草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

例外状況を想定していない憲法では日本を守り抜くことは困難だ

2023年09月26日 | 祖国日本を救う運動
 カール・シュミットの『政治神学』(田中浩/原田武雄訳)の冒頭の言葉は衝撃的である。「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」と書いてあるからだ。
 米国から押し付けられた我が国の現憲法においては、例外状況はまったく想定されていないのである。もし他国から侵略された場合に、それを例外状況と認定する「主権者」によって「原理的に無制限の権限がすなわち現行秩序の停止」ということが決断されなくてはならないが、それすらも難しいのである。
 現憲法でなく、大日本帝国憲法にはそれがあった。天皇の名のもとにおいて、戒厳令を布告することができたからだ。天皇の下に結束し、国家の存立を断固として守り抜く覚悟があったのだ。だからこそ、北一輝はそれを逆手に取って昭和維新を断行しようとしたのだ。
 シュミットを論じる日本の学者は、何を恐れてか北一輝の名前を出したがらない。それでいて小賢しい議論に明け暮れている。シュミット流の決断主義があればこそ、北一輝が直接タッチしていなくても、2・26事件の将校を決起させることができたのである。最終的には「大御心」に待つにしても、「主権者」としての天皇の判断を仰ぐということまでは、当初の目的はかなえられたのである。
 しかし、第9条2項によって交戦権が否定されているのだ。国家の存亡がかかる例外状況に対処できないのである。国際法によって容認されているとはいえ、それで自衛隊を保有するというのは明らかに憲法違反である。
 日本が他国から攻撃された場合に、交戦権なき自衛隊がどう対処するのだろう。岸田首相が宣戦布告をすることができるのだろうか。すでに自衛隊は米軍の一部に組み込まれており、その命令によって動くのではないだろうか。
 つまり、現状のままでは、例外状況における決定権を持つのは米軍なのである。かつて天皇に与えられていた統帥権なるものは、米軍に移行してしまっているのだ。
 こんな状態で本当に自衛隊は、日本国民の命を守れるのだろうか。警察の延長のようなことしかできない軍隊が、まともに侵略者と戦うことができるのだろうか。

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