ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.5.12 親離れ、子離れ~ちょっと怖い話

2015-05-12 20:29:22 | 日記
 読売新聞の女性向け情報サイトで、白河桃子さんの面白いコラムを見つけた。最新号ではないが、以下転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

お母さんのお弁当、いつまで?(2015.4.30) 
 先日、あるマンモス大学の授業にお邪魔してきました。授業の後ちょうどお昼だったので学生とランチをしたのですが、周囲を見回すとお弁当派が多い。
 みんなかわいいお弁当箱です。「みんな自炊していてえらいね」と思ったんですが、ちょっと待て。「これってお母さんが作ってくれるの?」と聞いたら、そのとおりでした。
「給料は全部自分のもの」 高校生扱いの30代
 まあ、まだまだ1年生だし、つい先日までは高校生だった。お母さんだってお弁当作っちゃうよね……と思っていたのですが、友人の話では大学生にお弁当なんて普通。「うちの会社にはお母さんのお弁当を持ってくる男子社員もいるよ」とのこと。いったいお弁当って、いつまでお母さんが作るのでしょう?
 そう思って小町を検索したら、やはり気になる話題がありました。「親離れする日はこない?」と心配するのは47歳の主婦、シングルマザーの方。8年前に夫を亡くされ、大学生1人と高校生2人のお子さんがいます。
 トピ主さんはパートはしているものの、持ち家で遺族年金もあるし、夫が勤めていた会社からは18歳まで学費の援助もあるそうです。「一見生活ぶりは変わりがないので子どもたちに危機感はありません」
 そして、職場で独身の人と話をすると30歳を過ぎても自立していない人が多い。「家にお金を入れていない。給料は全部自分のもの。お弁当はお母さんの手作りと……その年齢でも高校生のような扱いで生活しているのです! そして口々にお金持ちの年上いないかな~と。理想は遺産で暮らすんだそうです」。そんな様子が気になって投稿したとのこと。
 トピ主様のダンナ様は、「大学生のうちは家に置くが、それ以外は20歳で家を出てもらう」とおっしゃっていたとか。トピ主様も「できたらそうしたいぐらい」と考えています。
 この投げかけに「うちもそうそう」と不安を投稿する人がいました。「娘は20才と18才ですが、彼氏どころか好きな人の話もききません。『もしかして、この子たち、結婚する気全くない』と思えることがよくあります。自分中心で人の世話をやけるとはとても思えません」
 女性もそうなんですが、男性も問題です。その背景として、「お母さん」の姿勢を問題視するこんな投稿もありました。「家事に参加しないという男性達は専業主婦のお母さん達が至れり尽くせりしすぎたのではないでしょうか。居心地がよすぎるので家をでようともしない。若い人達を変える前にそのお母さん達を変えないといけないと思いますよ」
少子化の国は「巣立ち」が遅い
 日本は大変な少子化で、その原因は「未婚化」「晩婚化」のせいなのですが、少子化の国は「離家」のタイミングが遅いという傾向があります。ドイツ、イタリア、日本は子どもが家を離れず親と同居している期間が長い。そういった国は少子化の傾向があります。
 私が講演にいくような「消滅可能性都市」では、長男がいくつになっても実家に同居している傾向が高い。長男だから「家から出さない」という場合もありますが、40過ぎて親にすべて世話してもらっている男性にお嫁さんが来るだろうか。まして今どきの女性は「同居」を嫌がります。
 このような現実を見ているので、トピ主様の不安もよくわかります。この不況ですから、お弁当は節約の意味もありますが、なるべく若いうちに「一人で身の回りのことをやる」習慣をつけるに越したことはない。大学時代はチャンスです!
 将来結婚できるかということはさておき、小町では、「ダンナ様のおっしゃっていた通り、『大学生のうちは家に置くが、それ以外は20歳で家を出てもらう』とお子さんたちに言って聞かせておきましょう。それが、ひいてはお子さんたちの幸せのためです」というアドバイスが圧倒的でした。
 さて、そのためには準備も必要。心の準備とスキルです。「炊事・掃除・洗濯などの家事を3人で当番制でさせましょう」「家を出るまでに母親は子供に掃除洗濯料理など、基本的な生活習慣の仕事を教えないといけないのです」などのレスがありました。トピ主様、決断のときですね。
そして「老後の蓄え」まで…
 最後にちょっと“恐ろしい話”を。最近、関西の大学の方から「40歳まで一度も社会に出たことがない娘を心配して、親が自分の死後、子どもが生活保護を受けられるか、役所の窓口に相談にきているんですよ。それもかなりの数です」と聞きました。
 「いつかお嫁にいくだろう」と就職させずに娘を育てたのですね。40歳で就職したことがない娘さん……本当に心配です。
 某婦人誌の特集で一番売れるのは、「子どもに老後を食い尽くされるな」という特集だという話も聞きました。自立しない子どもたちが、親が老後のためにと用意した蓄えを、イナゴのように食い尽くしていくのです。
 結婚だけでなく、就活でも「家を出る」経験は役に立つと思います。「奨学金をもらい、生活費は全部バイト」という人はすんなり決まっていきます。必死度が違うから。
 春は巣立ちの季節。今がチャンスです。大学生の子どもと話し合い、巣立ちの計画を練ったほうがいいですよー。

