戦後の日本は国家ではなかったのである。江藤淳は「いかなる国であれその国が存続していくためには、何らかの暴力装置を内包していなくてはならない」(『国家とは何か』)と書いていた。そうでなければ「その国を侵略、転覆したり民生を破壊しようとする暴力に対抗できない」からである。とくに重要なのは「国外からの侵犯に対しては組織化された暴力である軍隊をもってこれる当る」ということである▼領土と国民を保全するための暴力装置を欠いていることが、北朝鮮による日本人拉致という悲劇を生んだのである。平成9年2月に拉致された横田めぐみさんの父で、拉致被害者代表の横田滋さんが昨日亡くなった。もし我が国が国家たりえたならば、実力でもって阻止することができたはずだ。しかし、それが今の日本にはできないのである▼GHℚ民生局製の日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれているのだ。それを未だに改正することなく、平和ボケしていたせいで、国家として身構えることができなかったのである。横田滋さんの死を悼むのであれば、「普通の国」になるためにも、押し付けられた憲法を一日も早く改正すべきなのである。
https://www.youtube.com/watch?v=PcpksoRdBcw
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㊼笠井尚氏の会津の本を読む 佐治芳彦の『蹂躙された日本史 明治維新~太平洋戦争まで』