鎌田慧の『大杉榮自由への疾走』を読んでいると、昔の反逆者はそれなりの覚悟があったことがわかる。政党や労働組合の専従となって裕福な暮らしをしながら、反体制を主張している現在とは違う。右翼の革命家と評される北一輝ばかりか、アナーキストの連中だって、財閥から金をむしり取るしかなかった。その点では右も左も変わらなかった。関東大震災のときに大杉は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵隊になぶり殺された。北一輝だって最終的には国家権力に銃殺された。しかし、今のサヨクは警備にマークされる位が関の山だ。武力革命を叫んでいた者たちは姿を消し、せいぜいゼネストで体制変革を望んでいるようだ。もはやダラ幹となった労働組合にかつての勢いはない。マスコミだって恵まれた人間たちの集まりである。額に汗せず収入を得ている連中なのである。憲法を守ることで世の中がよくなると思っているのだから、サヨクは牙を抜かれてしまったのだ。これからは保守の力が試されるのではないだろうか。グローバリズムにどう対抗していけるかが課題である。中共や朝鮮半島の言いなりにならないだけでなく、同時にアメリカにも物申さなくてはならない。大杉や北一輝が生きていたなら、きっとそれを望んだに違いない。
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