(転載終了)※   ※   ※

 いやはや、少子化が進む我が国、大変なことになっているのだ。
30年以上前、大学生になった時、専業主婦だった母は「もう要らないわよね」とお弁当は作ってくれなくなった。もともと母はそれほど料理が得意であったわけでもなかったし、こちらも教室でお弁当を食べるのもなんだかなあだし、学食もあるし、外食も楽しいし、好きなパンも買えるから、と自分から断ったように記憶している。

 勤務する大学では今の時期、新入生が入って来て人口密度が高い。ただでさえキャパシティが不足の学食は溢れ返っている。昼休み時間ともなれば、屋内席が不足して、屋外の木のテーブルでハイキングのように食べている姿はまだしも、地べたに座って・・・という姿さえある。
 そんなわけで、私は原則、学食を利用するのは遠慮している。学生と職員は30分昼休みがずれているものの、職員が場所塞ぎしてしまうのはいかがなものか、と思うからだ。彼らにとっての500円と私たち職員にとっての500円は重みが違う。学外に出ればワンコインでお腹一杯食べられるレストラン等はないわけだから、やはり彼ら優先だと思うのだ。とはいえ、昼休み時間は限られているし、ランチ事情がそうそう恵まれているわけでもないから、私もファストフードのカフェ専門なのだけれど。

 たまに昼当番等で昼休みがズレたりして、学食を覗いて空いていればお世話になることもある。
 一人でカウンターに座り、「いただきます」をして食事をしている学生を見ると、いい子だなあ、と思う。見れば、タッパーにご飯だけつめて持ってきていて、汁ものと小鉢のおかずをチョイスしたりしている。ちゃんと一汁三菜、うーん、きっとこれまでちゃんと食育してきてもらったのだろうな、と感心する。もちろんお弁当持参の学生もいる。彼らは自分で作って来ているのか、定かではないけれど。

 我が息子も生協食堂に日々お世話になっている。なんと恐ろしいことに日々、何を食べて、どういうカロリー状態なのか迄、ミールカードなるものに記録されてネットで見ることが出来る。夫に言わせれば「奴はプライバシーないな~、俺なら耐えられない」ということなのだけれど、そういう需要があるということでもある。
 もちろん、何も訓練出来ないまま送り出してしまった手前、最初の頃は心配だったし、どんな具合なのか毎日チェックしたけれど、今ではたまに「あ~お菓子ばっかり買って~、ビタミンドリンクなんて飲んで~、新入生に気前よくご馳走している~」等、その生活を垣間見て愉しんでいる。

