TAMCの例会で「ヘップバーンの予言」を発表
TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)の例会は毎月第一木曜日と第三木曜日に開催されます。毎回メンバーの会員発表のプログラムが組み込まれております。11月の例会で発表の担当となりました。
前半は、氣賀康夫さんと一緒に開発したオリジナル作品である「ヘップバーンの予言」を披露しました。柏木直也さんがスマホからQRコードを読み取るお手伝いをしてくれました。
後半は、TAMCについてのお話をしました。昭和8年に創設されたTAMCは86年の歴史がありマジッククラブとしては日本で一番古くて長い実績があります。今は80名の会員が所属していますが、入会して14年となる自分は先輩たちが半分、後はいたちが半分の丁度真ん中の位置におります。話の内容は新しく入会してきた後輩たちに、先輩たちの活動や偉業についてのエピソードを語りました。
最後にブログ「つれづれなるままに」に掲載されたTAMCの先輩たちの偉大な活動を披露しました。(2019.11.11)
多湖 輝著「頭の体操」
多湖 輝著「頭の体操」からの問題です。
さて、あなたは下記の問題に答えることが、できましたか?
(問1) 葡萄酒瓶がある。コルク栓をしてあるのだが、あいにく、栓抜きがない。瓶を割らず、コルクにも穴を空けないで、中の葡萄酒を飲むには、どうしたらよいか?
(問2) 1リットルの桝がある。この桝一つだけを使って、正確に0.5リットルの水を量るには、どうすればよいか?
(問3) 二人の父親が、二人の息子に小遣いを与えた。一人の父親は、自分の息子に千五百円を与え、もう一人の父親は、自分の息子に千円を与えたのである。 ところが、二人の息子が、自分たちの所持金を数えてみたら、二人の所持金は、合わせて千五百円しか増えていなかったという。 いったい、どういうわけであろうか?
(問4) スクリューで動くマスト一本の船が、横浜を出発して、サンフランシスコまで航海した。船のどの部分が、もっとも多くの距離を動いたことになるか?
(問5) 24人の人間を6列に並べて、各列とも、五人ずつになるようにしたい。どうすればよいか?
蔵原克治会長の年頭挨拶の後、2021年表彰がありました。例会貢献賞として、柏木直也さん、氣賀康夫さん、佐々木節夫さんの三名が表彰されました。会員歴表彰では、50年以上の会員歴のある高橋忠利さん、40年以上の会員歴のある松本公一さんが表彰されました。新入会員として脇山太介さんと矢澤潤さんの紹介があり、入会記念品が授与されました。
乾杯の発声は高橋忠利さんでスピーチの中で「昨日は、すでに返すによしなく、明日は、未だ我がものならず、ゆえにひたすら今日を生きる」ことを信条として活動していますと話していました。懇談の時間には、氣賀康夫さんがお土産マジックとして「百寿の秘密」の実演と解説をしてくれました。
後半は恒例のオークションの時間となり、司会は山崎孝一さんと牧原俊幸さんの巧みな話術により進行していき、会員提供のマジック用品の値がどんどん吊り上がり盛り上がっていきます。落札者はお気に入りのマジック用品を手に入れて満足しておりました。
中締めは、犬竹一浩さんです。お馴染みの川柳とトリック図案の説明があり全員に配布されました。最後は記念の集合写真を撮って無事にお開きとなりました。
高橋忠利さんは、カメレオンシルク、ダイスの貫通、交通信号ロープ、カップ&ボール、カードマジック、ネクタイマジック、神田まつりなどを披露しました。その後、新聞紙を活用して連続4つの帽子をつくる作品を研修指導しました。
自分は、漫談を交えながら自己紹介から入り、ドリームバッグから花かごが次々に出てくるマジックを披露した後、研修項目として、数理マジック、何て読む?をクイズ形式で進行させ、三枚カードの演じ方を指導しました。
参加者には、研修項目の資料については解説書と共に配布しました。参加者の反応が優れており終始楽しいマジック研修指導でありました。
会員発表では、前半は森田晃さんによるシステムデックを使ったカードマジックの紹介。氣賀康夫さんはZOOMにより、新著作本「コイン・マジックへの誘い」の案内とその中のコインマジック3作品の披露がありました。休憩時間の時には、氣賀康夫さんが出版した新本の販売がありました。
後半は、磯部真一さんによるカードマジックの発表があり、客役として出演した新会員の矢澤潤さんと脇山大介さんはその妙技に圧倒されていて拍手喝采でした。お土産に新しいトランプを贈呈されていました。佐々木節夫さんは伊藤正博氏のカード作品を柏木直也さんを相手に披露していました。会員による発表は皆さん素晴らしい演技を披露して解説をしてくれます。
2021年最後の挨拶が蔵原克治会長からありました。今年はコロナ禍のなかZOOM例会開催に尽力してくれた人たちへの感謝の言葉があり、来年は新年会からスタートして、春と秋のマジック大会も開催できるように進めていく。と述べておりました。
司会は、牧原俊幸さん(元フジテレビアナウンサー)が担当しており、時間と参加者に配慮したプログラムで進行しているところは流石に素晴らしいと思いました。八田進二幹事長より新会員の矢澤潤さんの紹介と会計監事の選任について案内がありました。福岡広信さんが会計監事として全会一致で再任されました。
