍耐」こそが保守の原点なのである。