 大学で勤めていると、我が愚息だけでなく、学生はかつてに比べて幼くなっているとも感じる。ずっと至れり尽くせりで大切に育ててもらったのだろう。大学生がかつての高校生、大学院生がようやく大学生といったイメージである。
 とはいえ、30歳になっても高校生扱いでは、問題だろうな、とも思う。東京に住んでいると、地方在住と異なり大学進学を機会に親元を巣立つタイミングを逸す可能性が大きい。我が家も去年の早春迄は、大学卒業までは自宅通いだろうと信じて疑わなかったくらいだから。けれど、まあ、今思えば自分から巣立って行ってくれたのだから、二重生活で経済的にはまだまだ働かなくては・・・状態になったけれど、良かったのだろうな、とも思う。至れり尽くせりで、家が居心地良すぎるのは問題だ。家事も子育ても及第点が取れないダメ母は反面教師。それはそれで良かったのかも、とまたも得意の自己正当化をしている私である。

 そして、少子化が深刻な国は巣立ちが遅い、というのもさもありなんである。かつて研修で訪れた北欧の国々では、高校を卒業すれば皆、家から巣立って自立していた。まあ、学費がかからないというのも大きいことだろうけれど。
 冷静に考えて、私は息子が40歳になるまで生きている可能性は皆無に近いが(その時は74歳である。あと21年もの延命はどう考えてもありえないではないか。)、そこまで家にいられては、夫が気の毒だ。夫がその時に至っても息子の世話をするのか、息子が夫の介護をするのか、どういう事態になるのか想像すら出来ない。

 今の息子の生活が自立しているとは決していえないけれど(そもそも学費と寮費と食費と毎月のお小遣いの合計を考えると、とてもではない。)、とにかく、朝汚して出かけた部屋は帰って来る迄そのままで、汚れ物は自分で歩いて洗濯機に入りはせず、タンスの所定の位置に収まったりはしない、というごくごく当たり前のことだけは気づいているだろうから、それだけでも価値があったのだと思いたい。巣立つ前に仕込んでおかなかったのは痛恨の極みだけれど。

 そして、40歳まで就職したことのない娘さんの生活保護の相談・・・。どうしたらそんな発想になるのだろう。若くて健康で、十分労働力になりうる個人を花嫁修業のもと、言葉は悪いけれど飼い殺しにしてしまったに違いない。ご本人はご自身の人生、本当にそれでよかったのだろうか。
 私自身、もはや老後の心配はしていないので(自分には残念ながら老後はないという覚悟のもと、日々を生きているので)、ある意味お気楽ではある。息子には親のお金を当てにしてほしくない。自分が命を削って働いた糧は自分で使ってしまおう、と思っている。
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2015.5.11 知らぬが仏・・・

2015-05-11 20:46:17 | 日記
 なんだかなあ、と思うことがあった。
 全くもって “知らぬが仏”のことは本当に沢山ある。全く思いもよらなかった所から、思いもよらぬ矢が飛んでくるものである。とかくこの世は住みにくい、が実感である。
 まあ、それもこれも私が「何でもどんと来い!」の太っ腹な人格者でなく、情けないほどの小心者だからなのかもしれないけれど・・・。

 他人(ひと)様から相談を持ちかけられる、ということはそれなりに信用して頂けている証拠だろうから、嫌な気持ちはしない。だから、聴かせて頂くことで少しでも先方の気持ちが楽になるということならば、私でよろしければお役に立ちます、という思いは常に持っている。
 けれど、それはあくまでもある前提条件-お互いに築き合ってきた信頼関係-に拠って立つものである。

 話を聴くことがなければ忘れていられたことを、改めて思い出すことになった。もちろん思い出して嬉しい話では、ない。私が知らない所で、おそらく良い話ではない形で私のことが話題に上り(当然私がそのことについて発言出来ない状況である。)、更にはそのことをダシにされたというのだからあまり気分の良いものではない。
 信頼関係が出来上がった間柄ならまだしも、である。

