島田正吾と辰巳柳太郎の手形顕彰(浅草公会堂)
浅草公会堂前に芸能人で実績のある人の手形が顕彰されている。
新国劇の発展に活躍した島田正吾と辰巳柳太郎の手形が並んでいる。
昭和55年11月に顕彰されてここに設置された。
新国劇は澤田正二郎が設立して、昭和4年に亡くなった後を島田正吾と辰巳柳太郎が二人座長として昭和62年まで活動して看板を下ろした。
70年間の新国劇の歴史の幕を引いた。
新国劇にとっては浅草がとても縁のある土地であり、浅草公園劇場を定席の芝居小屋として使用していた。
その跡地には、新国劇の生き字引と云われた平野泰之さんが「沢正」という店を長年に亘り経営していた。その平野泰之さんも10月31日に天寿を全うして島田正吾・辰巳柳太郎両先生のいる世界へ逝ってしまった。
(11月17日記 池内和彦)
浅草公会堂前に芸能人で実績のある人の手形が顕彰されている。
新国劇の発展に活躍した島田正吾と辰巳柳太郎の手形が並んでいる。
昭和55年11月に顕彰されてここに設置された。
新国劇は澤田正二郎が設立して、昭和4年に亡くなった後を島田正吾と辰巳柳太郎が二人座長として昭和62年まで活動して看板を下ろした。
70年間の新国劇の歴史の幕を引いた。
新国劇にとっては浅草がとても縁のある土地であり、浅草公園劇場を定席の芝居小屋として使用していた。
その跡地には、新国劇の生き字引と云われた平野泰之さんが「沢正」という店を長年に亘り経営していた。その平野泰之さんも10月31日に天寿を全うして島田正吾・辰巳柳太郎両先生のいる世界へ逝ってしまった。
(11月17日記 池内和彦)