あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」で昭和天皇を冒涜するような展示がなされていることに、多くの日本人が反発しているのは、死者を辱める破廉恥な行為であるからだ。それは絶対神に対する信仰心にもとづくものではなく、素朴な人間的な感情なのである▼大村秀章愛知県知事や津田大介が批判されるのは、それに無頓着に、あたかも「表現の自由」であるかのように擁護しているからである。東日本大震災で大変な目に遭った東北の不幸を嘲笑するかのような展示物があることも暴露されたが、死者に鞭打つことや嘲ることは絶対に許されないのである▼ラフカディオ・ハーンの『心』(平井呈一訳)に「祖先崇拝の思想」という文章が収録されている。「日本人の死者に対する愛情は、どこまでも感謝と尊敬の感情である。おそらくそれは日本人の感情の中でもいちばん深く、強いものであるらしく、国民生活を指導し、国民性を形成しているのも、この感情であるらしい」。死者は遠くに去っていったのではなく、我々と共にあるという信仰心によって、日本人は己を律してきたのである。ハーンにとってそれは、人類が本来備えていた感情であり、それを取り戻すことを主張したのである▼死者を裁かないという日本人の感情を無視したことで、当然のごとく大村と津田はその報いを受けることになるのである。
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しかし、大韓帝国と光武改革を、『検定版 高等学校韓国史』のように見ることは、大韓帝国の復古主義的性格に目を閉ざし、李氏朝鮮から《看板》をかけ替えたにすぎない大韓帝国を美化することである。大韓帝国のうわべを飾る近代化策に幻惑されて、アジア的復古王朝的本質を見失っているのである。
なぜなら、第一に、ここでの皇帝への権限の集中は、近代主権国家を目指すものというよりは、李氏朝鮮によくみられた国王親政と王権強化を意図していたのである(韓国歴史ドラマで第3代太宗や第7代世祖たちがよく言う「強い王でなければ国を強くすることができない」そのものだ)。
第二に、学務大臣申箕善が編集し、2名の学務顧問が序文を書いて、費用が政府持ちで刊行された『儒学経緯』に、「ヨーロッパは文明の中心すなわち中国からあまりに遠く離れている。ゆえにロシア人、トルコ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人は人間よりも鳥獣に似ており、その言語は鶏が鳴いているように聞こえる」などの記述があり、駐在各国外交官から抗議を受けたのであるが、大韓帝国の官僚たちは、おしなべて皆、こうした世界観の持ち主だったのである。
実際は、「1899年8 月、高宗は『大韓国国制』を発布し、皇帝は統帥権、法律の制定権、恩赦権、外交権など強大な権力を有することが定められ、皇帝専制による近代化政策(光武改革)が進められたが、韓国独自の貨幣発行は失敗して財政は悪化した。韓国政府により京城~木浦間に鉄道を敷設する計画も発表されたが、資金不足により実現に取り掛かることはできなかった。また、光武量田事業と呼ばれる土地調査を実施し、封建制度の基礎となる土地私有制を国家所有制に切り替え、近代的地税賦課による税収の増加を目論んだが、土地所有者たちへの説明が不明瞭なまま強引に推し進められたことや経費の不足から徹底することができないまま、日露戦争の勃発により事業は終了した。」(Wiki)
つまり、朝鮮には、強欲な両班たちと支配イデオロギーであった儒教(朱子学)のせいで、近代化と国防に必要なマインドもメソッドもマネーも無かったのだ。
「近代主権国家を目指していた」「光武改革で大きな成果を上げた」という記述は、その後の“悪辣な日帝による国権強奪”を際立たせるための牽強付会であり美化なのである。