 所詮人間関係はキャッチボールだし、相性の問題は双方の問題だから、一方的にどちらがどうこうということはないだろう。
 相手のことを大切に思えば、よほどのことがない限り、相手をないがしろにはしないものだろう(と信じたい。)。
 そして、不思議なことだが、先方がこちらに対して「?」と感じることは、こちらも先方に対して「?」と感じるだろうし、逆もまた真なり、であると思う。だからこそ相性なのだろう。一方、同じことをされても相手によって感じ方が違うというのが、これまた人付き合いの難しいところだ。
 だから、価値観や感じ方が似ている人とはお付き合いするのが楽なのだろうし、逆にうんと違えば、それはそれで新鮮で上手くいくこともあるのかもしれない。微妙に似ていたりして、例えば自分が(自分のこういう所が嫌だな・・・)と思っているところが相手に見え隠れすると、煙たいのかもしれない。相手は自分を映す鏡なのかもしれない、とも思う。

 そして、相手にあまりに入れ込み過ぎると、その思いが叶わなかった時の落ち込みも激しいということもまた真なり、だと思う。ならば全て人間関係はほどほどに、と言って本音で付き合える人がいないという人生もこれまた寂しいことだけれど・・・。

 第一印象というものは不思議と当たるものだ。だからこそ初対面のシーンを大切にしたい。そして、自分がこれまで生きてきた経験に裏打ちされた勘は、自分にとってそうそう捨てたものではないな、と思うのである。
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2015.5.9-10 穏やかのんびり土日を満喫

2015-05-10 19:54:02 | 日記
 さて、1日出勤しただけで迎えた土曜日。金曜日の夕食後、処方されたフロモックスを飲み始め、瞼にタリビッド眼軟膏を塗り込んで休んだ。いつもは朝起きると、殆どない睫毛に目ヤニだか膿だかが貼りついて目が開けられず、痛くて涙、という状況だった。少し改善されていて、ほっとする。やはりもっと早くに受診すべきだったのだ。いつもながらの後悔先に立たず、である。

 イマイチの曇り空なので、洗濯は予約分1回を干しただけで止めておき、午前中のヨガベーシックのクラスに向かう。久しぶりにインストラクターHさんのクラスだ。たっぷり汗をかいてシャワーを浴びて、スッキリシャッキリ。
 夫と待ち合わせ、ここのところびっくりするほど濃くなった緑を愛でながら、少し離れたイタリアンレストランまでお散歩方々ランチへ。自転車に乗ればすぐの距離だが、種々の抗がん剤の副作用で握力がすっかり低下し、ブレーキをしっかりかけることが出来なくなったため、自転車に乗らなくなってから久しい。ずっとご無沙汰していたレストラン、あれもこれも注文して満足。
 その後も撮り貯めたビデオを視たり本を読んだりと、夫も私ものんびり好きなことをして過ごす。夜は久しぶりに来週末に迫った京都行きの打ち合わせで、息子とSkypeでお喋り。良い土曜日だった。

 今日、日曜日。
 昨日同様、いつもより2時間寝坊をして起床。今日はとても良いお天気だ。では、と洗濯機を回すこと3回。気になっていた大物もどんどん綺麗になって、ベランダにはためくのを見るにつけ、幸せだ。寒くもなく暑くもなく、家事に精を出すには実に良い清々しい陽気である。

 朝食を終え、洗濯を干し終わると実家から電話。母の日に送ったお花とお菓子が届いたという。息子は、といえば今日は部活のお座敷があり、百貨店で開催される母の日コンサートに出演とのことだが、新歓期の出費過多により、母の日どころではないらしい。

 その後、先週一泊旅行でサボった掃除を念入りに。水仕事をしてもタイケルブを飲んでいた頃のように手荒れが酷くなくなったので、ついつい頑張ってしまう。こうして土日の両日家にいれば、家のメンテナンスも出来るのだな、と今更のように思う。まあ、これまで毎週土日の少なくともどちらか(下手すれば両日)は都心等に出かけるような無謀な生活を続けていて、正直ちょっと疲れが出てきた。どうしても出かけなければいけない用事は仕方ないけれど、今年度は無理なく、近所でチマチマと過ごしたいと思っている。

