夏目漱石誕生の地(新宿区指定史跡)
地下鉄東西線の早稲田駅を出ると夏目坂がある。
そこの坂の途中に「夏目漱石誕生の地の記念碑」を見つけた。
記念碑の横に説明文がある。
「文豪夏目漱石(1867~1916)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生まれた。
夏目家は、牛込馬場下横町周辺の11ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。
漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、二歳の11月に内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、22歳のとき夏目家に復籍している。
なお、この地での幼少時代のことは大正4年に書かれた随筆「硝子戸の中」に詳述されている。
また、この記念碑は昭和41年に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は漱石の弟子安倍能成の筆による」(東京都新宿区教育委員会)
夏目漱石のお墓は、豊島区雑司が谷墓地にある。とても大きく立派な墓である。
散策するときには、時々漱石の墓に行ってみることがある。
新宿で誕生して豊島に眠っている夏目漱石。
とても身近に感じる文豪である。
(4月22日記 池内和彦)
地下鉄東西線の早稲田駅を出ると夏目坂がある。
そこの坂の途中に「夏目漱石誕生の地の記念碑」を見つけた。
記念碑の横に説明文がある。
「文豪夏目漱石(1867~1916)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生まれた。
夏目家は、牛込馬場下横町周辺の11ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。
漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、二歳の11月に内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、22歳のとき夏目家に復籍している。
なお、この地での幼少時代のことは大正4年に書かれた随筆「硝子戸の中」に詳述されている。
また、この記念碑は昭和41年に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は漱石の弟子安倍能成の筆による」(東京都新宿区教育委員会)
夏目漱石のお墓は、豊島区雑司が谷墓地にある。とても大きく立派な墓である。
散策するときには、時々漱石の墓に行ってみることがある。
新宿で誕生して豊島に眠っている夏目漱石。
とても身近に感じる文豪である。
(4月22日記 池内和彦)