つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

阿久悠氏の残したもの

2007年08月02日 | 文化
作詞家の阿久悠氏が1日、70歳で亡くなった。
NHKFM放送に毎日出演して歌謡曲の変遷を語っていたが、体調不良で欠席したのは、ひと月ほど前だった。

5000以上の曲を作詞した“20世紀最大の作詞家”と言える。
ピンク・レディーの「UFO」、「サウスポー」、都はるみの「北の宿から」などポップス、演歌、アニメなど幅広く活躍し、数え切れないほどのヒット曲を連発。
「勝手にしやがれ」、「津軽海峡・冬景色」、「また逢う日まで」、「舟唄」、「あの鐘を鳴らすのはあなた」、「ピンポンパン体操」等々曲を聴けばだれでも思い出すヒット曲。

歌謡曲は3分間のドラマであると、言われている。
作詞家はそのドラマをどのように表現していくのかが課題である。
面白い話を思い出した。
「津軽海峡・冬景色」では、
上野発の夜行列車おりた時から、青森駅は雪のなか”
700キロ離れた土地を、たった2行で表現してしまった。
普通の曲の歌詞では3番までたっぷりかかる距離であるのに。

高校野球の大ファンでもあり、毎年スポーツ紙にはコラムを記載していた。
山本リンダの「狙いうち」は、甲子園球場で応援歌の定番となって毎年演奏されている。

作家としても「瀬戸内少年野球団」では直木賞候補作品となった。
この作品は、篠田正治監督により映画化もされている。
阿久悠氏の作詞した曲が歌い継がれている間は、まだ私たちのそばに存在している。

(8月2日記 池内和彦)
コメント (2)
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