 毎週のように都心まで出かければ、間違いなく疲れるし、家が片付かないのは当然の話。家が汚くなれば、気持ちも荒んでくる。掃除や片付けをしなかったために死んだ人はいないし~と、自己正当化の言い訳をしていれば、悪循環のスパイラルだ。  
 好きなヨガに行ってリフレッシュし、1週間分の溜まった家事を済ませ、翌週に備えて体調管理を万全に、のんびり穏やかに過ごす-これこそ今の私にとっての土日の正しい過ごし方なのだろうとようやく判ったのである(遅すぎるか・・・)。

 今日も午後からインナービューティヨガのクラスに参加。帰途、夫の遠近両用メガネを新調し、カフェでお茶をして買い物を済ませてきた。

 というわけで、明日からまた新しい1週間が始まる。
 前後に通院日の休暇も含め、ほぼ2週間に渡ったGW。いきなり明日からは5日間のフルタイムで、辛いかな~と今からちょっとブルー。けれど、そうはいっても毎日がこんな調子では、すぐに飽きるだろうね、と夫と言い合っている。
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2015.5.8 右網膜前膜の疑い~眼科クリニック受診

2015-05-08 23:21:21 | 治療日記
 先日届いた人間ドックの結果で要精密検査と出た“右網膜前膜の疑い”が気になっていた。もし本当にそうだとすれば、放置して症状が進み、視力が落ちてからでは対処が大変なようだ。
 一方、スギやヒノキ花粉の季節が過ぎても涙が止まらない。瞼の爛れは手持ちのステロイド軟膏を塗ってなんとなく凌いでいるが、一向に良くはならない。
 そんなわけで今日は仕事帰りに、2年半前のEC治療中に初めて視野欠損に見舞われた時に丁寧に検査をしてくださった、近隣の眼科クリニックへ出向くことにした。

 がん患者になって10年半近く。いわゆる本来の更年期の歳になったわけだが、その10年前に薬で強引に更年期を迎えさせられているから、身体的にはもうすっかりおばあさんなのかもしれない。だから、何か不具合があるとすぐに治療の所為、薬の所為にしているが、どうもそれだけでもなさそうだ。冷静に考えれば、血圧が上がっていることも含め、副作用だけでなく種々の加齢現象もあるのだろう。

 今回“疑い”と書かれた網膜前膜は、またの名を黄斑前膜という。網膜の中心部である黄斑部の前に膜が張って、視力が低下したり物が歪んで見えたりする病気だ。初めは薄いセロファンのような透明な膜が張っているだけなので、自覚症状もなく、今回のように検診で見つかることが良くあるようだ。膜がだんだん厚くなってくると網膜にひきつれが生じ、物が歪んで見えたり、視力低下を引き起こす。
 目の中にあるゼリー状の硝子体が年齢とともに溶けて水のようになるのがそもそもの原因とのこと。加齢性黄斑変性とは違って失明することはないらしい。
 つまり何を隠そう加齢こそ、その原因なのである。哀しいことに目薬や内服薬では治らないらしい。歪みが強くなったり、視力が下がったら手術しか手がないという。手術は眼球に小さな穴を3か所明けて、特殊なピンセットで膜をはがすというもの。一般に視力が0.5になったら手術がお薦めだそうだ。