会員発表は、森田 晃さんの「1万円札の焼きマジック」、大原希是さんの「名札ケースのフルーツ当て」、柏木直也さんの「ホワイトインパクト、魔法のプランジャー、魔法のスニーカー」、氣賀康夫さんの「空の旅への誘い、6枚のエースの不思議」などが披露されました。
柏木直也さんの「魔法のスニーカー」は、スニーカーの色の違ったカードを使用して客との相性占いです。最初は二組に分けたカードから同じ色のスニーカーを出して客との相性の良いことをアピールします。2回目は客の選んだスニーカーの青色と演者の赤色が違っていましたが、演者が「とても相性が良いのです」と言って、自分の靴を脱ぐと靴下の色が右足が青色で左足が赤いものでピッタリでした。その演技に対して例会場にいた参加者はビックリして拍手喝采となりました。とても印象に残る柏木直也さんのマジック演技披露でした。
神辺 貴明さんの巧みな司会で進行していきます。交流の時間のあと、会員発表となります。前半は、森田 晃さんのオークション出品マジックの紹介、児玉武雄さんの素晴らしいコインマジックの披露がありました。
後半は、柏木直也さんによるテンヨーマジック「Theキャッシュ」、「フラッシュキューブ」、「魔法のフォトグラフ」の3作品の演技が披露されました。最後は、氣賀研究室便りとしてZOOM出演による氣賀康夫さんの「空の旅への誘い」が演じられました。
連絡報告のコーナーでは、新年会の開催、土曜研修の内容、新執行部の改選などがありました。予定の時間が余ったので、司会の神辺 貴明さんが数字マジックを披露して解説をしてくれました。
コロナ禍の為に、ZOOM例会として行っておりましたが、11月になり緊急事態宣言解除により実例会が再開されております。
演技披露は、三本ロープで、長い、中位、短いロープが同じ長さに見えたり、最後は長い一本のロープに変身していくもの。トランプマジックは、カードを二人が半分に分けて体の後で相手からもらった二枚のカードを裏返しにして差し込むと、なんと交換して差し込んだカード4枚が一致している。
マジック教室研修は、半分に切断した4枚のカードを二組に分けて3回、2回、1回と上のカードを下へ回していくと4組のカードが一致するカードマジック。16の混ざった数字をあ、い、う、え、おのカードに分けてどこにあるかを言ってもらうとあなたの誕生月、日にちを当てるというもの。
研修資料は参加者に配布したので皆さん喜んでおりました。マジックについては皆さん知っているので研修を通して多くの人に親しんでもらう機会があって良かったです。
日本が生んだ世界のマジシャンとして名声の高い島田晴夫師であります。島田晴夫師が日本に来た時に、東京アマチュアマジシャンズクラブの会合に特別参加して実技を見せてくれました。その後多湖輝先生の企画で開催された「島田晴夫師を囲む懇親パーティー」のときの写真であります。(2011年7月)
島田晴夫師は、日本のマジシャン。四つ玉、鳩出し、傘出し、ドラゴンイリュージョンといった演技で知られる。東京都出身。現在はハリウッド在住。15歳のとき、デパートで手品の実演販売を見て、マジックを始めるようになる。その後、初代引田天功と出会い、彼に誘われてテンヨーのディーラー(実演販売する人)として働くようになった。当時は高校生だったため、昼は実演販売をして、夜は学校に行っていた。高木重朗氏と親交があり、彼からも奇術を習っていた。17歳のころ、アメリカから帰国した石田天海氏に四つ玉の演技を認められ、週に1回の頻度で習いに行くようになる。19歳のときに昭和天皇の還暦祝いでマジックを披露した。
1960年に映画『ヨーロッパの夜』が公開され、そこでのチャニング・ポロックの鳩出しの演技が日本のマジシャンの間で話題になる。チャニング・ポロックはそこで7羽の鳩を出していたが、松旭斎天洋師匠に「10羽出せたらリサイタルを開いてやる」といわれたため島田晴夫師は本当に10羽の鳩を出現させるルーティンをつくり、約束通りにリサイタルを開いてもらった。その後も鳩出しの演技は大きな支持を得て、米軍キャンプやキャバレーなどの仕事で十分な収入を得ることができた。
1965年には日本を離れ、それ以降は主にオーストラリア、イギリス、メキシコなどの日本国外で活動するようになる。イギリス滞在時には、四つ玉・鳩出し・ミリオンカードといった日本でおなじみの演目ではなかなか評判を得ることができず、「なぜ日本人らしい演技をしないのか」といわれたことから、和傘を出すルーティンを開発し、メキシコでまとめあげた。マジックキャッスルで演技を終えたあと、すでに引退していたチャニング・ポロック氏からビバリーヒルズの彼の邸宅に誘われ、その後ポロック氏は島田晴夫師のマネージャーとなった。しかし、ポロック氏から島田晴夫師は「傘出しのルーティンは美しいがガッツが無い」との指摘を受ける。そのころ大阪で日本万国博覧会が催されており、そこで石見神楽の八岐大蛇に触発され、架空の動物などのファンタジックな要素をルーティンに組み入れたいと考えた。その後2年の歳月をかけて、ドラゴンを登場させたイリュージョン(ドラゴンイリュージョン)を開発し、ラスベガスなどで長期にわたって演じ続けた。1973年にはフランスのオリンピアで開催されたFISM国際大会のガラショーに出演している。1974年にマジックキャッスルが優れたマジシャンに贈る「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。