散日拾遺

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2月6日 ラッフルズ、シンガポールに根拠を築く(1819年)

2024-02-06 03:21:50 | 日記
2024年2月6日(火)

> 1819年2月6日、イギリスの有能な植民地経営者トマス・スタンフォード・ラッフルズは、シンガプーラ島(現シンガポール)を買い取り、商館建設の権利を取得した。彼はここを関税ゼロの自由貿易港とし、以後シンガポールは目覚ましい発展を遂げることになる。
 ラッフルズは、1800年に東インド会社に入り、1811年、イギリスのジャワ征服とともに同地の副総督に任命され、啓蒙主義と自由主義に基づき、植民地統治の改革を行った。このジャワ在任中に、植民地経営のかたわら、自然・風俗・言語・歴史などを研究し、帰国後に『ジャワ誌』2巻を刊行している。ちなみに世界最大の花を咲かせるラフレシアは、彼の名前から命名されたものである。
 1817年、再びアジアに赴任した彼は、現在のインドネシアを中心に広大な植民地を有していたオランダに対抗しうる貿易拠点として、シンガポールに目をつけ、1819年にこれを手中にしたのである。
 現在、ラッフルズの名前は、彼の名を冠したラッフルズ・ホテルで不朽のものとなっている。高級ホテルの代名詞とも言われるこのホテルは、1887年に開業し、作家サマセット・モームや俳優チャールズ・チャップリンが定宿にしたことでも有名である。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.42

 シンガプーラ島を「買い取り」とあるが、いったい誰から買い取ったのか。小さくはあれ海峡の要地に位置する島一つ、易々と売り渡す為政者はよほどの愚か者か「売国土」であろう。調べてみれば案の定というところ、一帯を支配していたジョホール・リアウ王国の衰亡に伴う政治的混乱に、ラッフルズが見事つけこんだのである。
 ラッフルズはまず、マレーの王族を招いてジョホール王として即位させた。ついでこの王とシンガプラの首長を交渉相手として協定を結び、商館建設を承認させるとともに島を買収したというのが、その鮮やかな段取りだった。狡猾ともいえるやり口ではあるが、相応の対価を支払っての買収であれば、軍事力による奪取や威嚇による租借よりはよほどマシである。
 当初シンガプーラ島の人口はわずか150人程度であったのが、わずか5年ほどで1万人を突破したという。ラッフルズ先見の明の証しであり、その後の繁栄は大英帝国に途方もない利益をもたらした。ジャワ統治時代に「啓蒙主義と自由主義に基づき植民地統治の改革を行った」というラッフルズであれば、新生シンガポールでもその手腕を大いに振るいたかったことだろうが、残念ながら買収の7年後に帰英し、そのまま亡くなった。
 ラフレシアは世界最大とされるそのサイズとともに、強烈な悪臭で有名である。葉・茎・根をもたず光合成ができないため、ブドウ科のツル植物に完全寄生してこのグロテスクな花を咲かせるというあたり、植民地支配を風刺する存在とも見えてくる。ラッフルズは最晩年に調査行の途上でこの植物を確認したが、形態を精査したのは同行の博物学者ジョセフ・アーノルドであり、学名はこの二人にちなんで Rafflesia arnoldii と名づけられた由である。

   
左: Sir Thomas Stamford Bingley Raffles (1781 - 1826)
右: Rafflesia arnoldii   いずれもWikipedia から

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