 うーん、眼球に小さな穴を開ける・・・想像するだに恐ろしい。身体は今でも既に傷だらけ。出来ればもう手術と名のつくもの、穴を開けたり切ったり貼ったりはご免被りたい。

 ということで、ノー残業デーの本日、仕事を定時に終えて、クリニックへ。連休明け、かつ昨日が休診とあって覚悟はしていたが、大混雑である。それでも、先延ばしにしたところで何も良いことはないので、待ちますと受付をする。6時半の受け付け終了時間までなら外出しても良いとのことだったが、幸運にも1つだけ空いていた待合椅子を確保出来たので、雑誌をめくりながら、ひたすら待った。
 6時半近くなると、今まで外で時間を潰していた人たちが舞い戻ってきて、待合室は一杯。座る席どころか、立って待っている人が多数。クリニックの中に入ることすら出来ず、外廊下で待っている人も複数。7時半近くにお手洗に立つタイミングで、あと何人目でしょうか、と問うと11人目とのこと。これは8時を回るな、と夫にLINEで連絡。

 ようやく8時少し過ぎに先生から名前を呼ばれる。まずは、人間ドックで網膜前膜の疑いで精密検査が必要とされたこと、また、涙が止まらず瞼が爛れて痛むことをお話する。別室で視力、眼圧等の測定。視力も問題なさそうだし、と首を傾げられる。そもそもこの病気は女性に多く、それほど深刻なものではない、ともおっしゃる。
 その後再度診察室に戻って、前回2年半前と同様の瞳孔を開かせる点眼薬を差す。15分ほど待って、再び診察室でライトを当てながら眼底、眼圧の精密検査。「歪んで見えたりというような自覚症状はありますか」と訊かれ、「全くありません」と答える。先生も異常はないし、膜も見えないとおっしゃる。前回は何か光の加減でそう見えたのかもしれないですね、ととりあえず人間ドックの疑いについてはセーフになった。

 一方、瞼は「これは痛そうだ」とおっしゃる。「涙を手やハンカチで擦って黴菌がついたのでしょうか」と訊くと、その可能性もあるとのこと。膿がたまっているのでステロイドを塗ったりしてはかえって酷くなる、と言われ思わず下を向く。抗生剤の眼軟膏をその場で塗布して頂き、同じ軟膏と抗生剤フロモックスを5日分処方された。これで治ってしまえばOKだし、もしダメなら再度来るように、とのこと。終了したのは受付から3時間後のこと。会計を終えた段階でまだ10人ほど待っていたので、クリニックの灯りが消えるのは10時くらいだろうか。本当にお疲れ様なことである。

 クリニックの階下にある薬局で薬を出してもらい、帰宅したのは9時近く。前回この瞳孔を開かせる目薬を差したのは日中だったから、帰路は太陽光線が眩しくて眩しくて、目が開けていられず大変だった記憶があるが、今日は夜で真っ暗。とはいえ、信号機やらライトの灯りがぼーっと広がって光が拡散して見える。今日は車ではないですね、と訊かれたけれどこれでは運転など出来ないわけだな、と思う。

 そして、またも夫に夕食当番をさせてしまった。
 なんともトホホな週末であった。薬のおかげで3,4時間は目がボーっとしますが、ということだったが、疲れも重なってなんとなく鬱陶しい。今日はもう休まなくては。

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2015.5.7 神経内科初診

2015-05-07 19:55:39 | 治療日記
 ゴールデンウィークも終わったというのに、今日は休暇を取って神経内科受診のためいつもの病院へ。
 朝は久しぶりに小雨がぱらつくお天気となった。予報では夕方にも所によりにわか雨とのことだったが、最高気温は25℃超えの夏日だという。迷ったけれど晴雨兼用日傘と薄手のトレンチコートで家を出た。

 2月に頭部MRI撮影をし、(多発脳転移ではなく)血流の悪い部分があるということで、TIA(一過性虚血脳発作)だろうという診断を受けたが、やはり専門家に一度診てもらった方が良いだろうという主治医の判断で院内紹介を入れて頂いた。2月末の時点で最も早く取れた予約が今日である。それほど混雑しているのだろうと覚悟して出かけた。

 電車は通勤時間帯も過ぎており、始発に悠々と座って行くことが出来た。
 本日のお伴はさだまさしさんの「はかぼんさん-空蝉風土記-」(新潮文庫)。ミュージシャンであると同時に、今やすっかり人気作家であるさださんの多才さに溜息をつきながら読み進む。白衣白袴姿で自殺した少年、鬼が訪れる家、不老不死の美女等、“肌が粟立つ奇譚集”というコピーに相応しい面白さである。

 自動再来受付では待ち人もおらず、IDカードをすんなり通す。そして、ひとまず院内カフェで軽く昼食を摂り、予約時間の30分前に神経内科受付に到着する。何気なく見回せば待合椅子はかなり埋まっているが、私が一番若輩者といった感じである。
 かれこれ7年半近くこの病院に通っているが、初めて3階の脳神経外来に足を踏み入れた。院内紹介ではあるが、初診なので問診票に記入し、血圧測定をする。なんと134-83、脈拍は82と出て、我ながらびっくり。最高記録ではないか。

 予約時間の5分前に「中待合へどうぞ」に番号が点滅する。20分ほどして、私の順番になった。
 先生は、PC上で腫瘍内科の主治医からの申し送りは読まれているし、私の脳の画像もご覧になっている。
 まずは昨年12月末の発作について訊かれる。問診票には、視野欠損と言葉がうまく出なかったという症状を書いたが、腫瘍内科から申し送りされていた「目の前がチカチカピカピカする」ということまでは書ききれなかったため、そのあたりも確認される。その時には頭痛と吐気・嘔吐はなかったこと、若い頃から頭痛持ちで、昨日も朝昼晩とロキソニンを飲んだこと、気圧の変化や、お天気が悪いと頭痛が出ることなどもお話しする。
 そして、2012年ECの治療中にも視野欠損があったこと、その時には目の前のチカチカが酷く、地元の眼科クリニックで一通りの検査をして異常なしと言われたことも付け加える。
 先生がおっしゃるには、一般に視野欠損と言葉が出ないという症状は同時には出ないそうだ。TIAかなとも思うが、血管系を見ないと判断が出来ないという。
 アスピリン内服は対処方法として手っ取り早く良く使われ、かつ良く効くものであるという。普段の血圧は100-60前後であり、今日はとても高いと言うと、一般には135-85以下が正常血圧だが、朝食前血圧が高いかもしれないと言われる。
 とりあえず1~2週間測定すると同時に、再度MRI検査をしたいとのこと。朝の血圧が一定ならばアスピリンのみの服薬でよいが、血管の形によっては別な対応も必要かもしれない。いずれにしても、もう一度検査をさせてください、ということで月末に脳の血管を視るMRIの予約が入ってしまった。
 今度は造影剤不要ということで、昼食を摂ってから午後休暇だけで対応出来るし、当日検査の後、すぐに診察して頂けると伺い、ほっとする。御礼を言って血圧管理手帳を頂き、診察室を後にした。
 一度専門家に診てもらって、そのままでよいと言われればそれで安心だし・・・との主治医の判断に改めて感謝である。
 
 というわけで、初めての神経内科受診も無事終了。「あまり気にし過ぎることはありませんし、もし何かあっても今は十分対処することが出来ますから、大丈夫ですからね」と送り出して頂く。穏やかでとてもダンディなドクターでラッキー。感謝である。

 本日の病院の滞在時間は2時間強。ランチも込みでこの時間だから最短だろう。会計も500円でお釣りという何とも申し訳ない限り・・・。
 外はすっかり夏のような陽射しで、日傘が大活躍だったが、コートはただのお荷物になってしまった。

 帰宅すると、今月初めてのお花が届いていた。こちらもGWの変則で普段の火曜日のお届が今日になっている。ピンクと薄紫、薄いブルーのカンパニュラが5本、濃いピンクのナデシコが2本、淡いオレンジがかったピンクのアスチルベが2本。花言葉はそれぞれ「感謝」、「思慕」、「恋の訪れ」だそうだ。文字通り感謝の日だったなあ、と思いながら花瓶に活けた。

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